有りと有らゆる悪を嫌うとなぜか自分の事も嫌いになった日
基本ネガティブな性格なもので、酷い時には自暴自棄な考えに至ることもある
なんて自分はダメなんだろう
誰も知らない所へ行きたい
誰にも会いたくない
ってね
でもそうなると、寂しくて誰かを求めたりする
だから僕は、誰かに優しくするのかもしれない
なんだか不純な動機だね
*
ネガティブは嫌だね、脱却したいね
常々思う
そういえば、ネガティブを発揮して、
あるカウンセラーの人と話していた時に、
「 自分を愛せない人は、他人も愛せない 」
と言われたことがあった
確か聖書にも似たような事があった気もする
それを聞いて僕は、
「 それは頭で分かっちゃいるけど、
実行するのは難しいんだよなぁ 」
と心の中でうなだれた
自分を愛するねぇ〜
というか、そもそも「 愛 」ってなんだろうね
僕は、
「 見返りを求めない誰かへの優しさ=愛 」
って思っているけど、
結局のところはよくわかんない
でも仮にそうだとしたら、
自分を俯瞰して見た時に見える自分のダメな一面もまるっと愛してしまえば、自分を愛せてることになるのかな?
「 有りと有らゆる悪を嫌うと何故か自分の事も嫌いになった日 」
tacicaの「 命の更新 」という曲では、こんな歌詞があるが、自分を愛せない人ってのはつまりこの歌詞が表しているものかもしれない
( YouTubeにもある曲なのでよかったら聴いてみてください。tacicaは歌詞が難解ということで有名なので、歌詞に興味を持って音楽を聴いてる方がいらしたらオススメです。 )
自分の嫌いな一面、
それは自分の中では悪なのかもしれない
でも世の中の事象に善悪を付けるのは、各個人や団体の勝手だから、そもそも善悪なんて無いって考えもできるかもね
哲学とか倫理とか習ったことないし、勉強したことも無いからよくわからんけど、、、
とにかく僕は、
自分の中の悪に許しを与えてあげないと、
自分を愛せないのかな?
ってこの曲と出会って思ったんだ
悪を許すには「 勇気 」が必要だと思うけど、
僕にはまだ「 勇気 」が足りてないんだと思う
だから、
自分が好きになれない、
愛せないのだろう
*
アニメ「 宇宙兄弟 」の映画で、物語の中での重要人物として登場する宇宙飛行士ブライアン・Jというキャラクターがいる
劇中、彼はこんな言葉を残していた
「 勇気だけを持っていけ 」
自分を好きになれたとき、
自分を愛せたとき
それは、僕がこの言葉を体現できた時だろう
その日が来ること、
それが今の僕が一番望んでいることだ
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