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完全な利他心、善なる動機はもてるのか

京セラ元会長稲森和夫氏の以下の本を(だいぶ前に)読んだ。
以前から京セラの社訓みたいなものを読んでいて、相いれないだろうと思っていたが、読んだときは各論賛成、総論反対といったところだった。
「利他心、善なる動機」が重要という話だが、人間が生きている以上、善になりきることはできず、善をやればその分だけ悪の効果も同時に発生すると思うので、総論反対ということである。
この記事はほとんどこの考え方に対する愚痴である。



世の中は感謝にあふれている

まず本の最初のほうに、最も重要なこととして、「すべてに感謝をすること」が挙げられていて、まったくその通りだと思うが、このことを「実にシンプルな人生の秘訣ですが、誰も教えてくれません。」と言っている。どんなディストピアで育ったのだろうか。戦争直後はそんなもんだろうか。

私は人生で「人に感謝すること」を親からも、先生からも、上司からも、耳にタコができるくらい教わって、いまでもときには感謝が足りないと指摘されている。身の回りの人を眺めると、自分が一番傲慢で、感謝していないと思うくらいである。教員になってすぐ、卒研指導をする中で、資料印刷をしてくれた学生に「おう」とかえしたら、別の学生から「こういうときにはなんていうんですか」と説教をくらい、ようやく「ありがとう」と出たくらいである。

そのように、私が生きている中で身分を問わずに多くの人が私に教えてくれた「感謝することの大切さ」「誰も教えてくれない」はちょっと人の言っていることを聞かなさすぎではないかと思う。
他にも、いろいろな基本的なことをさも自分が発見したように書かれているが、ほとんどが私のまわりのいろいろな人が当たり前に教えてくれる内容でしかなかった。それをあたかも稲盛氏が初めて思いついた境地のように書くのは、「車輪の再発明」ではないか。

利他とはなにか

 表題にした利他の話については、「利他心を持つこと、善なる動機で物事を進めること」が重要ということがあったが、70億人を数える人類に対して、どうやったら本当に利他になるかの判断は極めて難しい。
稲盛氏は京セラ・KDDIを創業し、JALを再建しているが、高々10万人弱であり、その組織の人に利他心で働くことが重要と伝えたのは素直に素晴らしいことだと思う。
 
 そこまでは良いのだが、例えばKDDIで言えば、モバイル通信サービスを提供することで人類を劣化させる可能性だったり、JALで言えば、海外と往復することを容易にすることが化石燃料の浪費につながるなど、利他でやっているビジネスにみせて、しょせんビジネスの負の側面を全部解消しているわけではない
 
 私は利他的な動機にせよ、利己的な動機にせよ、人間の活動というのはすべて業を背負い続ける活動しかないと思っている。例えばモバイル通信サービスで言えば、「スマホ脳」を読んだときに、通信サービスは麻薬に近い性質があるので、完全な利他にはならないことがわかった。学部生時代、「環境負荷を一切与えない仕事はないですか」と教授に質問し、即座にないと答えられた時のことはよく覚えている。人間の活動自体すべて、たとえ人間のためになっても、環境に迷惑をかけているのだ。環境は人間じゃないから無視してもOKだとしても、「その仕事をやることで、社会の中につらい仕事(単純な事務処理や、列案区な環境の労働)や不幸な人を一切生じないと言える仕事はないですか」といった質問でも、ないとなるかもしれない。
 
 そのあたり、稲盛氏は「自分が見える範囲の利他的活動の徹底」は非常に優れた人なのだろうけど、スマホ中毒になる子供たちや、製造業や運輸業の限界の、サプライチェーンや製造工程の末端で苦労する人、貧しい人が生まれることなどについてはあまり言及されていない(むしろ利他を重視するあまり、そういう人が汗水たらして自分を殺して他人のために働くことを賛美しているようにすら見える。)。

 今この記事を書いているキーボードひとつにしても、このキーボードがどうやって作られているのかを知らず、これを使うことで劣悪な労働環境の工場を増やすのに加担しているかもしれない。モノを作ったり、使ったり、サービスを提供すること、使うことは、多少でも利他心があれば、迷いが生じるだろうと思う。

 そのあたりの、人間の活動が持つ二面性に触れず、利他の心、善なる動機があると言い切る著者には全く同意しなかった。

ならどうするか

 ならどうすると完全な利他、完全な善ができるかは、ない。今回の記事は対案なしに批判する日本の野党やマスコミと同じである。では自分の人生ではどうしているかというと、みんなを幸せにするのは自分には不可能なので、自分と身の回りの人、仕事でかかわった人が幸福になることだけを目指している。書いてみると利他の逆かもしれないと思った。

基本的に私は、利他も利己も両方重要で、エアコンの効いた部屋で何の労働もせず一日中だらだらする暮らしから、肉体労働で汗水流す暮らしまで、全人類が自分がすきな生き方を選べる世界になってほしいと思っているが、どうやったらいいかわからない。

個人的にこれまで一番人を幸せにしたのはキリストであるし(この人も同時にだいぶ多くの人を不幸にしている)、ものづくりやサービスは人類の幸福には必須条件ではないと思っていることもある。

私はたぶんこれまで70億人をどうやったら幸せにできるかを考えて、実際には死ぬまでに5人くらいは他人を幸せにする手助けをするだろう(ここで言う幸せとは現世的なモノ、金、地位、名声とは必ずしもイコールではない。これは稲盛氏の本と同じ結論。)。

多くの人を幸せにするためには、ある程度割り切った考え方が必要なんだなと思った。

以上、今日はここまで。キリストは人類で一番多くの人を幸福にして、一番多くの人を不幸にしたかもしれないというのは今回の考えで生まれた面白い仮説であったとおもう(多分誰かが言っているだろう)。


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