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閉鎖戦術級魔導征圧者決定戦 #15

 

 全身が緊張に強張り、みじろき一つできない。二日前に戦った時とは比べ物にならぬ圧迫感。口の中が渇く。
 動かなければならない。
「……ッ……」
 ウィバロを睨みつけると、歪に彎曲した捕食者の牙のような眼が出迎えてくれた。それだけで、つばも飲み込めなくなった。
 不意に、彼の指先がわずかに動く。なんら意味のない些細な動きに危機感が反応する。
 闘技場を揺らす轟音が聞こえたような気がした。
 突き動かされるように床を蹴り砕き、踏み込んだのだ。瞬発的な加速によって視界外周部が放射線状に掻き消える。
 何の策もありはしなかい。ただ、あの微動だにできない状況から生まれた強迫観念が、冷静な思考力を奪っていた。
 魔力の迸りが瞬いたかと見えた瞬間、全身を突き抜ける衝撃が視界を撹拌する。体が冗談のように高く宙を舞う。呪弾式の直撃を受けたらしい。
 ――当たり前だ。なんにも考えずに直進したんだから。
 そして、自分が地面に叩き付けられるまで待っていてくれるほど悠長な相手でもない。
 レンシルは空中で不格好に抜剣の形相を組むと、紅刃を抜きざまに打ち下ろした。追撃の呪弾式が斬り散らされる。
 それで終わりではなかった。
 下方から間断なく飛来する連撃。魔導剣を縦横に閃かせて迎撃する。強烈な手応えと反動に腕が軋む。次々と斬裂する術式の向こうで、ウィバロが腕を悠然とこちらに向けていた。体がゆるやかに落下を開始する。
 ひときわ力を込めて剣を振るうと同時に、ようやく到来した着地の衝撃が体勢の均衡を崩した。
「くっ」
 間髪入れずに撃ち込まれてきた弾が障壁に直撃する。後ろに押し倒しにかかる慣性を後転で逃がし、そこへ狙い澄ましたかのように急襲する砲撃を、起き上がりざまに斬り上げて破壊した。
 息が上がる。
 一瞬の攻防でニ発もまともにもらってしまった。仮想質量障壁の強度を単純に数値化するなら、半分ももっていかれたことになる。あきれた威力だ。
 レンシルが対応策をひねり出す前に、容赦のない連射が再開された。慌てて横に跳ぶ。
 しかし、そこには先読みして撃ち放たれていた呪弾式が待っている。
 きた。
 レンシルは確信を持った。
 砲弾に光刃を叩き付け、爆ぜる魔術弾の余波を浴びながら。
 ――やっぱり、わたしが回避を始めるより前に射出されている。
 どういうわけだか。
 一瞬にして考えをまとめる。最も単純な対応策を採ることにした。

 ●

 それゆえフィーエンは、五感の希薄化が起こった時、抗わなかった。
 視覚が薄れ、聴覚が薄れ、触覚が薄れ、嗅覚が薄れ、味覚が薄れ、世界が漂白される。
 視覚が消え、聴覚が消え、触覚が消え、嗅覚が消え、味覚が消え、世界は消える。
 ――さぁ。
 記憶の石よ。滅んでしまった竜よ。
 僕に。
 何を?

 明滅。

 フィーエンの意識を壮大な情報の大瀑布が打ちのめす。それは誰かの見た光景であり、誰にも聴かれなかった音であり、多くの者が触れた感触であった。胸の締め付けられるような情動のうねりがあり、ひどく機械的な事実の羅列があった。そして、まったく意味の把握できない不可解な要素が大多数を占めている。やがてそれら無数の情報達は相互に作用し合いながら、ひとつの情景へと統合されてゆく。ひとつの意味を形成してゆく。
 そこは、林立する建造物の合間に存在する袋小路の一つであった。陽光はほとんど届かず、ひんやりと薄暗かった。工業地区らしく、かすかに油の匂いが漂っていた。路の片隅には、工業用魔導作業機械がその鈍重な輪郭を崩してうずくまっていた。それらは感覚を通じてではなく、客観的な情報群としてフィーエンの意識に与えられていた。その証拠に、五感では知りようもない事実――この裏路地がフィーエンの住む都市の一部であることや、この情景が過去に実際に在ったものであることなども、フィーエンは知っていた。少年は肉体を持たず、極めて明確に明晰にその情景を解釈できた。
 男が立っていた。魔術士が好んで使う長衣に身を包んだ、三十がらみの男であった。見たことのない人物であったが、どこか覚えのある顔立ちだ、と思えた瞬間、その男がフィーエンの父親であるという情報が少年に与えられた。
 ――そうか、この人が。
 彼は、奇妙な存在と対峙していた。子供の背丈。合成樹脂の体躯。球体関節。感情なき貌。一見して玩具のように見える影。しかしその正体は、見た目とはかけ離れたものであった。それは、ある魔導学者が記述した魔導構文であった。二種類の複合呪紋――『情報の取捨選択』と『結果の原因への帰結』――を相互に関連づけることによって自動的に情報を流動させようとする試みの、ゆきすぎた成功例であった。付与された効果は“彼”に己自身を認識させていた。彼は思考する文章であった。

【続く】

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