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わたしがワンピを作るなら│自己/自社紹介①

こちらに書かれる文章は、自社メンバーはもちろん外部の方にも「弊社をより知って貰う為」に書き始めた、オープンスタイルの社内報です。

自社Notionより

👓️書き手の自己紹介

ご存じない方には始めまして。大切な自社メンバー方々にはこんにちは。 今年で17年目を迎えます、兵庫県は神戸にて[ワンピース専門店]を営む、代表の[くまさん]こと"くまの"と申します。男性です。

「なぜ婦人服を? ワンピースを?」
…と、少々不思議な面持ちでご興味持たれることもしばしばですので、まずはその経緯を少々。

遡ること2008年/平成20年/当時35歳…とある御夫婦が神戸でアパレル業を立ち上げようと、WEBショップを開店させるための[助っ人足り得る人材]を探されていた折、共通の友人を通し紹介されたのが私、くまさんです。

当時の私はと言うと、他のとある経営者さんに雇われ、アロマオイル屋さん・レンタルビデオ屋さん・うどん屋さん・たこ焼き屋さん等々、その人が営むお店の運営諸々を任され、京都/大阪/神戸の三都を行ったり来たりの管理職。

そちらが軌道に乗りはじめ、「そろそろ役目を終えて、自分の事業を始めようかな…」と考えていたタイミングで、共通の知人を介し先述のアパレル事業を立ち上げんとする御夫婦に出会い誘われ、「自分の事業を始める前の練習がてら」事業に参加しました。

そして共同経営としてワンルームの一室からスタートしたのが現在の【神戸ワンピース専門店】の種となる、ちいさなちいさなWEBショップでした。

ワンルームの一室からスタート

⛵️忘れられない船出

とは言え、前々々職でPCには多少触れてはいたものの、レディースショップどころかアパレル業自体に就いたことがなく、フォトショ/イラレは多少使えどサイト制作をしたことさえもない。

しかし人様から「出来ますか?」と聞かれれば「出来ますよ!」と即答してから考える性分。

一からアパレル業とサイト制作を学びながら・作りながら、まずは漕ぎ出す海を楽天市場と決め、運良く当初から一定を売り上げ、楽天ランキングにも数々入賞!

…と、意気揚々と船を漕ぎだしたものの…そこからが大きな苦難のはじまりはじまり…なのでした。

程なくピンチは訪れ…いや、ほとんどピンチしかなかった!と言っても差し支えの無い時期が続きました。売上が上がっては急降下のタワー・オブ・テラー状態をエンドレスリピート🔄。

勢いだけで乗り切るにも限度があり、内部に不穏な空気が蔓延し始めると一人抜け…二人抜け…ついには一緒に始めた御夫婦も、それぞれの想いがあり道を違えることとなってしまいました。

もちろん今では「その時期があったから今がある」と、どなたにも感謝しか無いのですが、初期メンバーと意気投合し、異常な熱量ではじめた頃のキラキラとした思い出と共に、吐き気(そちらもある意味キラキラ)をもよおす程の重圧に、忘れたくても忘れられない船出となりました。

その初期メンバーは誰一人居なくなり、ぽつねんと独り残されたものの、それでもついてきてくれた従業員の生活は維持したい。裏事情など知る由もないお客様は裏切れない。取引先にも迷惑は掛けられない。

何はなくとも再建あるのみと、持てる[僅かな知恵・僅かな人脈・僅かなお金]を携えて、元来ワーカホリック気質な私の唯一無限にある資産…熱量だけを頼りに、ひとまず「燃え尽き灰になるまでは続けてみよう」と覚悟を決めたのでした。

忘れたくても忘れられない船出

🚩本当のスタート地点

しかし、冒頭で書いたようにアパレル業経験の無い私にとって「自分だけの判断で女性服をつくる」と言うことには、それなりの理由と衝動が必要でした。

私は過去、初就職先でのサラリーマン生活に区切りをつけ、25歳にして漫画家を目指し、講◯社さんや小◯館さんの漫画賞に応募し、初めて描いた漫画から4連続受賞(しかし気合を入れた5作目が落選し見事に挫折)する程度には絵が描けましたので、自らファッション・イラストを描くことで自身に落とし込もうと考えました。

そこで数々の女性誌を漁り、街を歩けばショップを覗き、隙あらばあらばWEBショップを徘徊し、ジャンルも時代も超えて様々なファッション情報を掻き集めました。

その頃、お店に訪れてくれていたお客様に刺さるデザインを想像し、ファッションを自身に落とし込むことで「こんな洋服を作りたい」と言う衝動が芽生えるまで、心に種を蒔く習慣を続けました。

理想の条件を掲げると、
まず第一に[①世に溢れている服は作らない]
しかし[②普遍的な魅力に溢れていること]
さらに[③神戸らしさに溢れていること]

「言うは易く行うは難し」とはこのことで、まず①と②が「奇抜さや新規性を求めず他と被らない」という、条件としては相反する物です。

しかし、金・人・物すべてのリソースが乏しい、中小企業にさえ満たない小規模事業所では、ありふれた洋服を大きな市場で売ることは自殺行為であることは理解していました。

そしてようやく自身が納得した上で辿り着いたカタチが、「黄金の50年代」とも呼ばれる時代の[フィット&フレア・ワンピース]をルーツとすることを主軸とし、[神戸らしさに溢れた上品さ]と[極限まで無駄を省いた普遍性]を持った【神戸ワンピース専門店】と言うスタイルでした。

女性を最も美しく見せる洋服のひとつ、ワンピースおよびそれに付随する物しか作らない…と言う縛り、(追々委細お話すると思いますが)いわゆるランチェスター戦略です。

「これ以上に女性が美しくなれる洋服は無く、自分がこれ以外に洋服をつくる意味は無い」と思えるカタチ、ここが自社の本当のスタート地点と確信し、進む道・必要な仲間という方向性が決まると不思議なもので、苦労の感じ方が180度転換するのでした。

神戸らしさに溢れた上品服

>>つづきます。

#オープン社内報


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