#179_【まちあるき】トマソンをさがしに
前回書きはじめた「超芸術トマソン」に関する書評の続きです。
いま一度、「トマソン」の定義をおさらいしましょう。
かなり広範囲にわたる定義で、分類も多岐にわたりますので、具体的にはこの後紹介しますが、釣りに行って「ボウズ」だったら嫌いになってしまうのと同様、「トマソン」も探しに行ったのに見つからなかったら気分が下がりますので、まずはどのようにすれば見つけられそうか、考えていきましょう。
先日「コテンラジオ」に対する感想を書きながら、「当時の価値観を考慮せずにいまの価値観を当てはめようとしたり、出来事を結果から逆算するロジックで解釈したりするのは反則である」という、歴史に向き合う時の前提を書きました。
しかし、「トマソン」に対して当てはめてはいけません。
変化が構成要素になることや、発見者の才能により見え方が変わってくると考えますと、文化財や美術品よりも廃墟に近しいと考えて良いと思います。
「以前は●●だったものが、時が経って××なり、現在・・・な姿になっている」と、そこには様々な足し算や引き算がなされた積み重ねがありそうです。過去には普通に機能していたものが、ある時ハシゴを外されて無用なものになったり、無用だから存在を消されたはずだったものが、何かの拍子で表に出てきたり。
そして、前回の記事で紹介しました「麻布谷町」の再開発のように、モノ単体を超えて、変化の過程そのものが「トマソン」になってしまうこともあります。
その中では、当時の価値観がどうだったとか、いまの価値観だけで語るなとか堅苦しく考える必要はなく、むしろズレて組み合わされたギャップからわくわくや新しいものが増殖される、それが「トマソン」なのだろうと思います。
所詮は無用の長物ですし…(゚∇゚;)☆\(-_-;)。
さて、社会現象レベルに発展していった「トマソン」ということで、「超芸術トマソン」以外にも、数冊関連本が出版されています。
ひとくちに「トマソン」といっても色々なカテゴリがありますが、ここから先は「トマソン」の写真満載の「トマソン大図鑑」無の巻・空の巻を参考にしながら、私がまちあるきで見つけた「トマソン」を一気に紹介していきたいと思います。
キャプションに地名の記載がないものは、すべて厳原で撮影したものになります。意外と撮れ高が多く驚きました。
なぜなら、赤瀬川先生が言語化されていますが、トマソンは都市部ほど見つけやすいからです。
まぁ、厳原は対馬の大都会ですが…(゚∇゚;)☆\(-_-;)。
ちなみに、以下の写真は、おそらく「トマソン」に分類されません。
いかがだったでしょうか。
書きながら、久々に路上観察の旅に出たくなってしまいましたが、そんな方がひとりでも増えましたら幸いですf^_^;)。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?