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風と霧と自転車と―オランダ滞在記①


冷たい雨の中の体温

アムステルダム市庁舎前

異国語に囲まれて暮らすことは、あらためて言葉の音や触感、発音の仕方が人々に独特の空気をまとわせることを認識することだ。

まるで唾を吐き出すかのような、うがいをするような息の摩擦が頻繁に生じるオランダ語。
背が高くて白くふわりと砂糖菓子のように甘い気配の彼らの身体と結び付く。もちろん白い彼らだけではない。

オランダは多人種からなる国なので、アフリカ人、アジア人、中東の人、複数のルーツを持つ人など、あらゆる肌の色の人々のグラデーションが、この息の漏れることの多く、弾むような口調で話す音響を身体と結び付けて歩いている。

英語を学ぶことで精一杯だった私には、オランダ語はそうしたように多く身体的な触感として味わうものだった。

オランダでは日本のようなゲリラ豪雨やしとしととずっと降り続く雨は少ない。霧か雨か分からないようなものが一日中街を覆っていたり、今雨が降ったと思ったら数時間後にはまた照って、その繰り返しが一日に何回もある。

人々は傘を使わない。

大抵はフード付パーカーの帽子をかぶってやり過ごすのである。霧深く、風の強いこうした気候が、息深く、しかしどこかカラッとしたオランダ語の響きと結び付いているように感じられた。

日本語がしとしと梅雨時に降る雨のように、ぼそぼそしていることも、また認識させられた。

アムステルダム中央駅

ヨーロッパ初滞在で感じたことは、言葉の触感と共に、また身体的な触感によるつながりもある。礼儀正しく身体間に距離を取る日本に比べて、オランダでは相手の体温を直接感じさせるやり取りが多い。

寒い日に切符を買う時、鉄道窓口の人が「なんて冷たい手だ!」とこちらの手をギュッと握って温めてくれたり、友人との別れ際には軽くハグすることもあった。

こんなこともあった。

 ある時スーパーで買い物をしていたら、突然オランダ語で話しかけられた。ヴェールをかぶったムスリムの女性だったが、聞けばアフガニスタンから逃げてきたという。家は爆撃で粉々に破壊されてしまったそうだ。

オランダ語も習得して、オランダで安定した居住許可を貰うことに成功したのだろう。けれど英語は話せなかったので、身振り手振り、オランダ語の片言でなんとか会話するしかなかった。テレビで日本を見て、日本はいい国だと思って声をかけてくれたらしい。

日本の現状については失望させてしまいそうでとても話せなかった。彼女もまた別れ際に温かい両手でぎゅーっと私の手を握ってくれた。

時折気分が沈みそうになる時に、こうした人々の体温には、それだけで随分救われた。

後日談:オランダ滞在以来、感情が大きく振れた時には、相手の体にタッチして感動を共有してしまいたくなる心の習慣ができてしまって、ややもてあましている(笑)
※このエッセイの初出は現代詩手帖です。

宿舎の部屋から


スキポール空港が近いので飛行機雲がすごい


ライデンの運河と風車



アムステルダムのチーズショップ

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