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きっかけ

『きっかけ』って「こうあるべきだ」という枠組みを持っているのかなと考える時が最近多い。

もしかしたら、その枠組みに出会っていないだけなのかもしれない。
もしかすると、その枠組みに出会っていたけれど、それを枠組みと自分が
認識していないだけかもしれない。

だけれど、最近、なぜか きっかけの枠組み について考えている。
気づいたら、考えている。

私が、きっかけの枠組みについて考えるようになったきっかけは、
豆乳。

ある日、豆乳について、友人と話していて、
「私は、昔、豆乳を飲めなかったが、今では豆乳が好きで好きで。
今も体が豆乳を欲しているの」
と友人に話したら、

相手は豆乳になじみがあまり無いようで、どうして好きになったの?と、
私に尋ねた。

その時私は、
「昔アルバイト先で出会った数個年下の人から、豆乳は肌に良い。今日また豆乳を買って、毎日豆乳を飲むから、一緒に毎日豆乳飲もうよ、って誘ってくれたことがきっかけなの」
「その子、とってもかっこよくて、話も合うし、恋愛感情は抱かなかったけど、仲良くなりたくて。だから、飲み始めたの。」
こう伝えた。

友人に話すまで、私は誘われたことがきっかけだと思っていた。
だけど、友人に話すうちに、きっかけは、誘われた事ではなく、
そのかっこいいと思っていたバイト先の子との話のネタが欲しくて、
その子ともっと仲良くなりたくて
それで飲み始めたのではないか?と思う。

誘われたことがきっかけなら、誘う人は誰でもいいのではないかと思うが、
私のこの豆乳の場合、誘う人は、そのバイト先の仲良くなりたいと思っていたイケメンでないといけなかったのだ。


そう思うと、私のこのきっかけは、純粋なものと言えるのか。
悩ましい。
このきっかけは、面接のときに、「この業界を志すきっかけは・・・」と
発言するときの内容と同等の清潔感を纏っているとは、私は思えない。
なんだか、下心があるように感じる。これは自分を卑下しているだろうか。

でもこの豆乳を飲めるようになったきっかけは、
れっきとした『きっかけ』であることには変わりないと思う。

そう考えると、面接のときに話す業界を志望した「きっかけ」も、
私の豆乳を飲めるようになった「きっかけ」も、
どちらも『きっかけ』というグループの中にいる。

それなら、 きっかけの枠組み って思っているよりも、柔軟で、
許容範囲も広いものになるんじゃないかと思う。

言語化がまだまだ思うようにできないが、それでも、言葉で表すことが楽しくて。(これもきっかけ?)
だから私はときおり、考えを言語化する。

ちなみに、今回noteに書こうと思ったきっかけは、勘。
豆乳の話を友人としている時に、頭によぎったから。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます :>)

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