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#10 三角関係から脱却ーー正式な恋人になる


(#9から続く)
それから何週間か経ち、その間彼は、私の心を取り戻そうと大変な努力をした。いつも「おはよう」や「おやすみ」のテキストや「Love」サインを送ってきたり、オンラインで綺麗な花を家に届けたり、プレゼントをくれたりした。そんな彼の努力の甲斐もあって、私の“空虚”は少しづつ回復していった。ガスがなくなった車にどんどんエネルギーが注ぎ込まれた感じだった。その間、「元カノ」の話は一切しなかった。


やがてエネルギーが満ちていくと車は再び走りだした。私達はもう誰にはばかる事もなく、アクセルペダルオンリーで恋をどんどん加速させていった。今まで愛人の立場で旅行も行った事が無かったが、初めてプランを立ててくれた。そして二人の初めての旅行は、私が予てから行きたかった、サンタバーバラだった。(大学がサンラバーバラだった為、この街は私にとって米国で第2の故郷となる)


彼はサプライズでマスタングのオープンカーを借りて、ホテルの予約もしてくれた。その時の彼の私に対する態度は彼氏として最高だった。食事や買い物やビーチでのアクティビティーなどすべて私の好きなことに付き合ってくれ、欲しいものは何でも買ってくれた。


今までずっとモヤモヤとした期間を経て正式に恋人となり、私達は次第に将来を語るようになった。二人が描く将来の夢はとても似てて、お互い「私達はきっとステキな将来をいっしょに送ることができる」と夢を膨らませていった。2人はフリーランスの立場。パソコンとWi-Fiさえあれば、世界どこに居ても仕事ができる恵まれた仕事環境を持っていた。


たとえば、「ヨーロッパとアメリカを半々くらいづつ住むのいいね」とか、「そこに日本も加えようか」とか、もう少し広めの新しい2人の家を持ちたいとか、沢山旅行をしたいねとか、子供がいない私達は自由な人生設計が可能だった。自分達のこれからのライフスタイルはきっと2人にとって素晴らしい未来になると期待を膨らませていた。

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そんな時、一通の手紙が日本から届いた。私の夫からだった。とても暑い便箋に、私はいつもと違う“何か”を感じていた。私たちはこの時点でアメリカと日本ですでに5年間別居してて、それぞれの道を歩き始めていた。

夫の思いやりで、私がアメリカで就職して合法に働けるビザが取れるまでは、離婚せずに待ってくれていた。私はその年にH1-Bステータスの就労ビザを取得している。


その手紙には離婚届が入っていた。もうすでに夫の名前は記載されていて、私の名前を書き込むだけだった。そしてそれに添えられた手紙には、世界で一番やさしい夫の私に対するたくさんの想いが込められていた。

二人で納得して結論づけたはずなのに、夫と出会ってからの18年間を思うと、これまで暖めあった愛情や楽しかった結婚生活の一シーンが次から次へと蘇り、涙が溢れた。でも私達はすでに新しい未来に向かってムーブオンしている。私はもう日本には引き返せない。このままアメリカでビジネスを成功させ、いつかこちらで家族を持ちたいと心に決めていた。

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