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絶罪殺機アンタゴニアス #4

  最初

つみ

1.
人間がしてはならない行い。 「彼には―もとがもない」
法律・おきてにそむく行い。 「―を犯す」
道徳や宗教の教えにそむく行い。 「人は―が深いものだ」
むごいこと。 「―なことをする」
2.
正しくない行いをした結果として、問題にされるもの。
3.
形而上的不均衡。相応しい報いを受けるまでの間、落差を生み、流動を生むもの。

 遥かな太古。かつてホモ・サピエンスが地上で暮らしていた時代――その末期。
 およそ資源と呼べそうな物をことごとく食い潰し、しかし文明を退行させることに我慢ならなかった人類は、死に物狂いで活路を探し求めた。それは無からエネルギーを生じさせる不条理にほかならず、この宇宙がいかにして誕生したのか――その究極の謎を解き明かすにも等しい不可能事だった。
 時間とは何か。空間とは何か。物質とは何か。エネルギーとは何か。
 根源的なそれらの問いに、ある時点で人類は手を届かせたという。
 遠い遠い過去。もはや神話と同義の時代の物語だ。
 その時何が起こったのか。今となっては確かなことはわからない。
 だが――メタルセルユニット構造の電子神経網の深層には、表音文字と表意文字の神秘的な混交によって紡がれる古代言語にて、謎めいた箴言が残されていた。

 ――「無」とは均衡である。「有」とは不均衡である。我々が存在していること自体が対称性の破れにほかならず、この理を越えて生存するには、因果応報の原理を拒絶せねばならない。

 その意味を理解している者は、恐らく一人もいない。ただ、古の自動生産プラントから日々吐き出されてくる奇妙な物体を、しかるべき機器に接続し、しかるべき条件を満たした時、それは無限の動力源となりうることを人類は「再発見」した。
 罪業変換機関、と呼ばれている。
 機関、と言っても、機械装置ではない。有機物――ありていに言って肉塊である。
 ひとかかえほどもある、皮を剥かれた胎児のごときフォルムの、ひくひくと痙攣を繰り返す、臓器めいた存在。
 人が犯せし罪を取り込み、熱エネルギーへと変換する、奇跡の具現。
 罪業変換機関の再発見と実用化によって、メタルセルの狭間で滅びを待つばかりであった人類は、息を吹き返した。
 滅亡の淵より脱し、金属質の無限の迷宮の中に、新たな産業と社会と政体を構築することに成功した。
 水は循環し、空気は清浄化され、食物は即座に合成され、人々は再び文明の光の中で安楽な暮らしを享受できるようになった。

 同時に――この世は地獄と化した。

 最初は殺人者たちを罪業変換機関に接続しているだけで良かった。それだけで、都市機能が要求するエネルギー需要を完全に賄うことができた。
 だが、餓えや、渇き、寒さや、放射線による脅威から解放された人類は際限なく数を増やし、充実した教育と法治は犯罪の発生を最小限に抑止した。結果、需要に対し供給が一切追いつかなくなり――最初の罪業依存社会は崩壊した。
 革命と、無秩序と、虐殺の嵐が吹き荒れ、休眠を余儀なくされていた罪業変換機関はにわかに息を吹き返した。
 そうして、「人権」を一部の貴族のみが有する特権とし、臣民たちへの管理統制された殺戮行為をもって社会を維持する「血の封建制度」が成立したが――百年と経たぬうちに瓦解した。「罪」とは人間が己を律するために造り出した虚構である。現実的必要性と、法的根拠によって完全に正当化された虐殺は、誰の目にも「罪」とは映らず、罪業変換機関の燃料にはなりえなかったのだ。
 殺人者がいなくば文明を維持できないにもかかわらず、原則として殺人を禁止しない社会は存続しえなかった。この矛盾に人類は苦悶しつづけ、しかし罪業変換機関にすがる以外に生き延びる方法は皆無であった。

【続く】

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