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【サッカーで学ぶ歴史】レアルとバルサの深い因縁

レアル・マドリードとバルセロナによる「エル・クラシコ」には、単なるサッカーの試合を超えた、深い因縁があります。それはなぜでしょうか。

まず、スペインはもともと一つの国家ではありませんでした。

マドリードのあるイベリア半島中部にはカスティーリャ王国がありましたが、東部にはアラゴン王国が存在していました。アラゴン王国は、バルセロナのあるカタルーニャ王国、バレンシア王国と連合王国となり、拡大します。

その名残が、ビジャレアルのエンブレムに表れています。レアル・マドリードに「レアル(王の)」という名を与えたのはブルボン朝のアルフォンソ13世なので、レアル・マドリードのエンブレムに描かれている王冠はブルボン朝の王冠です。しかし、アラゴン王国の支配下にあった現在のバレンシア州に本拠地を置くビジャレアルのエンブレムには、アラゴン王国の王冠が描かれているのです。

そのカスティーリャ王国とアラゴン王国が連合することでスペインは統一されますが、その中心はカスティーリャでした。レパントの海戦でオスマン帝国を破り、さらにポルトガルも併合してスペインの最盛期を築き上げたフェリペ2世が、マドリードに都を置いたのです。

それに対して、カタルーニャはしばしば反乱を起こし、政府を苦慮させていました。

そうした中、スペイン内戦を経て独裁政権を形成したフランコは、カタルーニャの独立を恐れ、独自の言語や旗の使用を禁止するなどの弾圧を行いました。カタルーニャの公用語はカタルーニャ語で、旗はバルセロナのエンブレムにも描かれている、赤と黄色の縞模様です。

この時期に、カタルーニャ語を使うことができたのは、スタジアムの中だけでした。そのため「エル・クラシコ」は、抑圧されたカタルーニャを象徴するバルセロナと、政府を象徴するレアル・マドリードとの対決の場となりました。バルセロナの本拠地カンプ・ノウのスタンドに「Mes Que Un Club(クラブ以上の存在)」と書いてあるのも納得です。

歴史を知ることで、サッカーもより深く知ることができるのです。

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