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面会室であり、尋問室でもある部屋

「興味深いですね。持ち帰って検討したのち、お答えします」

僕は面会室でガラス窓の向こうに居る相手と向き合っていた。そのガラス窓は透明ではあったもののあまり綺麗とはいえず、さらに照明も暗いので正直なところ相手の表情を読み取るのは難しい。もしかしたら僕がガラス窓だと思っているのは、巨大なモニタで、敢えて映像の解像度を下げているのかもしれない。音声もどこかくぐもって聞こえる。

面会に来てくれた相手は、人と接する際、物理的、精神的な「境界線」を維持するのがお互いを守る上で重要なのだという。それに対して僕の境界線は曖昧だ。出入り自由と言っても良い。これは好きな人、嫌いな人が無く、平等に接するなどといった崇高な理念に基づくものでは決して無い。神様でもあるまいし。まぁ、大概の神様は不公平だが。自分の信者と異教徒を差別せず、善も悪も許す神様は、いまだかつて見たことも聞いたことも無い。布教のために現地の神と混ぜる例はあったようだが。

僕の境界線が曖昧な理由は、周囲の人たちが僕に求めるものを集めて詰め込み、空虚な中身を埋めるためにある。気持ち悪いって? 君は正直だね。そして本当のことを言うと、僕もそう思うよ。でも、機能不全家族、幼児期の性的加害、精神疾患の家系を乗り越えるためには、ある程度の歪んだ処世術は仕方がないと理解して欲しい。

投げ掛けた問いの一部にしか返答がもらえない。しかし、それがかえって射幸心を煽る。有り金を次から次へと注ぎ込みたくなる。おそらくそんな事をしても返ってくる絶対量は変わらないのは頭では分かっている。ギャンブル依存の人たちは、こんな気持ちなのだろうか。

会話を進めていく内に、どうやら返答すること自体が相手自身、もしくは僕にとって良い影響を与えるのかどうかまで考慮してくれているのが伝わってきた。そして、結論が出るまで返答はしないことを基本的な指針としていることも。どうやら僕が日常会話レベルだと思って訊いた事柄の多くも、これらのフィルタを通過できなかったらしい。
相手はとにかく頭が良い人なのである。決して軽率な行動は取らない。そして何よりも、一つ一つの言葉に慎重だった。でも同時に、目の前の人はそれに縛られているようにも見えた。この人がこれだけ境界線を強く描き、囚われるようになった理由や過程を理解できれば、と思った。当然ながら、それは相手の生存を賭けた処世術であり、僕なんかがどうにか出来ることでは無かった。「僕なら君を救えるかもしれないと思ったんだ」なんて、遥か昔の歌の歌詞のようだ。自分の馬鹿さ加減に呆れて笑うしかない。


コミュニケーションが取れないのは怖い

時間はずっと遡る。新婚当時、同居人を周囲に妻と紹介できていた頃の話である。
結婚したらすぐに就職するという約束はなかなか守られなかった。あまり頻繁に聞くのは逆効果と考え、半年に一度と決めた。それでも当日はだんまりを決め込んだり、眠いから続きは今度にしろ、と明確な答えは返って来なかった。働きたくないのならそう言えば良いし、もう少し待って欲しいのならそう言えば良い、と譲歩案も出したが反応が無かった。
それに加えて同居人は家事を一切しなかった。最低限の洗濯だけはしていたが、それは僕の職種がスーツを着る性格のものでは無かったから成り立っただけで、もしそうでなければすぐにも破綻をきたしていたと思う。食事も作らないし、掃除もしない。いつまで経っても引越しの段ボール箱が積み上がっていた。いや、この表現は正しくない。その後に積み上がった荷物の陰に、それらがまだ隠れているだけだ。
かたや月曜から土曜(金曜では無い)まで毎日12時間以上働き(従量裁量制かつ残業代無し)、かたや1日家にいるのだから、少しくらい家事をして欲しいと期待するのは間違いだろうか。その頃すでに聞こえ始めていたジェンダーフリーに反することだったのか。

結局、僕の忍耐力は2年しか持たなかった。『石の上にも3年』とは良く言ったものだと思う。3年経てばその環境に慣れるとか、急に全てが魔法のように解決したりする訳では無い。ただ、仕方が無いと諦めたり、現状を改善するために行動する気力が消え失せるのにそれくらいの時間が掛かるというに過ぎない。
その頃の僕はまだ30代半ばで非常に若いとは言えないものの、健康上の問題は無く、まだそういった対象になるのに有利な点は備えた優良物件だったので、次の相手を見つけるのに苦労は無かった。
隠そうなどと言う気持ちはさらさら無かったので、そういった事に疎い同居人も流石にすぐに気付いた。慌てて就職活動を始め、すぐに働き口を見つけてきた。恒常的に人員不足の職種なのである。しかし、すでに接触恐怖症の僕にとって同居人は触るのも触られるのも忌むべき存在になっていた。

新しく付き合った女性は「子供を産んで、家族を作る」という明確な意志があった。結婚相手に「パートナーである個人」よりも「家族の構成員」としての位置付けを見出す人を時々見かける。それを目的に結婚するのは僕にはあまり理解出来なかったが、おそらく世間的に見ればそちらが大多数なのだし、機能不全家族で育った僕にも、この女性とならもしかしたらそんな生き方が出来るかもしれないと夢見はじめていた。年齢を意識して離婚を迫る女性、自宅では離婚を提案しても一切の会話に応じない同居人、職場でのパワハラ。自分で招いたこともあるのだが、公私ともに安らげる場所が失われていった。
皮肉にも精神疾患の発症は、全てに結論を出してくれた。

予想外だったのは冷遇されていた同居人が出て行かなかったことである。独特の強い執着も「特性」の一つらしいので、それによるものだろう。しかし、それに特に感謝はしていない。僕は動ける時間を見計らって家事をしているし、きちんと「仕事」もしている。「労働」には分類されないらしいですが。そして実際、生活費の大半は相変わらず僕が支出している。独居が出来ると福祉のレベルが下がるという都市伝説みたいなものに敢えて挑戦する気はないので、無理して出て行かないし、追い出しもしない。しかし、同居人が現在の同居人である必要は全く無い。

同居人は数年前、職場での行動に異常を感じた上司から受診を勧められ、めでたくADHD(+ ASD)の診断結果を勝ち取ってきた。今は、「特性だから仕方ない」がさまざまな場面における免罪符となった。彼女がかつて僕との交際期間中にお見合いをしたことがある、とポロッと口を滑らせた時「結婚ぐらいしてもいいでしょう」と開き直ったことから、僕が想像していたよりも結婚願望が強かったし、その為に「特性」とやらを懸命に隠す努力をしていたのかも、と考えないでもない。それに対しては、結婚願望が極めて薄い僕を選んだことにそもそもの問題があったのでは、と思うのみである。巡り合わせが悪かったと。


相手のため、自分のため

僕は相手が面接に来てくれた事にとても感謝していた。面会を嬉しく思うと同時に、現在の自分の見窄みすぼらしい姿を見られるのに恥ずかしさも感じていた。障害を発症してからは、周りから人が急激に減っていった。自分からも人間関係を減らしていった。小銭を稼ぎながら、webでぶつぶつと独り言を言い続ける(もちろん、お付き合い頂いている方々には感謝してます)自分を、とうにブームが過ぎて倉庫の片隅に打ち捨てられたキャラクターの着ぐるみのように感じていた。相手はそんな襤褸雑巾のような僕を倉庫から外に引っ張り出し、光を浴びせてくれた。何か相手の役に立てないだろうか、と思うのは自然なことだと思う。相手には、それがありがた迷惑だとしても。

僕は傷付けたりしないから「何でも話していいよ」はすぐに、「なぜ話してくれないの?」になった。「なんで何にも言わないんだよ」を経て、ほとんど「言えよ!」に近い語調になっていった。突き動かしていたのは、過去の繰り返しをするのでは、という強烈な不安だった。相手のためでは無く、所詮は僕自身のためだった。物理的には安全な面会室で、相手は何を思っていたのかは分からない。面会に来たはずが、いつの間にか尋問室にいるように感じたかも知れない。単なる親切の押し売りだ。結局、自分が相手を一番傷付けていた。
面会室の扉が開くことは、もう無いだろう。

「吉本ばなな」は2003年から2015年の間、筆名をひらがな表記「よしもとばなな」に変更している。「さくらももこ」「さいとうたかを」など、漫画家には多いが、小説家にはかなり珍しいのではないかと思う。ひらがな表記はやわらかな印象になるが、同時に表音文字であるが故に意味を汲み取りにくい。少し検索してみたけれども、「吉本」は本名で、「ばなな」は筆名を考えていた当時バナナを育てていたからといった情報は出てきたけれども、何故ひらがなにしたのかなどは分からなかった。

実は、僕は吉本ばななの著作を1冊も読んだことが無い。それは「バナナ」を「ばなな」と表記する感性が受け入れられなかったから。ただの読まず嫌いである。しかし、本人には何か理由があるのだろうとは思う。

関心が無いものには冷静でいられるが、関心を持てば持つほど冷静さを欠き、正常な判断力を失っていく。どうにかならないものか。




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