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3歳差小学生兄弟、クラスメイトになる

わが家には小4と小1の男子兄弟がいる。

当然のことながら4年生と1年生の教室があって、それぞれ毎日過ごしている。

と言いたいところだけど、小4長男は4月から情緒特別支援学級に編入したので、今までの同級生とは別々になり、ごく少数の学級のメンバーになった。

予兆はあったけど、1日ほとんど塞ぎこんでしまっていた小3時代からがらりと変わって、毎日いきいきとして学校に通う長男の口から出た言葉は、

「オレには学校に行く理由がある」

劇的な変化は本当に見違えるほど。本来の姿に戻ったように思えて、すっごく嬉しい気持ちになった。

通常の学級で受ける授業とは違い、秋になった今でも小3の復習を主に学習してる。

毎日の課題(家庭学習)は、小4にもなれば自主的にやることをノートに書いて、指定されたページ数をこなす。しかも、空白もないくらい、マスいっぱいに。

国語と算数をやるなら、ノートを縦や横にして
書き込む工夫も自分で決めてやるようになってるところ、うちの場合は、支援学級の担任の先生がノートに問題を書いてくれて、その日のノルマをこなせるようにしてくれてる。

他の4年生と同じくらいやれて欲しい。やるべきことを自分で見つけて、自分なりのやり方を見つけて学習してもらいたい。そう思ってしまった過去も、今では長男にはしっくりくる学習法が見つかって良かった~、なんて思える。

子どもに合わせた対応をしてくれるのは本当にありがたい環境。

学校でやるべきことができて、居場所もある。

集団の流れに流されるくらいならまだいい方、それが、淀みに浮かぶ泡ぶくのように、その場にとどまってもじもじしてようものなら、スーパーマンのように先生が登場してその泡を回収してくれる。

ここにいてもいいんだ、と何度か思ったことだろう。
本人がそう思ったかどうか、実際のところ知らないけど。

できないことの方が多い。だけど、やったことのないことでも挑戦できる環境に、そしてそれを「できた」と自然に自己肯定できる空気感に満足できているから、毎日学校に行けるんだと思う。

そんな環境に最も近い男が、うちの次男。

小1だから学校に慣れない、なんて言っていられない。今はもう秋。

授業中でも落ち着かない、先生の言うことに簡単に反抗する、このご時世での給食は無言がお約束なのに、率先しておしゃべり。マスクも平気でなくすし、無くても悪いとも思っていない。いつになったら慣れるんだろう?と思っていたけど、そうじゃない。

注意力散漫。衝動性のかたまり。
「今」に集中しすぎて話に置いていかれて自棄になる。落ち度はあるのに認めない。いつも自分が正しい。いや、悪いと思っても謝れない。

なんか、よく聞く「発達障害の子ども」そのもの…。

わが家に限っては長男の前例があるので、何か怪しい、と思うことがあっても、不思議とすんなり受け入れられて発達専門外来へためらわずに行くことができた。

一週間に何度かくる学校からの電話。
「今日はもうダメみたいだから、迎えに来てもらえますか」
が当たり前のようになっていって、後半はその「当たり前」にうんざりしかけていた。

そんな中でも私は「しょうがない」と思える。

以前の私なら、
表面上はいい顔できるのに、一歩自分の路地裏に入ればイライラで、ずっと渋い表情。それだけで済めばいい方で、
「どうしてできないの?」と
子どもを質問攻めにしてたたき上げていた。

それを思うと、胸が苦しくなる。

そんななか、長男のことで毎日イライラしていた頃に習得した『心を整える方法』は効果覿面で、あれから特に発動しなくてもそう簡単にはイライラしなくなった。

それだから今も次男が当時の長男と同じパターンを辿っていても、あの時のような酷い感情は、もうない。

長男が自分の居場所だと張り切って言える環境に次男も仲間入りすることは、もちろん想像以上。むしろ、その方がいい、って思えることができる。

私が思う『心を整える方法』って、一つの考えに偏らないこと。

○○じゃなきゃいけない、とか、□□であるべき、とかの固定観念でがんじがらめになっていることこそ、心が凝り固まっていたり、何かに執着したりして柔軟に対応できないから、自分や周りを狭い枠の中に押し詰めようとして、思い通りにいかなくてイライラしてしまうんだ。

かつてのわたしがそうだったから、今はそう思える。

1年生は1年生らしく、4年生は4年生らしく。小学生は毎日学校に行き、給食のおかわりで勝負をし、休み時間には外で思いっきり走りまわる。そう当たり前に考えていたのは、親の勝手な思い込み。

それを子どもに押し付けても仕方がない、と思うことができたのは『心を整える方法』のおかげ。

心を整えられたら、今まで見えて居た景色が3Dのようにいろんな角度から見えるようになって。
様々な角度からものを見ることができたら、人の考えは一歩方向じゃないことも理解できた。それは子どもであっても同じこと。

自分の子どもでも、別の個体。
自分の分身ではない。

それを最も承知のうえで暮らしていくと、必要以上に期待しなくてもよくなる。その上、イライラする場面も減り、気持ちもラクになる。

3つの年の差兄弟が同級生になろうとも、それが特別支援学級だったとしても、いい。逆に言えば、兄弟が一緒で心強い。

『心を整える方法』で心の在り方が変わるだけで見える世界が変わる。今まで見えなかった喜びにもこれからもっともっと出会えるかと思うと楽しみしかない。

だから大丈夫。みんなと同じことができなくってもいい。その子の人生なんだから。

とは言え、自分の殻に閉じこもっているよりは全然まし。今の現状としては少し辛いかもしれないけど、これから先、自分にもっと自信をもって、いろんな表現ができるようになるともっと世界が広がるんじゃないかな。今はその旅の途中だと思えると、いい。

心を整えておくことで、心配事が心配事じゃなくなる。不安を「不安だ」と感じなくなる。親が思う心配は、実は子どもにとっては必要のないことで、親の考えを押し付けているにすぎない。

それぞれの今「辛いこと」は、これから未来への「経験」となるなら、今は笑って暮らしているほうが幸せだと思う。

心を整えて、胸を張って生きよう。
親子で胸を張って前を向いていこう。

大丈夫^^

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