風と霧と自転車と―オランダ滞在記③個人的自由と花火
個人的自由と花火
新年を告げる花火。花火の打ち上げ方一つとってもオランダと日本の違いは鮮明で面白い。
日本の花火大会では、専門の花火師が盛大なものを打ち上げ、市民はそれを見に集うのだが、オランダ、ベルギー、ドイツ等では市民がてんで勝手に住宅街や広場やそこら中で、この日のために買い込んだ花火をぶち上げる。
混雑しているとはいえ日本の花火大会が秩序立てられて整然としているのに比べ、自由な意志の発露みたいに、オランダのこの日は少し混沌とする。
打ち上げ花火が許されるのは、大晦日の夜の数時間だけで他の時は違法なはずなのだが、クリスマスが過ぎた頃から昼間夜間を問わず、時折空に爆発音がこだまするようになる。
そして31日の年越しの数時間はまさに戦争のように凄まじい爆裂音の嵐となる。
少年たちが歓声をあげてはしゃぎ回り、街全体を火薬の匂いと煙が霧のように覆う。
空は水色、緑、赤、白と絶え間なく昼間のように照らされ、笛付花火がヒューヒュー空を舞い、至近距離から火の粉がふりそそぎ、地面では爆竹がさく裂し、私は宿舎のバルコニーで見物していたが、危険を感じて一時退避したほどだった。
そして真夜中をピークにして、花火は夜明けまで続く。年が明けてからも消費しきれなかった残りなのか、時折まだポンポンと音が聞こえてくる。
日本の花火は、まるで桜の花のように盛大に咲いてパッと散り、人々は何事もなかったかのようにぞろぞろと家に帰る。
日本の花火は儚さの象徴みたいなものだ。
けれどオランダの花火は違う。それはむしろ、永遠性を感じさせた。
年越しの瞬間に集中するとはいえ何週間も続き、ピークも夜明けまでと長いスパンで継続するそれは、打ち上げる意志を持った人が存在する限り、絶えることなく続くので、終わりが予測できず、むしろいつまでも粘り強く続く持続を感じさせるのだった。
海よりも低い土地を干拓し続け、大航海時代には小国ながら東インド会社まで作り上げた不屈の意志、といえばやや形式的な見方に過ぎるだろうけれど、煉瓦造りの街並みとあわさって、花火を打ち上げている一人ひとりの逞しい生命感を感じさせた。
価値観や社会システムが大きく違う世界に住めたことは「ナルニア国って本当にあったんだ!」というような感動を私にもたらした。
今ではまるで美しい夢を見ていたようなオランダ滞在だったが、オランダは夢ではなく、現実にある。
行こうと思えばいける。
そして日本の現実もある意味では夢そのものである。夢の続きを、これからも見ようと思う。
※このエッセイの初出は現代詩手帖です。
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