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Netflixオリジナル『Dark』に影響を受けた。ネタバレ含む

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 過去と未来をタイムトラベルする物語なので、見ていると視点がすごく広く、高くなる。超俯瞰的に自分の今までとこれからの人生を考えるきっかけとなるような内容。

 年老いてからや死に際に「こうしておけばよかった」「こういう人生を送りたかった」のような後悔を抱くケースが現実に多いと聞く。現時点で人生全体を捉えることは不可能で、だからこそ未来への希望や期待が存在する。何が起こるか、自分がどうなっていくか、分かりきっていれば、これ以上ないくらいの安泰を得るか、あるいは、生きる意味を失うレベルで絶望するか、とにかく「ある意味で」決まったゴールへただただ進むだけの無味乾燥した時間を送ることになる。※(注)個人の人生観により異なる

 現在の行動が、未来を左右し、人生を築いていく。という当たり前のことを見失い、目先の欲に囚われ、あるいはこなすべき課題に忙殺され、時間を食い潰すような惰性の日々を過ごし、何も残さずまま年を取り、やがて取り返しのつかないことを実感し、歩んできた道を振り返り嘆く。または「過去のことを考えても仕方がない」と割り切り、諦念を抱き、もはや何もどうすることもできない現実を受け入れる。最終的に、誰しもが部分的にそうなっているように感じる。

 こうやって『闇金ウシジマくん』にありそうな人生を書くのは、自分がそうなっていく身に覚えを感じていることに他ならない。少なくとも、上で書いたように、部分的にはそういったことになるだろうと思う。特に「諦める」ことなんて今に始まったものではなく、皆が皆が生まれてから取捨選択を繰り返して成長しているのだけど、真の「諦め」とは、イコール「0%」のことで、老いによる体力や能力の低下により「できない」という覆せない状況を意味する。

 「年寄りには年寄りの楽しみ方がある。若者が考えるほど悪いものではない」みたいな意見もあるかもしれない。しかしながら、それは、楽しめる状況をしっかり作ってきた過去の自分がいる、ということで、簡単に手に入れることができるのものなのか、なかなか疑わしい。そして、その状況をつくり終わるまでのカウントダウンはもう始まっている。(関暁夫か?)

 歳をとるスピードが年々加速していく感覚の正体は、子供の頃のような未体験を繰り返す新鮮な刺激を損なっている状態であり、言い換えれば、そういった経験から遠ざかった日常を延々とループさせている結果であると思う。もっとも、良くも悪くも地道に思える反復は必要で、突発的、瞬間的な、あるいは刹那的な生き方に比べ刺激は少ないものの、磐石な礎を生み出す最強の手段だとも思う。ただ、マンネリやモチベーションの低下を招きやすいのも事実。

 要するに、インプット・アウトプットがどちらも必要、みたいな話で、偏りすぎないバランスが大事という有り体な結論に至る。

 とにかく、ダークを観続けたことで、刺激を十分受けきったシーズン3?くらいの途中で「こうしちゃいられん」みたいに感じ、視聴を中断した。

 自分を俯瞰してみる、客観視する。それから、ひと呼吸おく、頭のなかを一旦クリアにする、リセットする、という行為の大切を感じた。

 「今、こうしている自分」への意識と、「自分とは何か」を問う冷静さを持ち、なるべく有意義な時間を過ごせるようにしたい。……と、そう感じさせる作品だった。※まだ観終わっていないけど 


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