終極決闘 #4
言うまでもなく今のヴォルダガッダの本体は汚染幽骨ではなく魔導大剣の方である。悪鬼の王は、己自身を武器として繰り出し、叩きつけてきているのだ。
その鍔元に埋め込まれた一抱えもある宝玉の内部に、まるで琥珀の中に捕らえられた虫のごとく、奴の脳髄が埋まっている。
刃を通じて伝わってくる衝撃を、脳で直接感じている。
――大陸系の武術には、「聴勁」と呼ばれる境地がある。
打撃や組み合いで相手と接触した点から伝わってくる反動と衝撃の方向および質を解析し、次の行動を予測する奥義だ。
それに気づいた瞬間、総十郎は生涯で初めて、己の死を確信した。
この拮抗に、総十郎の腕力も意志も介在していない。すべてヴォルダガッダがシナリオをお膳立てた、予定調和のやり取りだ。
お互いがお互いの出しうる手を完全に知悉し、最適解のみを交わし合う。
極めて高度に完成された二人零和有限確定完全情報ゲーム。
――五十二手先で、詰むな。
そのことが分かっていても、もはや逃れられない。血の神の撃ち込みを反撃に展化し、相手に対処を強いることで次の太刀筋を限定する。それ以外に目先の死を回避する方法がないのだ。間合いを取ろうとして少しでも違う動きをした瞬間、さらに深く踏み込んで放たれる一閃への対処が後手に回り、選択肢がより狭められ、死期が早まる。
この剣闘において優劣を分けたのは、ひとえに殺意の深さであった。
総十郎にとってヴォルダガッダは、やや面倒なだけの障害でしかなかった。首を刎ねられ死んだと聞いて、それきり頭を過ることすらなかった。
だが――ヴォルダガッダにとって総十郎は、生涯で初めて向き合った他者で、初めて生きることに意味を吹き込んでくれた恩人で、こいつを殺せるなら死んでもいいと思わしめた存在で。
――あぁ、わかるぞ。存分に、感じ取れるぞ。
ヴォルダガッダが、どれほどの思いで今この場に立っているかを。
どれほどの思いで、総十郎との邂逅から現時点まで生きてきたのかを。
どれほど鍛錬を積み、どれほどのものを捨ててきたのかを。
決して多くはない脳のリソースを、常に総十郎との模擬戦闘に費やしてきたのだ。
そのせいで、本来はもっと善戦できたであろうギデオンに、一瞬で討ち取られる結果を招いたとしても。
それでも、ヴォルダガッダはそうしたのだ。
そうする以外になかったのだ。
あるいはそれは、雛鳥が最初に見た者を親と認識するがごとき、刷り込みだったのかもしれない。だがそれでも、ここまで深く強く純粋に思われた経験は、総十郎にはない。
奴の頭に、打算などが入り込む余地は微塵もない。
欲望などからかけ離れた、純然たる、透き通った、結晶化した、胸を締め付けられるほどの――殺意。
欲求を越えた、欲動。何のための手段でもない、ただ究極の目的。
無垢なる祈り。
――わかった。小生の負けだ。
根負け、するしかないだろう。
もはやヴォルダガッダにとって、生きるとは総十郎を殺すことなのだから。
「おぬしを殺す。」
言葉の形で、敬意と決意を表明する。
生まれて初めて、何かを守るためではなく、ただ殺すために殺す。
この者の命には、それだけの価値があると認めたから。
●
自分は、勝つために刃を振るっているのではない。
自分は、負けるために刃を振るっているのでもない。
ヴォルダガッダは、血の神アゴスは、たまらないほどの高鳴りに身を震わせる純乎たる魂は――ひとつの確信のもと、緻密に組み上げられた機械装置のごとく、剣舞を演じている。
噛み合う歯車のように、刃と肉体が旋回し、巡り、力を伝え、力を返し、必然的な結末に至ろうとしている。
勝ち負けではない。
相克ではない。
これは、二人で協力して、一つの終局を導き出す、そのための計算式を舞っているのだ。
勝敗は、その後に残る滓に過ぎない。
あぁ、違うな。
勝ちたい、という気持ちが、今この瞬間、腕をほんのわずかでも強く迅く振るう原動力になるのなら、それはそれでいい。
きっといろんな闘い方が、ある。だからこの世界は生きるに値するのだ。
だが、自分はそういうタイプではない。
この死闘の果てにどういう結果が待ち受けているか――などと、そんな遠い未来のことを実感として考えることができない。
今この瞬間、この呼吸を完璧以上に行い、体を動かす力に変えられるなら、肺が破れてもいい。
今この瞬間、この踏み込みを過去最高の精度で成し、体重移動のエネルギーを刃に乗せられるなら、足が折れ砕けてもいい。
今この瞬間、この逆袈裟でヤビソーの胴を両断できるなら、もう今すぐ死んだっていいのだ。
こいつがいたから、今の自分がある。
こいつのおかげで、オレはここまで来ることができた。
だから、オレの全部を、こいつにぶつける。
生き方。苦痛の量。哀しみの量。そういったものをぶつけ合う。
どうだ、ヤビソー。オレのこれまでの道行きは、お前の胸を震わせられているか。
満たされず、共感されず、高揚を知らず、共感できず、求め続け、期待し、裏切られ、しかし折れず、諦めず、殺して、殺して、殺し続けた。
そのすべてを、斬撃に込めよう。
オレの生は、お前に何かを刻めているか。この時間を、価値あるものと感じさせてやれているか。
たまらなく愛しい、この一瞬一瞬を、オレたちは分かち合えているか。
あァ、いい返し太刀だ。はらわたと、魂にズンと響く。お前の桁外れの才と、たゆまぬ鍛錬と、想像もできないほどの実戦経験――それが、わかる。
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