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休職中期 ブッダの教えから学ぶこと
こんにちは。だるだるダルメシアンです。
適応障害と診断され、1ヶ月半お休みをいただいています。
先日、自分自身と向き合ってみました。
そこで分かったのは、
・他者軸で生きていること
・自分の弱さを認められないこと
でした。
この自分の思考のクセを見直すことを休職時の課題とすべく色々と本を読んだ中で、一番私に影響を与えた本を紹介したいと思います。
「反応しない練習」草薙 龍瞬 著 概要
「原始仏教」という、2500年以上前にインドでブッダが説いていた最も古い教えに基づき、人々の「悩み」を解決する術を書いた本です。
仏教=ブッダの教えとは、「正しい理解によって、人間の苦悩から自由になる方法」のこと
苦悩とは心の悩み。
そして、心の悩みとは全て「心の反応」で起きているとブッダは考えます。
不安になる、怒る、悲しむ。
それらは全て、何かの事象に対して心が反応している状態と言えます。
また、人の悩みは「判断しすぎる心」にもあるとしています。
「どうせ自分なんて」という自虐も判断。
「私は正しい。あの人は間違っている」も判断。
であれば、
ムダに反応せず、
ムダな判断をしない。
それでこそ、苦悩から自由になる。
著者は、そのようなブッダの教えや、ムダな反応/判断をしないための術を、現代の我々にもわかりやすいように本書を通して紹介してくれています。
なお、少し理解が難しい部分もあるのですが、それはこちらで中田敦彦さんが豊富な例とともに解説してくださっているので、ぜひ見てみてください。
適応障害である自分に響いた「考え方」
自分を見つめるということや、
判断をなくすことなど、
心を楽にするためのことがたくさん書かれているのですが、
私に響いた「考え方」を2つ紹介します。
「自分はまだまだ」は不要
「自分はまだまだ」と感じている人は、たくさんいると思います。
しかし、その「まだまだ」こそは、必要のない判断・妄想です。本当は、そうした思いに反応しないで、ただ今なすべきこと、今できることを、やっていく・やってみることのほうが大切なのです。
「まだまだ」はやめましょう。「自信が欲しい」とも考えないでください。
わたしはわたしを肯定する。そして、今できることをやっていこう、と考えましょう。
苦しんでいた時、
「自分はまだ努力が足りないからだ」
「これくらいやりきれないといけないんだ」
と「判断」していました。
そしてその"まだまだ"の裏には、
「これくらいできないと、できないやつだと思われる」
「やりきって、"任せてよかった"と思われたい」
という「貪欲」と「妄想」がありました。
それがうまくいかないから、
自信が欲しい
弱さを認めたくない
と思っていたのだと知りました。
でも、それらは全て妄想だったんですよね。
妄想して、自分はもっとできると思い込んで。
そこに等身大の私とのギャップが生まれてしまった。
それだけでした。
慢心するわけでもなく、でも諦めるわけでもなく。
わたしはわたしを肯定する。
この考え方を大事にしていきたいです。
承認欲を目的にしてはいけない
あなたが出家でもするつもりがないかぎり、承認欲は大切にしてよいと思います。
(中略)
ただ、それは「モチベーション」(動機)として利用するだけです。「目的」そのものにしてはいけません。
承認欲は人間誰にでもあります。
でも、モチベーションにするのはいいけど、目的そのものにしてはいけない。
この文章を読んだ時、思い出したのです。
私も最初は、
「みんなの不満が解消されるような改善策を考える!」
「新しいチャンスだ。失敗しつつも色々と吸収するぞ!」
と、違うモチベーションを抱いていました。
その中にはうっすらと「認められたい」があったのだとは思いますが、見えないくらい小さなものでした。
しかし、難しい挑戦だったからこそ、ムダな反応や判断を繰り返し、
いつしか、
「指摘ゼロで、成長したと思われたい」
「部下にいいアドバイスをして、頼りになると思われたい」
という「認められたい」目的にすりかわっていたのです。
「認められたい」という思い自体は、ありのままとして受け止める。
しかし、それを目的にはしない。
すぐに思考のクセをなおせるわけではないだろうから、目的がずれてきたら、またこの本に戻ってこようと思います。