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夜天を引き裂く #8

  目次

 昼休み。
 中庭のベンチにて、絶無は黒澱さんと並んで弁当を広げている。
 すでに病院での顛末はあらかた話し終えていた。
「そしてこれが、秋城風太から強奪したモノです」
 掌を開いて、彼女に差し出す。
 奇妙な物体だった。親指よりやや大きい程度の小瓶である。中にはミイラのように痩せ細った小動物が入っていた。
 一見するとネズミのようにも見えるが、前肢から皮の翼が生えている。干乾びてほとんど破れていたが、万全の状態なら空を飛ぶことも出来そうだ。全身は古びた紙のようにぱさついており、すでに死んでいるようにも見える。しかしよくよく目を凝らせば時折苦しげに痙攣していた。
 小瓶を持つ手を通じて、認識子グノシオンを流し込んでやりながら、黒澱さんはノートをこちらに掲げる。
『間違いありません、この子は悪魔です。微弱な認識子グノシオンの波を感じます。』
「では、もはや秋城風太が堕骸装アンゲロスとなることはないと考えて良いようですね」
 こくこく。
 残る問題は、悪魔を堕骸装アンゲロスに貶めてバラまいている黒幕。
 ――界斑璃杏。
 病室での一幕の後、絶無は橘静夜と共に、界斑璃杏の家へ乗り込んだ。
 しかし案の定、すでにもぬけの殻であった。家宅捜索の結果、いくつか興味深い事実が判明したが――まぁそれはともかく。
 現在は、下僕数人を奴の家の周囲に張り込ませ、さまざまな角度から交代制で監視させているものの、動きはない。
 まぁ、どうでもいいことであった。
 正直、あんなクズのために脳細胞を働かせるのは大いなる浪費である。
 それよりも、目の前にいる美しいものを愛でる方がよほど有意義と言わざるを得ない。
 認識子グノシオンの供給が終わったのか、黒澱さんはふぅ、と息をつく。見ると、干乾びたコウモリはわずかに血の気を取り戻し、苦しげな痙攣も鳴りを潜めている。彼女自身にもそれほど余裕があるとは思えないのだが……絶無には想像を絶する心理である。
 黒澱さんに手を伸ばす。
「おや、落ち葉が」
 もちろん嘘である。
 わざと彼女の目の前を通るように手を移動させ、反対側の肩を軽く払う。
 息を呑むかすかな音。ぬるぬるとした視線が触手を伸ばし、絶無の指先に絡みつく。
「珍しいですね、こんな季節に」
「……っ」
 ぷいっ、と。
 彼女は顔をそむける。すでに鮮やかな紅が頬にあしらわれている。
「いやぁ、しかし暑くなってきました。そろそろ夏服も検討に入れなくてはなりませんね」
 心にもないことをうそぶきながら、黒澱さんの顔を手で扇ぐ。
 悪魔の炎を隠す黒絹のような前髪が、わずかに揺れる。
 その時、絶無のスマホがドナドナの着メロを奏で始めた。
 思わず、舌打ちする。いいところで。
 このメロディは、下僕からの連絡か。通話ボタンをドラッグする。
『絶無さま。ご報告いたしますわ』
 華道部ちょうほうきかん部長の詩崎であった。声を潜めている。
 しかし、華道部には今のところ命令など与えていない筈である。界斑璃杏の家を、念のため下僕どもに交替で監視させてはいるのだが、この時間は華道部の当番ではない。
「なんだ。重要なことか」
『はい、先日、絶無さまの捜査をお手伝いさせて頂いた折、六名の殿方が重要人物として浮かび上がってきたかと思います』
「あぁ、それがどうかしたのか」
 片手で黒澱さんの顔を扇ぎつづけながら、絶無は問いかける。
『その六名を含む十人程度の集団が、今しがた校門を乗り越えて学校内に進入いたしました』
 絶無は眼を細めた。
「その中に女の姿はあるか?」
『はい、一人だけ。とても可愛らしい女の子ですわ』
 ――仕掛けてくるつもりか。
 もはや扇ぐと言う体裁もなしに黒澱さんの目前で指をふらふらと振りながら、絶無は眉をひそめる。
 界斑璃杏と彼女の制御下にある堕骸装アンゲロスたちがどのような能力を持っているのか、絶無にはわからない。
「そいつの風体は」
『ええと、ごすろり、というのかしら? あの装い。黒いふりふりしたドレスを着ていて、お人形みたいなお化粧をしておられました。背丈はとてもちっちゃいものです』
 重い重い溜息をついた。
 なに、それ。
 暗澹たる気分になってくる。
 浮世離れした残虐な美少女でも装いたいのか? チョイスが短絡的で、底が浅すぎる。
 どうせゴシックの精神性など欠片も理解せずになんかそれっぽいから着ているに決まっている。
 反吐が出そうだ。
「そいつらは危険人物だ。絶対に近寄るな。距離をとって女を監視しろ」
『了解しましたわ。動きがあったら連絡いたします』
 はむっ、と。
 指先に、熱く湿った感触が広がった。ぷにぷにした味覚器官が柔軟にうねり、指の質感をなぞっている。
「釣れた……」
『なんですの?』
「こっちの話だ。何かあれば連絡しろ」
 通話を切る。
 隣に目をやる。
《あまい/あまい/こりこり/ふにふに/しあわせ/ぬるぬる/ねっとり/あまいの/こいいの/しあわせなの♪》
 甘美な予感。このままじっとしておけば、きっと自分の指先は、甘やかに溶けてなくなり、彼女の一部となるのだ。
 その想像に、ぞくぞくとした。
「食べても、いいですよ?」
 声を掛けると、彼女はびくりと肩を震わせた。
《えっ/あれ/うそ/たべていい?/あれ/やだやだ/どうして/たべてもいいの?/やだやだ/はずかしい》
「ほら、歯を立てて。ゆっくりと顎に力を込めましょう。皮膚は破れ、肉は痙攣しながら潰れ、甘い血が口の中いっぱいに広がりますよ……」
 んく、と彼女の喉が動いた。
 強烈な葛藤が、黒澱さんの中で渦巻きだす。
 やがて、前歯が震えながら指の付け根に、あてがわれた。
 全身の血流が、ごうごうと音を立てるような心地。
 ――その時、足音がした。
 巨大な影が二人を覆う。
「おい久我、昨日のことだが……て、お前は何をしている?」
『静夜、男女の絆にはさまざまな形がありうるのです。あまり気にしないのが一番です』
「~~~~~~~っ!」
 両手で顔を覆い、逃げ去ってゆく黒澱さん。
「……デリカシーのない野蛮人どもめ。貴様らのせいで黒澱さんが逃げてしまったではないか」
 わりと本気の殺意を漲らせながら、絶無は闖入者を睨みつける。
 色彩という概念を削ぎ落とされたような肌と白髪。長身痩躯。しかしそれは極限まで凝縮された筋肉が強靭に漲っている証左でもあった。
 橘静夜。制服姿が似合わないことこの上ない偉丈夫である。
「邪魔をしたのは悪かったが、命を狙われている時に女といちゃつくのはどうなんだ」
「ふざけるな。あの方を喜ばせる以上に重要な案件などこの宇宙に存在しない」
『意外ですね。あなたは自分が一番大切な人間かと思っていましたが』
「ついこないだまでなら、誇りを持ってそうだと断言していたところだがな」
『ふふ、相変わらず人間とは不合理な生き物ですね。そんなところが実に愛おしい。今風に言えばブヒるというやつです』
 なんだこいつ。
「……それで、何の用だ。くだらんことならお前らの耳を引き千切るぞ」
 無論、本当に耳を引き千切る理由など宇宙のどこを探しても見つかりそうにないが、「こいつならやりかねない」というイメージ作りを普段から行っておくのは重要である。万事につけて意志を押し通しやすくなる。
 しかしそんな恫喝も、橘にはいかほどの感銘も与えなかったようだ。
「そうやって自分から他人を遠ざけて何がしたいんだお前は。……昨日のやりとりで、敵の狙いはお前に絞られた。つまりお前のそばに張り込んでおけば、黒幕の、あー、界斑なんとかとかいう女に行き当たるわけだ」
「いらん。失せろ。あのカスは僕が始末する」
「勘違いするな。お前のためではない。いや……ついでに守ってやるくらいならやぶさかではないが、俺たちの目的はあくまで界斑なにがしの凶行を止めることだ」
『極論すれば、あなたをオトリにして敵をおびき出したいわけです』
 道化の化粧のように刻み付けられた目元の傷跡が、目蓋の動きにあわせて伸び縮みする。
 絶無はじっとその様子をねめつけながら、ひとつ息を吐き、腕を組んだ。
「……何故だ?」
「何故、とは?」
「お前らは何故そんなことをする? 何か得があるのか? それとも何かの信念のもとに動いているのか?」
 しん、とした沈黙が、降り積もってきた。校舎から聞こえてくるざわめきだけが、遠く大気をどよもしている。橘静夜は無言で、絶無の隣に腰を下ろした。
「……かつて、奪われ踏みにじられる側だった。力を得た今でも、その時の悲しみと惨めさを忘れたくないと思っている」
 重い石を吐き出すような口調だった。ゆっくりと、自らの胸を抑える。
 そこに、なにかあるのだろうか。庇うような手つきだった。
 明らかに無意識の動作である。常日頃から胸を庇いつづけているようだ。
 ――心臓、か? 病気というわけでもなさそうだが。
 絶無は目を細めた。
「その正義感だけで、自分を犠牲に出来るか?」
「さてな。はっきりいってザラキこいつは強い。大抵の悪魔は一蹴できる。今まで『自分の命を投げ打たなければ他人の命を救えない』ような状況に陥ったことがそもそもない。だから、いざそのときになって自分がどういう行動を取るかは、正直わからん」
 ――ほう。
 絶無は少しこの青年を見直す。偽善者は、嫌いじゃない。少なくとも、善意を表明する勇気は評価できる。発狂した猿のように偽善偽善言いながら他者の荒探しをするだけの無能と比べたら、人間的にはずっと格上である。
「まぁ、二者択一を迫られたときバカ正直に片方しか選べないような奴は、ヒーローとしては二流だと思うがね」
 気負いもなく、そう言ってのける。
 絶無は、軽く目を見開いた。
 それから目を閉ざし、深く呼吸した。空気の味が、どこか変わっている。肺腑に清澄な気が満ちている。
「同感だな。危機管理ができてないからそういう破目に陥るんだ。怠惰な無能だけが『葛藤』とやらを神聖視する」
「そりゃ言いすぎだ」
「ふん」
 絶無は静夜の腕に目をやった。青銀色の分厚い手錠がはめられている。
「で、お前は? なぜこの男に力を与えた?」
『さて、小生はとりあえず認識子グノシオンさえ頂ければ特に文句はありませんので』
 ――嘘だな。
 即座に見抜く。そして、こちらが見抜いていることを、ザラキエルは見抜いている。要するに、何か確固とした目的があるのだが、それを今この場で教えるつもりはない、と。
 そういう意思表示なのだろう。
「……そうか」
 視線を前に戻す。校舎の陰から、黒澱さんが顔をのぞかせてこっちを見ている。
 まぁそれはともかく。
「久我、次はお前の番だ」
「なに?」
「お前には戦う理由などないように見えるがな。なぜそこまで悪魔のいさかいに首を突っ込もうとする?」
「理由ね、ふん」
 絶無は、目を細める。
 今までずっと渦巻いてきた思いを、どうにか言葉にしようと、思案を巡らせる。
「――才能、というものについて、お前は考えたことがあるか?」
「さい、のう? 持って生まれた、の才能か?」
 うなずく。
「僕はな、橘。中学のある時期まで、自分のことを天才だと思っていたんだ。周りの同級生たちに比べ、僕はありとあらゆる分野で圧倒的なまでに優れていたからな」
「……それで」
「加えて、僕の父親は『人としての臨界を極めた』と称しても過言ではないほどの万能者であった。彼の業績をいちいち列挙することは避けるが、この国に息づく国債や株式の半分は彼を盟主に仰ぐ組織によって買い支えられていた――という控えめな表現は付け加えておくとしよう。無邪気にして単純な当時の僕は、自らを生まれながらの強者であり、偉大な父の偉大な血によってあらゆる成功を約束された存在なのだと考えていたんだ」
「……その父親話の真偽はともかくとして、それで? 中学で自分以上の天才にでも出会ったのか?」
「いいや、会えなかった。会えていればどんなに良かっただろうと思うがな。周りの連中の低脳ぶりに対しても、当時の僕は寛容だったよ。『彼らは自分とは違って、天才ではないのだ。だから仕方ないのだ。彼らは彼らなりに精一杯頑張っているのだ。仕方ないのだ』……そう自らに言い聞かせながら、誰に対してもニコニコと愛想良く接していたものさ」
 今にして思えば、まったく、我ながら吐き気を催すほど醜悪な精神だった。
「だが――違ったんだ」
「違った?」
「ある日、父は僕に言ったよ。よく頑張っているね、と。感心感心、とも」
 静夜は不可解そうに眉をひそめた。
「それが、なんなんだ? よくわからんが、父が子にかける言葉としては普通のもののように思えるが」
「僕は、こう返した。なにも頑張ってなどいません。すべてはあなたの血がもたらした成功です、と。それは偽らざる本心だった」
 そして、その事実が、突きつけられた。
「父はしばらく黙った後、こう言った」

 ●

 ――そろそろ、話してもいいかもしれないね。

 腕を組み、父は穏やかに微笑んだ。

 ――絶無くん。君はきっと、謙遜をしているつもりはないんだろうね。謙遜とは卑怯者のすることだと、そう考えているね?

 もちろんです、と絶無はうなずいた。死んでも謙遜なんかしません。

 ――だけどね、君の今の発言は、図らずも謙遜になってしまっているんだよ。悲しいことにね。

 どういう、ことですか?

 ――絶無くん。僕の愛しき子よ。よく聞くんだ。君は、僕の血を引いていない。

 え。

 ――君はね、昔死んだ僕の戦友の、忘れ形見なんだ。僕と君は、本当の親子じゃないんだよ。

 それまで絶無を優しく包んできた世界に、罅が入った。
 ひょっとしたら、それは世界などではなく、卵の殻に過ぎなかったのかもしれない。

 ――絶無くん。僕はね、ちょっと心配になっているんだ。君はあまりにも〈彼〉に似ている。

 〈彼〉……

 ――そう、君の血縁上の父親のことさ。

 いったい、どんな人物でしたか。やはり僕と同じく天才でしたか。

 ――〈彼〉はね、ひたむきな頑張り屋さんだった。僕に比べれば恐ろしく不器用で、要領の悪い奴だったけど、それでも人の十倍努力し、人の十倍有能だった。君と同じだね。

 そんなはずはない。僕はクラスの面々と同じだけの努力しかしていません。なのに僕のほうが圧倒的に優秀です。つまり僕は天才なのです。

 ――絶無くん。例えば君は、テストで百点を取るためになにをしている?

 教科書を丸暗記します。誰でもしていることです。

 ――いや、しないよ? 普通の人は教科書丸暗記とかそういうことはしない。文法とか公式とか、核となるシステムだけを覚えてなんとかやりくりしているんだ。

 馬鹿な。それじゃあ完璧には程遠いじゃないですか。失点を犯すリスクが大きすぎる。

 ――そうだよ? だから彼らは満点が取れないんだ。君と違ってね。当然の帰結さ。

 な……に……?

【続く】

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