デジタルでも他者と共に在ることを実感できるか? Can you really feel that you are with others even digitally?

 先日、『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために―』(ドミニク・チェン著/新潮社刊)を読了しました。この本は新潮社のWebマガジン「考える人」での連載『未来を思い出すために』をもとにしています(『未来を思い出すために』というタイトルが個人的に好きです)。情報学者の著者が、ますますグローバル化+デジタル化していくコミュニケーションの未来を、著者自身のエピソードを紹介しながら、前向きに語っています。
 私が面白かった(印象的だった)ところを以下に記します。163頁の「対話(たいわ・dialogue)」と「共話(きょうわ・synlogue)」に納得しました。対話は相手が話し終えてから話し始める(ターンテイクの)ため差異が強調され、互いの主体性が交わらない。共話は相手が話し終わる前に話し始める(相槌的な)ため協働して互いの主体が交わる。なるほどです。対話・共話の選択は相手との関係性などケースバイケースですが、関係をつなぐという意味では共話は有効かもしれません(私たちは共話という言葉を知らずに、すでに相槌を打っていますね)。著者は「メタローグ(metalogue)」についても解説していますが、正直、よくわかりませんでした(あとから腑に落ちますが)。
 191頁から194頁の「終わらない贈り物」のエピソードも心に残ります。著者はモンゴルで白い馬を贈られます。といっても馬は持って帰れません。この贈り物は「馬はあなたのものだが世話は私がする」という飼育の負荷を引き受ける(時間や手間=経験や歴史や思い出=記憶・関係性など)という贈与なのです。この贈与のあり方は新しい人と人のつながりのあり方を示しているようです。著者はここでまた「メタローグ」を「記憶のなかで話し相手を自己の内側に生起させる方法」として語ります(記憶のなかで共在感覚を持続させると語る著者にとって、この場合は馬を贈る・贈られるという関係性なのでしょう)。さらに「死者の記憶を想起することで死者が生者のなかで生き続ける」と語ります。私は、やっと腑に落ちました。「忘れられない限り人は死なない」という感覚は、私にも肌感覚としてあります。
 203頁に本質が語られます。「たとえ人々を『接続』しようとする情報技術によってむしろ『わかりあえなさ』が増大しているのだとしても、わたしたちは逆に、さまざまな分裂を超えて、他者と共に在ることを実感しながら生きられる未来をも作れるはずだと信じている」と、希望が芽吹くことを著者は願っています。
 「他者と共に在ることを実感する」ために、私はデジタル文字の向こうにいる友人たち(書き手・語り手・送り手・クリエイターなどなど)を、もっと(noteを読むことで)知りたいと思いました。

追伸

 半年ぶりの社会復帰(再就職)を目前にして、やや精神が不安定になっています(参ったな)。今のところ、愛猫と村上春樹とビルエバンス、そしてnoteと妻に、何とか支えられています。

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