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#178_【読書】超芸術トマソン/赤瀬川原平(ちくま文庫)

学校現場はもうすぐ2学期を迎える時期ということで、私もぼちぼち予習をせんばと思いはじめてきましたf^_^;)。

まちあるきの題材を探したいと思っているところなのですが、ここ数週間、暑くて外に出るのがしんどいので、まずは座学だ、となりました。

おさんぽのイベントを企画するのに座学かよ、という感じですが、まちあるきや芸術が好きな方々の界隈では誰もが知る「トマソン」について、深く知る機会がなかったことにいまさら気づき、原点回帰を込めて調べることにしました。


トマソンとは

野球に詳しい方は「なんか違うんじゃねぇか」と思われたかもしれませんが、そのむかし読売巨人軍にいたゲーリー・トマソンという、メジャーリーグから鳴り物入りで移籍してきたものの、スポーツ新聞の見出しでは「トマ損」と名付けられる助っ人がいました。
私は、レジー・スミスまでしか遡れませんでしたがf^_^;)、その前の時代だそうです。語源はまさにこの方と関係しています。

まちあるきや芸術のカテゴリにきちんと当てはめるのであれば、「超芸術トマソン」と表記するのが無難かと思いますが、芸術家であり作家である赤瀬川原平先生らによって提唱された、芸術学上の概念になります。

【対馬にあったトマソン(高所ドア)です。※2階にご注目】

赤瀬川先生は、「超芸術トマソン」 についてこのように説明しています。

芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、超芸術家が、超芸術だとも何とも知らずに無意識に作るものであります。

超芸術トマソン/赤瀬川原平 P25

おそらく超芸術の中の一部門です。正しくは、「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」ということになります。

超芸術トマソン/赤瀬川原平 P26

封じられた建造物ということで「封造物」というのも考えました。忘れられた建造物ということで「建忘物」というのも考えました。都市、つまりポリス、そのポリスにおけるインポテンツの部分として「インポリス」なんていうふうに考えもしましたが、いずれも字余りというか、字足らずというか、なかなかピタリとは収まりにくい。そんなときにふいと浮かんだのが「トマソン」でした。
そうです。ちょうどそのとき、一九八二年、ジャイアンツの四番バッターの座にいたトマソン選手です。扇風機というような失礼なアダ名を付けられながら、しかしよく考えたらその通りです。打席に立ってビュンビュン空振りをつづけながら、いつまでもいつまでも三振を積み重ねている。そこにはちゃんとしたボディがありながら、世の中の役に立つ機能というものがない。 それをジャイアンツではちゃんと金をかけてテイネイに保存している。素晴しいことです。いや皮肉ではない。真面目な話、これはもう生きた超芸術というほかに解釈のしようがないではありませんか。

超芸術トマソン/赤瀬川原平 P26-28

野球ではたいして活躍しなかったのに(人々の記憶には、ある意味刻まれているようですが)、名前だけは野球を超えて独り歩きするという、とても不思議な言葉です。
ちなみに、トマソン選手は三振のシーズン球団記録を樹立したそうですが、1997年清原和博選手に更新されました。

超芸術トマソンが生み出すもの

話を本の内容に戻しましょう。
本の構成は、報告者から提供される「トマソン」の写真と報告書に対し、赤瀬川先生がコメントを加えていくという、ラジオ番組のようなスタイルで展開していきます。

私は、雑誌「Amuse」(毎日新聞社刊)の連載で、赤瀬川先生を初めて知ったので、晩年の丸くなった先生しか存じ上げませんが、昔は銅版で千円札を刷ってしまったほど先鋭的な方だったとか(゚_゚;)。

先生のコメントを読んでいますと、ほのぼのとしたまなざしと鋭い考察が入り交じり、なぜか笑いが起きてしまう不思議な感覚に誘われますが、言葉選びやネーミングセンスが、とても秀逸だと感じます。
例えば、トマソンを基点に「無用門」「四谷階段」など、記憶に残る数々の名言が生まれていますし、名前がつけられることによって概念や人の行動が進化していく「言葉のチカラ」を感じます。
しかも、まさに我々がまちあるきや廃墟めぐりを通じて獲得してきた感覚を、赤瀬川先生は数十年も前に言語化されているのですから、恐れ入ります。

このような言い方は、先生からすると本意ではないのかもしれませんが、本書はおさんぽの古典と言っても過言ではない一冊だと感じます。

この本の見どころ

基本的に1話完結の章立てになっていますが、ところどころ前後の話がつながっている展開もあります。
見どころは色々ありますが、一番腹を抱えて笑ってしまったのは、再開発に巻き込まれた「麻布谷町」の変遷です。現在の麻布界隈に「谷町」という地名はありませんが、首都高の3号線と都心環状線が交わるあたりですね。

本に載っている再開発の写真を見ていると、港区といっても「AVANTI」がやっていた頃の仙台坂周辺や、東京ミッドタウンがオープンした頃の檜町公園周辺でもこんな感じの景色があったなぁと、懐かしく思いました。20年近く前でも、その光景が信じられませんでしたがf^_^;)。

港区の再開発といえば森ビルをなくして語れませんが、私が就活をしていた頃「六六計画」(→六本木六丁目)が終盤を迎えており、会社説明会では地権者らと交渉が数十年にわたり行われてきた歴史が紹介されていましたので、六本木ヒルズの再開発かと思いましたが、現在の「アークヒルズ」になっている地域のお話でした。
ちなみに、アークヒルズのアーク(ARK)とはA(Akasaka)R(Roppongi)K(Knot)だとか。

この本の表紙は、まさに麻布谷町の再開発のさなかに撮影されたものだそうですが、この写真に写る人物がどれほどの危険人物?なのか、気付きましたでしょうか。

最近はドローンがありますので、かえって違和感なく受け入れてしまった方もいるかもしれませんが、この写真は再開発で取り壊される銭湯の煙突の上から撮影されたものだそうです。しかも、いまみたいに自撮り棒やスマホ、GoProなんてないわけで、てっぺんまで一脚に魚眼レンズを持参して撮影したそう。
その後撮影者の方は、別の日に煙突の拓本を取りに行くと、もう一度上がったとか。
思考や行動まで「トマソン」に支配されているようですね…。

これだけでも十分イカれているとしか言いようがありませんが、実はこの話、さらに続きがあります。

おさんぽ好きの方からしますと、森ビルをはじめとする不動産デベロッパーは目の敵になるわけで、実際本の中でもボロクソに叩かれていますが、その森ビルからよもやの逆襲が勃発します。
実は、この銭湯の煙突があった場所に現在に行くと、なんと円い筒がそびえ立っているのだとか。まさか、銭湯の煙突を表現しているのでしょうか。ただ、煙を吐きませんし、用途も特定ができる手がかりもなく、まさしく「トマソン」ではないかという疑惑があります。
まさか、赤瀬川先生の言動に森ビルが呼応したのでしょうか。現代アートに理解のある森ビルですから、あながちありえないとも言い切れない気がしますので、真相が気になってしょうがありません(゚∇゚;)☆\(-_-;)。
とりあえず、次回上京の折には、アークヒルズへお参りに行かないといけませんね。

これから感想を綴ろうと思ったのですが、長くなってきましたので、別の記事に改めて書きたいと思いますf^_^;)。


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