それぞれの毎日【2000字のドラマ】~2195字
改札を抜けて、待つこと数分。白い軽自動車がロータリーに止まった。窓を開け「瞳、こっち」と手招きするような女の姿が見える。祐奈だ。
「ごめん、待った?」
「大丈夫。今、着いたとこ」
勧められ助手席に乗ると、さっきまでの暑さが噓のように涼しい。
「車、買ったの?」
「うん。都内と違って、こっちはないと不便でね」
祐奈の運転で新居に向かう。都内でマンションを借りるより、郊外の一軒家を購入した方が良いというのが、夫婦2人の判断らしい。
「大丈夫?運転」
シートベルトの下に見える、少し膨らみのあるお腹を見て言う。
「うん、安定期だし、毎日運転しているから」
祐奈は中学の同級生だ。クラスでは私と同じグループで、カースト上位の群衆に怯えながらの生活だったが、入学した高校で華々しくデビューしたらしい。
もっともそれを知ったのは、大分、後になってからだ。突然バイト先のファミレスに現れたピンク髪女が祐奈だと気づくには少し時間がかかったが、それから2人で会うことが数年続いた。
25歳を迎えた年に結婚すると聞いた時は驚き、早すぎると思ったが、短大を卒業してから派遣社員として生活していた祐奈にとっては、早く手に入れたかった「安定」なのかもしれない。
通された部屋は広いリビングだった。テレビの前にローテーブルとソファーがあり、座ると身体が少しだけ沈む。
「麦茶いれるね」
キッチンから、お茶を入れる音が聞こえてくる。カウンターに置かれた銀色の写真立てには、ウェディング姿の祐奈とタキシードの旦那さんがいる。2年前の結婚式で見た年上の旦那さんは、お世辞にもかっこいいとは思えなかった。面食いの祐奈でも、結婚相手に求めるものは違ったらしい。
コップを置くと祐奈も座り、フローリングを白にした理由や部屋の拘りなどを話し続け、私はわかったような、わからないような返答をする。
「出産はこっちで?」
話題を変えたく振ってみる。
「うん、母に手伝いに来てもらう。電車で1時間かかるのが申し訳ないけど」
私も東西線に乗って1時間かけて西船橋まで来た。夏休みの消化に当てたのも、会いに来たのも自分の意志だけど。
「必要なもの、もう揃えたの?」
「服は結構買ったよ。あとはベビーベッドをどうするか。使わないって話も聞くし」
「そうなんだ」
興味が持てず、窓の外に目をやると、庭の芝生に机と椅子が見えた。
「あ、買ったの。お隣はまだ居ないけど、バーベキューできたらいいなって」
無邪気に言う祐奈を見て、私が、突然呼ばれた理由が分かった。要するに、暇なのだ。越してきたばかりで、知り合いもなく、妊娠中となれば行動範囲も限られる。それで、身軽で暇そうな私を呼んだのだ。
「そういえば、翔君だっけ。続いてるの」
頃合いを見計らったように聞いてきた。
「うん。今日も夜、会う約束しているんだ」
「そう、忙しかったのに悪かったね」
妙な沈黙が流れ嫌な予感がする。
「結婚はしないの?」
「まだかな」
祐奈は何の進展もない話がつまらなくなったのか、下を向き、グラスを手にとり回しだした。
「知ってる?私達、もう若くないんだよ」
顔を上げて私を見る。
「そう?まだ27だよ」
「もう、だよ。子どもも、早い方が良くない?パパが幼稚園の運動会で走るとき、年だとかわいそうだよ」
その言い方に我慢ならなくなってきた。
「あのね、学童に勤めているからわかるけど、幼稚園で50代のパパもいると思うよ。それに運動会で走るってそんな重要?皆行くわけ?」
「行くでしょ、普通」
「普通?私は来てもらったことないけど」
約束にはまだ時間があったが、帰りたくなった。丁度良い無言が訪れたので「そろそろ」と切り上げると、祐奈もすぐに立ち上がり「駅まで送るよ」と、スマフォをかばんに入れた。
ドラマの話をしたりと、車中は悪くない雰囲気だったが、しばらく会いたくないと思ってしまった。きっと祐奈も同じ気持ちだ。
約束の7時を20分過ぎた頃に、翔は現れた。
「ごめん、待たせて」
白いポロシャツにカーキのチノパン。2週間前に会ったときより、少し灼けた気がする。
「大丈夫?何かあった?」
「保護者から電話があって。あ、仕事の話はやめよう」
「そうだね」
駅を離れ、商業施設内のフードコートに向かい、私はうどん、翔は味噌ラーメンを食べた。給食では出ない、濃い味噌味が食べたかったらしい。
同じ大学出身で1歳下の翔は、区立の小学校で先生をしている。私が勤務する学童クラブに、その小学校の児童が来るので、知られたら周りに何を言われるかわからない。だから付き合っていることは秘密だ。
食べ終わり、店を出て、海沿いの遊歩道を並んで歩く。
「友だち、どうだった?」
立ちどまり、遠くの橋を見ながら聞いてきた。
一度だけ実家に戻っていた祐奈に、翔を会わせたことがある。「紹介して」のしつこさに引き会わせたわけだが、ジロジロ見た後「良かったね、良さそうな人で」と私に向かって言うその目には、いくらかの嫉妬が見えた。
「上から目線だったよ。早く結婚して子ども産めばって感じで」
「そうなんだ」
「翔はどう思う?」
初めて口にしてみた。考えたことがない訳ではないが、まだ先のことは決めたくない。
「別に焦んなくて良くない?」
「だよね」
まだしばらくは、今のままがいい。仕事をして、たまに会って、ご飯を食べて他愛もない話をしながら歩く。たまにはお泊りもして、でも帰る家は別々で。そんな毎日が続けばいいと思う。
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