ギフト賛歌(きゃんたの日記9)

 今日、友人の誕生日プレゼントを買いに行った。私は「もらう」行為よりも「あげる」行為のほうが好きだ。二十年間生きてきて、沢山の人からもらってきた。愛情や友情といった目に見えないものから、玩具や洋服といった目に見えるものまで、もらってきたものの形は様々であるが、私の両手では抱えきれない程の優しさに包まれて生きてきたことは確かである。だからこそ、私も誰かに何かをあげたいという気持ちが次第に強くなっていった。自分にとって大切な人は尚更である。

 私はこの先どれくらい生きることができるのか分からない。別に悲観的なことではなくて、ふとした瞬間に命を落としてしまう場合があるからという意味でも。そういった意味でも、例えば死の間際になって「ああすればよかった、こうすればよかった」など思いたくはないので、後悔のないように生きたいのである。この「あげる」という行為の裏側にはそんな意味も含まれているのかもしれない。そう言ってしまえば、私が後悔しないようにというエゴだと糾弾されるかもしれないが、その気持ちが「あげる」という行為の全てにおいて介在しているわけではなく、先述したような想いと混淆されている為、あくまでも側面として捉えてほしい。

 とにかく、一番言いたいことは、「あげる」側が願っているのは「もらう側の人が喜んでほしい」という単純なことだということである。私はそんなことを考えたりしながら、誕生日プレゼント選びに専念した。化粧品や装飾品、食品。百貨店は沢山の品物に溢れ、それでいて宝石のように煌びやかで、私はその全てに嬉戯として目を輝かせていた。

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