鏖殺縁起・滅尽収束環
早く。速く。迅く。疾く。
見る間に、ヤビソーの腹部より大量の血が流れ出て、膝をしとどに濡らしてゆく。
俯いた上半身がゆっくりと起き上がる。腸が腹圧でまろび出てくるさまが見て取れた。
『ダメだッ!!』
テメーの命を奪っていいのはオレだけだ。
よしんばそうでなくとも、殺し合いの果てに喪われなくてはならない。
テメーは、一体、なんのために強くなったんだ。ヒョロカスの分際で、どうしてそこまで殺しの技を磨いた。
譲れないものがあったんじゃないのか。どうしても守りたかったんじゃないのか。
その想いの欠片、煌めくひとつひとつを、ヴォルダガッダは尊敬していたのに。
『戦って、死ぬためじゃねえのかよォッッ!!』
一刻の猶予もなかった。ヤビソーの命が、くだらない自殺なんかで潰える前に。
花が、散ってしまわないうちに。
せめて、美しいままで。
――鏖義・開眼――
その瞬間、ヴォルダガッダはすべてを悟った。生きる意味も、死ぬ価値も、自分のすべてはこのためにあったのだと、静かな納得が広がった。無意識の中で出来上がっていたものが、敵手の自殺という最大の冒涜を前に、今ようやくはっきりと意識の上で理解された。
『――青らむ天のうつろのなかへ かなたのやうにつきすすみ――』
今ならわかるから。
ヤビソーから、学んだから。
生きとし生けるものの、尊厳を守る。
無常のさだめに囚われたテメーを、救う。
オレの手で。テメーを永遠にする。
そのために。ただそのためだけに、オレは生まれてきたんだよ。
存在の、固定。
――存在が存在するために必要なものは何か。
それは、二つの幅である。
時間という幅と、空間という幅だ。
このどちらかが欠けたとき、存在は存在することをやめる。
『――すべて水いろの哀愁を焚き さびしい反照の偏光を截れ――』
縁起。無我。あるいは因果律。あるいは刹那と極微の相互交換可能性。
一秒という時間の中に、この宇宙すべてが存在している。
一時間という中にも、この宇宙すべてが存在している。
百年、一万年であろうと同様だ。
どのような長さの時間の中にも、同じ大きさの宇宙が存在している。
また同様に、爪の先ほどのわずかな空間の中にも、この世界すべてを包む空間の中にも、等しい量の時間が内在しているのだ。
『――日輪青くかげろへば 修羅は樹林に交響し――』
一見して等価交換則が成り立っていないにも関わらず、この宇宙は破綻しない。それは何故か。
今ならわかる。
「原因」と「結果」の区別のようなものだ。物事をこの二つに分ける考え方はわかりやすいが、一部に欺瞞を孕んでいる。
ある「結果」が、次の何かの「原因」となるように、この世に「結果でしかないもの」や「原因でしかないもの」は存在しないのだ。
「時間」と「空間」の関係も、これに近い。
両者はそもそも厳密に区別ができるものではないのだ。
『――陥りくらむ天の椀から 黒い木の群落が延び――』
ゆえに、ヴォルダガッダは永遠を理解した。
もしも「原因でしかないもの」と「結果でしかないもの」がありえないのだとしたら――究極の原因たる「宇宙の始まり」や、究極の結果たる「宇宙の終わり」もまた、ありえないことになる。
で、あるならば、時間とは大いなる円環を描いて回帰するものである――そう断言できるということだ。
つまり時間は無限である。
これに対し、空間は有限である。この宇宙の総容積がいかほどのものであるのか、ヴォルダガッダには計り知れないが――それでもどこかに果てはあるはずだ。
『――めいめい遠くのうたのひとくさりづつ 緑金寂静のほのほをたもち――』
この非対称性に、答えはある。
時間が無限であるのに対し、空間が有限であるのだとすると、物体を構成する微塵の配置、並び方が、まったく同一の瞬間というものが何度も無限に繰り返されてきたはずである。
永劫に回帰する輪廻こそが宇宙の実相。
だが、その構造の中で、ヤビソーが存在している期間はほんの一瞬である。それ以外のすべては、ヤビソーの存在しない無意味で空虚な時間である。無限と、永遠は、違う。
ヴォルダガッダには、それが我慢ならなかった。
『――これらはあるいは天の鼓手 緊那羅のこどもら――』
解脱せしめねばならない。
ヤビソーという存在を、永劫回帰の軛より解き放ち、常に在るものとして存在を固定せねばならない。
自分には、それができる。
時間と空間を貫く重力――すなわち縁起を駆れば、回帰の環より外れた場所へ葬送できる。
それは、涅槃であり、事象の地平であり、金輪際であり、特異点であり、無憂樹と沙羅双樹の狭間にあるもののすべて。
それを成すための、一連の動作。
『――すべてさびしさと悲傷とを焚いて ひとは透明な軌道をすすむ――』
神統器〈終末の咆哮〉の存在に占める時間と空間のうち、空間軸の幅だけを無限大に拡張する。
ほんの一瞬の時間の中に占める、紅き戦鎌の存在密度を際限なく上げてゆく。
質量はそのままに、物質の中に含まれる縁起だけが際限なく増大してゆく。
縁起とはすなわち因果律を導く力である。いわば時間軸に作用する重力だ。
あらゆる時系列の万物万象が、この鏖義を発動した瞬間に引き寄せられてくる。
ヤビソーも例外ではない。そこに、引き寄せられる。血色の鎌の、刃先へと。
ただひとつの結果だけを目指して、そこに落着する。
ゆえに号す。真に誇っているから。
殺しの手段に、名前を付ける。
『――鏖殺縁起――』
生まれて、初めて。
今わの際の、最期の最期に。
自分と縁を結んだすべての衆生への感謝を乗せて。
高らかに、力強く。
『――滅尽収束環ァァァッ!!』
六つの手に握られた六振りの鎖鎌が、のたうちながら世界を瞬断する。鎖を構成する鉄環のひとつひとつに埋め込まれた紅玉が発光し、星々の運行のごとき精緻にして荘厳なる幾何学模様を描く。それらはすべて無明と無常、そしてそれらを打ち砕く真理と悟りを描いた胎蔵界曼荼羅としての構造を持ち、煉獄滅理の法を解脱に至る道しるべとして機能させる。仏法への歪んだ回答。生きることが苦であるのなら、なにも難しく考えることはない。在ることを止めればいい。わざわざ修行を重ねて涅槃に至るまでもなく、解脱の道はすぐそこにある。オレがテメーを救いに導く。バラバラに砕き、輪廻の環の全域にばら撒く。
今まさに捻り出された一閃は、そういうものだ。
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