「つまらない大人」になったのか? Did I become a "bored adult"?
10代最後の年、私は浪人でした。
夏、中学時代の同級生と、偶然、歩道で会いました。彼は帰省中でした(実家の歯科医院を継ぐため東京の大学に進学したそうです)。悪い男ではないのですが、相変わらず(さらに東京的になった?)軽くてお調子者でした(さっきネットで調べたら、ちゃんと実家を継いでいました)。
「へー今、予備校。浪人してんの? 傘でも貼ってんの?」
「傘?」
私が彼の言葉の意味を理解したのは、家に帰って部屋で一人になってからでした。つまり「浪人→時代劇→破れ傘→傘を貼る」ということです。そういうことか。でも笑えない。あのとき、どんな顔をすれば正解だったのか。
ぼんやりと窓の外を見ると、ただの夏の闇が広がるばかりでした。闇を眺めながら、私は孤独でした。彼とは友達というほどの関係ではありませんでしたから、彼の現状が特に羨ましいとは思いませんでした。でも彼の口から語られる大学生活は、どう考えても、当時の私には手に入れられないものでした。同じ歳の大学生の光と、同じ歳の浪人生の闇。とても眩しすぎます。
「僕は、もう子供ではない。しかし、何者でもない。何者になれるかも、わからない。一体、僕は、何になりたいんだ? 大学生か? その先は?」
しかし、その先は深い闇でした。
当時、「つまらない大人にはなりたくない」とシャウトするソングライターがいました(佐野元春『ガラスのジェネレーション』)。私の思いを代弁していると感じました。
「僕は、嫌でも、大人になるだろう。それは、仕方がないさ。けれど『つまらない大人にはなりたくない』。絶対に」
そのとき(10代最後の自分が)定義した「つまらない大人」とは、一体どんな大人だったのでしょうか? そして今、私は、どんな大人になったのでしょうか?
追伸
佐野元春さんは『虹をつかむ人』という歌(ちなみに私の着メロ)で「おおらかな人生を夢見てる君 虹をつかむまであともう少し」と、私を勇気づけてくれます。ありがとうございます。それから、佐野さん、デビュー40周年、おめでとうございます。