【オランダ】アンネ・フランクの家

オランダ・アムステルダムの一人旅、2月27日。アムステルダム国立美術館を後にし、次に向かうのはアンネ・フランクの家。17時に国立美術館を後にし、18時45分から見学予定というハードスケジュールである。

まず最初に、おなかすいた!!!!!

国立美術館に行く前に食べたのはスタバのドーナツのみ。そして現在17時過ぎ。そろそろ死ぬって…。

白黒のドーナツ。美味い。

ということで、アンネ・フランクの家へ向かいながらレストラン探し。
道中オシャレなレストランを発見。完全に1人向けではないがそんなことは気にしていられない。一人旅だもの、強くなければ…。ということで、カルボナーラを注文。

うまい。めちゃくちゃうまい。

ハイネケンを飲みながら食べたら絶対美味いだろと思ったのだが、さすがにアンネフランクの家へ行くのにアルコールを体内に入れるのは違うなと思い、自粛した。


まだ少し時間があったので、アンネ・フランクの銅像を見てから行くことにした。アンネ・フランクの家のすぐ近くである。

その後、アンネ・フランクの家はすぐそこ_____。なのだが、どうやっても見当たらない。古い一軒家だから絶対にすぐに分かると思うんだけど…。

地図と現在地をにらめっこしながらぐるぐると回っていると、何回も通り過ぎたその場所に、なにやら人が集まっていることに今更気が付く。

ま、まさかこれが…?

そ、そんな…!

ここ!?!?!アンネ・フランクの家ってこんなに近代的な建物だったんですか!?!?!

にわかに信じられない。ただ、整理券の確認の列等からどうやらここで間違いなさそうだけど…。のぼりには「アンネ・フランクミュージアム」の文字。もしかして私、アンネ・フランクの家の系統施設を間違えて予約してしまったのでは…?

と不安に駆られながらも入館時間が迫っていたのでとにかく中に入る。と、実はこの近代的な建物の中に、アンネフランクの家がまるごと保存されていることを発見。この近代的な建物は、アンネ・フランクの家を補強するような形で建設されていたのだ。

安心して展示物や家の内部をじっくりと観察することが出来る。オーディオガイドは無料で日本語もある。しかしここは全部撮影禁止のため、写真を撮ることは出来なかった。


一つ目の部屋に入ると、そこには空っぽの椅子がぽつんと置かれている。真っ白な壁に、木でできた温かみのある椅子は、そこに座る人物を亡くし、ただ光を浴びている。

壁にはアンネの日記からの引用文が描かれている。オランダ語表記の下に英語の翻訳が描かれており、オーディオガイドも日本語で読み上げてくれる。

最初のこの部屋で私たちが聞く言葉は、「いつか、私たちがユダヤ人としてではなく、一人の人間として生活できる日が来ますように」

小論文を書いた際に、「外国人も一人の人間として…」と書き、先生に「これだと外国人は人間として現状扱われていないことになるから…」と注意を受けた私。でもここでは文字通り、ユダヤ人は人間としての尊厳を全てはぎ取られ、「人間のように扱われたい」と願っていたのだろう。ドイツのベルリン・ユダヤ博物館を見学した際にも、後に同様の感想を抱くことになる。


真っ白な部屋は2つ目へと続き、そこにはアンネの大きな写真が一つ飾られている。

大勢の人が、ゆっくりと言葉を発することなく写真を見つめて、オーディオガイドをじっくりと聞いている。どことなく重苦しい雰囲気が漂っている。


アンネ・フランクの家は今回巡ったスポットの中で最もチケットがとりにくかった場所でもあった。やっと取れたチケットも18時45分からということで、(ミュージアムが狭いことも関係しているのだが)どれだけ多くの人がここを毎日訪れているのかがよくわかる。

この人たちは全員、アンネ・フランクという一人の少女によって来ているのだなあと思うと、改めてその偉大さをひしと感じる。

前半に訪れた国立美術館だって、レンブラントの『夜警』を見ようと多くの人がやってくるけど、レンブラント自身の生涯や生活を細かく知っている人は少ないと思う。

だけどここには、「アンネの日記」ひいてはアンネ・フランクその人の生涯に思いをはせるため訪れる人が年間数百万人の人が訪れている。


展示はアンネ・フランクの幼少期からスタートする。まるで映画を見ているように、生涯を追っていく。この明るく活発な少女がどのような結末を迎えるか、みんなもうすでに知っているのに。


アンネ・フランクを含む9人が暮らしていた隠れ家の部分にやってきたが、部屋は空っぽでがらんとしていて、ここで9人が暮らしていた様子をうまく想像することが出来なかった。

次に、アンネと歯科医のフリッツさんの部屋。とにかく狭かった印象がある。縦に4人横2列の人が入っただけでいっぱいだ。壁には当時貼ってあったポスターが貼ってあるのだが、空っぽな部屋にポスターは、生活感というよりむしろ、ポスターが部屋から浮いているように感じられる。

次にピーターの部屋。唯一外の世界を見れる屋根裏部屋への階段はガラスでふさがれていて、上ることは出来なかったが、下から様子を確認することができた。

トイレ・シャワールームの解説は衝撃的だった。「配水管が下に直接降りているため、会社の営業時間外はトイレの水を流すことが出来なかった。音を立てると、人がいると気が付かれてしまうからである」

何回も言うけど、9人もいるのだ。どれだけ親しかったとしても、家族以外の人もそこには含まれている。しかし、アンネの日記ではここでの約2年間の生活は、母親との衝突や情勢の不安について描かれながらも、大抵は明るく楽しく記録されている。

隠れ家を見終わると、そこからはアンネ一家がゲシュタポにつかまり、輸送され、どのように最期を過ごしたのかに展示が移る。アンネと同じ収容所に入れられていた人のインタビューも聞くことが出来る。

日記から受ける、明るくて活発な少女の印象と、病気に苦しんでシラミのいるベッドで亡くなった収容所での暮らしの変貌ぶりはあまりに悲惨だが、この体験を忘れないようにと何度も繰り返してインタビューを聞いた。

展示室の最後には、アンネの日記の実物が飾られている。チェック柄の鍵付きの日記帳。私は罫線が入っているノートだと思い込んでいたのだが、無地のノートにびっしりときれいな字で(読めないのだが)書かれてあった。こちらもじっくりと見る。

最後に、ビデオ展示がある。これが私には印象深かった。

アンネが日記ではなく、カメラを手にしていたら…という趣旨のビデオである。いうなればYoutuberみたいな感じである。私にはこちらの方がなじみ深いというか、見慣れた媒体で、ありのままのアンネの暮らしをのぞき見させてもらった気分だ。自撮りをするアンネ、夕食を映すビデオ、ノルマンディー上陸作戦を聞いて家族と喜ぶ様子…。あまりにリアルで、少し辛くなった。Youtubeで公開されているので、興味がある方はぜひ見ていただきたい。


その次に、アンネの研究者や関連者のインタビュー映像。

インタビューを受けたアンネの関係者はほぼ全員「彼女は歴史的な役割を果たしたけど、人格者として認識されつつあることに違和感を覚える」「彼女以外にも同様の被害者が沢山いたことを知ってほしい」と話していた。

アンネフランクのための施設と財団でありながら、このような内容にきちんと触れているのが印象的だった。アンネの聡明さに感銘を受ける一方で、彼女も大勢いる被害者の一人であること、一人の少女として等身大に生きたことを忘れたくないと改めて思った。

ミュージアムショップにグッズが沢山あるわけではないのだが、アンネの写真のポストカードを購入した。


翌日はホテル出発が早い(早朝4時くらい)なのでホテルに帰ってすぐに就寝。帰り道、寒い中でアンネ・フランクという少女に思いをはせながら帰った。



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