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布施明、伝説の”出発(たびだち)コンサート”

なんだか仰々しいタイトルにしてしまいましたが。今回は布施明さんの出発たびだちコンサートについてです。

布施さんとオリビアさんの関係を調べているうちに、布施さんがアメリカへ移住する前に行った「出発たびだちコンサート」なるものが存在していたことを知りました。

時は1980年8月27日。場所は日比谷野外音楽堂。そこまで調べはできたけど、探しても音源などはないし、見る機会はないだろうな、と思っていました。

それが、オープンチャット布施明沼倶楽部の参加者の方で、テレビ放映時のビデオ録画音源をお持ちという方がいらっしゃり、ご好意で見せていただけることになりました。
今回はそのビデオを観ての感想などをまとめます。

ひとことで言うと「こんなロックでかっこいい布施明、見たことない!」のです。

このコンサートに至る背景

ご存じない方のために、まずは経緯から。
布施さんは1980年2月にハリウッド女優オリビア・ハッセーさんと結婚。4月にはオリビアさん、オリビアさんの連れ子のアレックスくんとが来日し日本での生活をされていましたが、その後結局アメリカに移って生活することを決められました。

このコンサートは、布施さんがアメリカへ旅立つ(出発する)にあたって実施されたものです。

このコンサートの後、布施さんは9月10日に離日された模様です。

プログラムに書かれたメッセージ

ビデオを見せていただいた方に、コンサートプログラムも見せていただいたのですが、そこには以下のようなメッセージがしたためられていました。

ぼくは 旅に出ます
でも 勿論 ぼくは戻ってきます
たったの16年間ですが 
歌の素敵さ 恐さ
人の優しさ 醜さを
この道から 拾う事ができました
その歌の素敵さと人の優しさから
ちょっとの間離れる せつなさと
また 歌の恐さと 人の醜さから
ちょっとの間 離れられる うれしさとで
心の中は 何か 行ったり来たりです
悲しいけれど これを機会として
離れてゆく人に
ぼくの 心からの言葉です
ながい間 どうもありがとう ありがとう
みんな ありがとう
ぼくは 旅に出ます
でも
勿論 ぼくは戻ってきます
'80. 8.27
布施 明

このメッセージを読んで、本当に涙が出そうになりました。それまでの16年、事務所に所属して歌われる中でさまざまなことがあったんだろうなと。

アメリカに行くという事で、自分から離れていくであろうファンの方へも考えが至るその視野の幅というか、懐深さというか、そういったものも感じます。

セトリ

以下の太字がプログラムに書かれていたセトリです。(太字の後のテキストは筆者補足。)BAND PLAYはおそらくバンド勢のインストゥルメンタルと予想されるので、それを除くと22曲ありますが、ビデオで確認できたのはそのうち13曲。ビデオでの登場順を曲名の後ろにカッコで記載しています。(カッコなしはビデオでは確認できなかったものです。)

DOMO DOMO DOMO(1) (1980年8月25日発売シングルのB面。作詞作曲 布施明。)

CHIGASAKI BEACH HOTEL (12)(1980年発売のアルバム「I AM」より。作詞作曲 布施明。)

ENDING OF LOVE(2)(1980年、作詞作曲 布施明。MOUSE名義のEPレコードB面)

BE MY BABY (1980年、作詞作曲 Phil Spector, B. Greenwich, J. Barry。MOUSE名義のEPレコードA面。)

BLUE SHADOW(3)(1980年発売のアルバム「I AM」より。作詞作曲 布施明。)

愛よその日まで(4)(1980年、作詞:阿久悠、作曲:布施明)

積木の部屋(5)(1974年、作詞:有馬三恵子、作曲:川口真)

甘い十字架(6)(1973年、作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦)

人生のヴィオロン (1977年発売アルバム「そろそろ」より。作詞作曲 布施明。)

STILL→こちらの曲については、どの曲か確認取れておらず。情報求む。

ホテル・プルメリア(13)(1979年発売シングルのB面。作詞 作曲 布施明。)

BAND PLAY

TOKYO GIANTS (1980年発売のアルバム「I AM」より。作詞作曲 布施明。)

YOKOTA AIR FORCE TOWN(CAN REALLY BRING YOU DOWN)(1980年発売のアルバム「I AM」より。作詞作曲 布施明。)

IT'S JUST AN OLD FASHIONED MELODY(7)(1980年発売のアルバム「I AM」より。作詞:Olivia H. Fuse 布施明 作曲:布施明)

DANCE DANCE DANCE (1980年発売のアルバム「I AM」より。作詞:Olivia H. Fuse 作曲:布施明)

I AM YOU (8) 1980年8月25日発売シングルのB面。作詞 Olivia H. Fuse、作曲 布施明。)

日暮し(1977年発売アルバム「そろそろ」より。作詞作曲 布施明。)

故郷の九月 (ジルベール・ベコーの"C'est en Septembre"に布施さんが訳をつけたものと思われる。ビデオにはなく推測。)

愛の終わりに(9)(1971年、作詞:島津ゆうこ、作曲:クニ河内。)

男達の素顔 (10)   (イタリアのRiccardo Coccianteによる"Bella senz’anima"の訳詞版。誰の訳詞かは不明だが、布施さんの訳の可能性あり)

MY WAY(11)(日本語訳詞 片桐和子、作曲Claude Francois、Jacques Revaux)

KANAKA WAI WAI (ハワイアンの曲。John Kameaaloha Almeidaという方の作曲)

末尾には、「曲目、曲順には多少の変更がある場合もあります」との注意書きあり。

選曲に見る心意気

セトリを見た時一番に感じたこと。それは、「当時日本で、プロダクションに所属して、テレビなどのメディアでいわゆる大衆に見せていた布施明とは違う布施明を見せようとしていたんではないか」ということでした。

なぜならば、曲の多くが直近のアルバム「I AM」からで、それ以外の曲も布施さん自身が作詞ないし作曲に関わった曲が非常に多いのです。(少なくとも13曲。男達の素顔が布施さん訳詞なら、14曲。)うちオリビアさんとの共作曲が2曲あります。

何より1975年の大ヒット曲であった「シクラメンのかほり」が入っていません。ヒット曲らしいヒット曲は、積木の部屋くらいではないでしょうか。ナベプロでのキャリア、栄光ではなくて、自分が今追求している音楽を聴いてほしい、という意志の一つの現れであると言っていいのではないでしょうか。

ビデオの流れと感想

ここからは、ビデオの流れと付随する私の感想を書いていきます。
なるべく忠実に書き起こしできるところは起こしました。そのため、長いです。笑(引用箇所は引用と分かるよう、引用表示を使用しました。)

ビデオは上にも書いた布施さんからのメッセージのテロップが上から下に流れて始まる。画面が前日リハーサル映像に切り替わり、次のようなナレーション(女性の声)。

布施明32歳。
歌手生活16年間の数々の思い出を胸に、出発たびだちコンサートを明日に迎える。
スタジオには彼を愛した多くのスタッフがいた。
彼に全てを託した妻オリビアの熱い眼差しがあった。
彼は燃えた。
16年間の彼の全てをこのコンサートに爆発させる彼の情熱は他を圧する何かがあった。
数限りない栄光の中を走り続けてきた彼の青春は素晴らしかった。
若さが彼を傷つけた時もあった。
スキャンダラスな噂で心を痛めた時もあった。
孤独に耐えた日もあった。
しかし彼には愛する歌があった。
愛する多くの人々がいた。
さあ、出発たびだちだ。
輝かしい栄光を置き去りに
さあ、出発たびだちだ。

その後、当日の会場入り、当日のリハーサル風景の映像。

オリビアさんと布施さんは、ワイシャツにグレーのセーターというペアルックで会場入り。観客席後方からステージを眺める布施さんの顔が少し寂しげに見える。ここで

布施明スペシャル
愛よ その日まで 
出発たびだちコンサート

というタイトルテロップと共に、音楽が始まる。出演者のテロップが流れる。

出演
布施明
OLIVIA-H-FUSE

演奏  マウス
コーラス  WIZ
ゲスト・ミュージシャン
井川雅幸
篠崎正嗣
中沢健次
藤田晶弘
小原正勝
松下英二
栗冠利郎
山本トオル
高島政晴
大高ミノル
豊田勝敏  
音楽・指揮  篠崎邦夫

最近の55周年FINALでもご出演されていた篠崎正嗣さん、今も布施さんとツアーで共演される井川雅幸さんがいらっしゃるのと、「とおる君」という曲のモデルになった山本トオルさんがいるのが感慨深い。

楽屋での様子も少し。衣装は、白いジャケットで、肩あたりに赤いラインが入ったものを裸に直に着ている。そしてネックレスを数本。

お客さんが入った観客席の映像をバックに、テロップが入る。

16年間のすべてを
新しいバッグにつめて
さあ出発(たびだち)だ

ここでさらに女性の声のナレーション。

新しい風に吹かれたくて、
住み慣れたこの街を離れます。
けれどどこへ行こうと、
あなたと私の距離は変わらない。
愛という糸に結ばれた心はすでに一つのもの
どこにいてもあなたの顔が見える。声が聴こえる。
今別れの言葉に代えて、この歌をあなたに。

袖でカメラに向かって小さなピースをむけて、いざステージへ向かう布施さん。

大きな手拍子に迎えられて始まった最初の曲はDOMO DOMO DOMO。初っ端のあ〜あ〜あ〜あ〜…のコーラスから、カッコよすぎる!

2曲目はENDING OF LOVE。サビのロックさがたまらない。ビブラートが秀逸。

ENDING OF LOVEが終わったところでMC。雨が降っていたようで(映像を見る限り大雨ではないが、布施さんの髪がしっとり濡れている)、水も滴るいい男。あ、滴ってはいないか。とにかく二枚目。
布施さんのMCは以下。

どうも雨の中を大変でございました。(笑い)
少し出発たびだちコンサートということで、これが一応まあコンサート形式では今年多分最後になると思います。
いつまたこういうようなコンサート形式でショーができるか分かりませんけれども、目一杯今日はやってみようと思います。
今日は雨が降っておりますが、この雨に負けないように、若いんでありますから、頑張ってやってみます。
どうぞ最後まで、一緒にこう、楽しんで、いつもですとなんとなくね、こう座ってこういうのが多い(補足:大人しく座っている様子のことの模様)今日はもう楽しんで、踊ってももう出てきても何しても構わないから最後までワーッと…やろうよ!ね。
まぁ雨も降ってることだし。あ、どうもありがとうございます、すいません、そこ置いておいてください(補足:駆け寄ってファンが置いた花束などに対して)

MCの「ワーッと…やろうよ!ね。」のところに、照れが少しあるような気がして、でもアメリカに出発する前だから観客の方と一緒に盛り上がりたい、そんな気持ちが見えて、微笑ましくなる。

そしてMCから間髪入れず良い声で始まるBLUE SHADOW。アルバムで聴くのもかっこいいけれど、ライブがこんなにカッコ良くなる曲とは思わなんだ。「僕はあの日のそのまま」のところで、手の甲を内にして腰に置く仕草がなんともかっこいい…。(上手く表現する語彙がないのがもどかしい。)

愛よその日までは笑顔も少し見られて、朗々とした歌い上げ。

続けての積木の部屋は最初はしっとり、途中はバックの演奏も壮大になり迫力ある歌唱。

甘い十字架は、これまで夜のヒットスタジオなどでアイドルっぽい曲と思っていたのですが、このコンサートではすごくロックに、そしてステージ上で布施さんが激しく動き回って歌っているので、こんなロックでかっこいい「甘い十字架」見たことない!という感じでした。

ここで、映像が切り替わる。おそらくライブ前に撮ったと思われる映像で、布施さんがオリビアさんと野外音楽堂の客席中央付近に並んで座ってのトーク。出立ちは白いシャツの上に、グレーのセーターのペアルック。

布施さん:「僕にとって音楽というものは、生きる一つの糧なんですけれども、16くらいから何も、右も左も分からない頃から始めた音楽活動をやっと、なんというのか、25、6になって本当の怖さというものが分かってきた、これは大変なところに踏み込んでしまったというのが分かったのが25、6の頃なんです。
ま、それと今年結婚したわけなんですけれども、やはり音楽をやっていくということとは家庭というものとは別なもんだと思います。人間的に見てみますと、なんかやっぱりゆとりというか、どこか一つ帰るところがあって、そこにその、なんとなく、愛する人たちがいるというのは、それが家内であるなり、子供であるなり、友達であるなりというのがいるというのは、すごくやっぱり心のゆとりになっていいことだと思ってます。
僕にとって、まぁ今いますけれども、カミさんでありますオリビアは、いろいろなこう言葉の違いとかそういうのはありますけれども、でも僕の想像していたそのカミさん像みたいなものにすごく近くて、僕は僕なりにパーフェクトだと思っています。」

この後布施さんが英語でオリビアさんに語りかけ、オリビアさんが答える。(布施さんの質問が聞こえず…書き起こせずでした。)

オリビアさん:(最初何か言っているが聞き取れず。)
I think you're the best and not because I've married you. (布施さんが笑う)Don't laugh!
布施さん:「パーフェクトだと思ってる、と、なぜなら私が結婚したんだからとか言ってますが、どうなんでしょうか。」

(余談:聞き取れた言葉のうち、オリビアさんが発した言葉は「ベストだと思う、結婚したからというわけでなくて」と取れると思うので、布施さんがしている質問によっては布施さんが仰っている意味と少し違うかも、と思いました。結論として仰りたかったことは変わらないかと思いますが。)

個人的には、布施さんが、オリビアさんを「カミさん」と呼ぶのがこそばゆいような、微笑ましいような気持ちでした。本当に、幸せそうな雰囲気。

この後ライブ映像に戻り、IT'S JUST AN OLD FASHIONED MELODY。しっとり歌い上げるバラード調の曲に癒される。

そしてピアノイントロでロマンティックに始まるI AM YOU 。歌唱シーンを初めて観ましたが、これは本当にオリビアさんへの愛を歌った曲だな、としみじみ感じました。目を閉じて、想いを込めて歌われているのがすごくよく伝わってきます。この日オリビアさんも前の方の席で鑑賞してらしたので、それを考えるだけでキュンとしてしまいます。オリビアさんもきっと聴いていて嬉しかったのではないでしょうか。

(以前私が勝手に訳したこの曲の歌詞はこちら↓)

続けて、ドラマティックな愛の終わりに。別れがテーマの曲ではありますが、これはもしかすると観客のみんなへの別れを歌っていたのかも、と筆者は感じています。

そして男達の素顔 。前半は穏やかに、徐々に激しく歌い上げる姿は圧巻。歌詞はこれから新しいステージへ旅立つ自分を奮い立たせているような、そんなふうにも取れます。(確証は得られていませんが、おそらく訳詞は布施さんご本人かと思われます。歌詞に胸打たれるので、また別途取り上げたいと思います。)

MY WAYは一転して優しく包み込むような歌い出し。途中転調前に、観客に向けて優しい笑顔を向けているのがとても印象的。

一旦袖に引っ込んでからの、CHIGASAKI BEACH HOTEL 。最高にロックな一曲。観客席から次々紙テープが投げ込まれて、ステージは紙テープでいっぱい。ステージを端から端へ動き回る布施さんが、本当にロック。

曲の後半の間奏で、以下のようなテロップ&ナレーション。

夏の終りに
客席とステージ 
張りつめた情熱が 
いま、鮮やかに 
熱く響き合う
別離わかれを前にして
ときめきの時刻ときは 
過ぎていく 
優しく、激しく、
宴はつづく

観客席には、プラカードを作って掲げているファンも多い。手作りなんだろうか。

曲の終わり頃に、布施さんが白い布を手に取り、照明が落ちるとそこに「By By」の文字が浮かび上がる。そして布施さんが楽屋に下がる。

演奏が終わると、大きな拍手。アキラコールも聴こえる。

楽屋でタバコを吸い始め、おもむろに上着を脱ぐ布施さん。

その後スタッフが「プルメリア」と言っているので、ここでどの曲にするか最終的に決めた可能性もあるかもしれません(憶測ですが)。楽屋に顔を出していたオリビアさんが布施さんへ"Wonderful!"と布施さんに声かけ。

服をアロハシャツのようなシャツに着替え、再びステージへ。

ホテル・プルメリアの前奏が鳴る中、スタッフが組んだ騎馬に乗って再登場。ものすごい青春感。アンコールがホテル繋がりの曲なのが、なんだか興味深い。

流石に疲れているのか、声がやや掠れていますが、それでも聞き入ってしまう熱唱。

間奏の間にナレーション。

宴は終わった。
アンコールの拍手の嵐は鳴り止まなかった
帰ってきて 早く帰ってきて
6000人の観客は叫んだ
涙した
小雨にも増して彼女たちの涙は素晴らしかった
愛よその日まで
布施明32歳、今新しい世界へ

ステージ上は紙テープが溢れていて、ステージギリギリのところまで観客が寄って手拍子を送っていました。中には「待ってます」と書いたプラカードを掲げているファンも。

プルメリアを歌い終わって楽屋に下がって、頭にタオルをかけて、疲れた様子でソファーにもたれかかる布施さん。(これまで基本、飄々と、余裕を見せて歌う姿を見ることがほとんどだったので、これは筆者にとっては非常に新鮮でした。)でもそこには笑顔も見られて、出し切った!感がとても伝わってきて、心から「お疲れ様でした」という気持ちになりました。

その後は打ち上げの映像も少しあり、ざっと30人ほどの人がひしめきあっていました。おそらくスタッフはもっといたでしょう。

最後はオリビアさん、布施さんが会場を去るシーン。

布施さん本人による次の言葉を最後に、映像は終わります。

このコンサートが終わって僕たちはアメリカへいきます。9月の10日にいく予定でおります。まずニューヨークに行って、ニューヨークで、彼女の人生の師でもあるし、先生なんですけれども、いろんな意味での先生なんですけれども、メディテーションの先生のスワミ・ムクタナンダさんという人に会いにいきます。それから僕たちは1週間くらいしますとロスにいきまして、ロスで生活することになります。僕もいろんなことを勉強しようと思いますし、いろんな人と巡り会いたいなと思います。彼女は彼女なりにまた仕事に戻ると思います。まぁどういうふうになるかわかりませんけれども、これから一生懸命またこのようなコンサートができますように、自分自身に蓄積したいと思います。

筆者の考える本コンサートの意義

出発たびだちコンサート。それは、布施さんがそれまで自分を支えてくれたファンやミュージシャンへの感謝を伝える場であり、かつ当時のご自身が本当にやりたかった音楽・目指そうとしている音楽を示すための時間・場所だったのだと筆者は考えます。

日本で、ナベプロに属する歌手として求められてきた姿は「歌謡曲」を歌い、バラエティにも出て、いわば「アイドル」ないし「売れっ子」として振る舞う姿だったのではないでしょうか。(もちろん、歌が上手いとは認められていたと思いますが、ナベプロに所属する以上は、出す曲の売上、レコード大賞などの賞が取れるか、といったところがメインになっていってしまう面もあったと考えられます。)

一方で布施さんが追求したかったのは、一ポップス歌手としての成長であったのだと思います。ご本人もきちんと音楽の勉強をしたかったと方々のインタビューで述べられていますが、ただプロダクションに属する以上、どうしてもそれは難しいところがあったのでしょう。

しかし1979年にオリビアさんと出会ったことで、海外、すなわちアメリカに行き、日本の芸能活動から離れて、音楽の勉強などに専念する時間を取れるという機会も得ることができることになったという状況に、胸が躍る気持ちもあったと推察します。

勿論アメリカに行き、日本でのメディアへの出演が減れば、その分日本のファンは離れることになります。それも結婚という理由でなので、女性のファンが離れることもご本人は重々承知をされていたでしょう。だからこそ書き残したメッセージの中の「悲しいけれど これを機会として 離れてゆく人に」という言葉が出てきたのではないでしょうか。

それでも、自分の愛する人と、必要な時間のために、日本を離れる決意をした。その覚悟の強さと、これまでを支えてくれたファンやスタッフへ感謝を伝えることがこのコンサートの意義であったのだと思いました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。拙い文章ではありますが、布施さんの「出発たびだちコンサート」についてでした。

布施さんの全力の歌唱に本当に胸打たれる、最高のコンサートだと筆者は思います。
本当なら映像を見ていただくのが一番、布施さんの熱唱や思いが伝わりやすいと思うので、この映像が何かの機会に、また一般に公開されることを切に願ってやみません。(このライブに限ったことではないですが。)

記事について、ご意見やご感想をお待ちしております。特に、もし実際にご覧になった方がいれば、ここはこうだった、など情報を頂けたら、泣いて喜びます。

それでは、また。








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