noteは遺書になりますか? Can note be a will?

2020年5月25日の記事に「星野さん」について書きました。「星野さんのブログはに2008年12月スタートしています。全て読みました。飼っている猫のこと、読んだ本のこと、観た映画のこと、聴いた音楽のこと、社会批判から身辺雑記、実母の介護のこと、妻への感謝、などなど、私が知る前の、私が離れた後の、そして2013年時点の星野さんがいました。」と私は書いています。2020年5月26日現在、星野さんのブログは、まだ読むことができます。私は2014年1月31日以降、決して更新されることのないブログを、星野さんの遺書のように感じています。ときどき読み返します。静かな死者との豊かな対話につながります。

sns初心者の私にとって、ネット環境さえあれば、いつでも何度もブログを「読み返せる」ということは、一つの発見でした。どこかで私は誤解していました。snsは書くだけのもの、書いた人は発信したらそれで満足、皆が今を伝えたがっている、同時代性(同時性?)の強いもの、承認欲求を満たしたい人のツール、などなど。それらは真実ですが、もう一つの真実もあります。それは昨日の記事も今日の記事も、いつ書かれた記事も、消去されない限り、いつでも誰でも読むことが可能だということです。それは恐ろしいこと(恥ずかしいこと)かもしれませんが、とても嬉しいことでもあります。

たとえば今あなたが感じたことを記事にしても、私が読むのは1年後かもしれません。そして私は「スキ」をして、長い500文字くらいのコメントを書くかもしれません。あなたに私のスキやコメントが通知されても、あなたが同時や承認を望む人なら、その1年のズレを無意味だと思うかもしれません。でも私は1年後だろうが10年後だろうが、あなたの記事が読めたことを、私のネット環境とnoteの運営管理者と神様(偶然?)に感謝します。それは星の光に似ています。過去に発せられた光が、やっと今届く…。星を見て感動するとき、人はその時間のズレを気にするでしょうか。

これからも私はnoteを読んで、noteに書きます。いつか私がこの世から消えたあとでも、noteが残ることを願います。そして、星野さんのブログを奥さんが読むように、ときどき私のnoteを妻が読んでくれたらいいのになあと思います。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

noteのつづけ方

もしあなたが私のnoteを気に入ったら、サポートしていただけると嬉しいです。あなたの評価と応援と期待に応えるために、これからも書き続けます。そしてサポートは、リアルな作家がそうであるように、現実的な生活費として使うつもりでいます。