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【現代歌人シリーズ(その1)】青空の青ってどんな色?


黒田明臣さん撮影
別所隆弘さん撮影

「今日、みなさんが家に帰るころは、夕焼けに、なりますかねぇ。」

相沢亮さん撮影

「ところで、夕焼けの色って、とんな色なんでしょうか。」

杉本優也さん撮影



この質問、特に、試験には、出ませんけど(^^)

青空が青であるということ。

では、帰るころに、夕焼けが来るのか?

この問の重要性は、現象Aが、現象Aであるという真実性と恒常性を保つということを検証(verification)することの大切さを意味しています。

「わたしが見た「青」と、あなたが見た「青」とは、同じ色なのか?」

という問に対して、

「世界を見たときの経験が同じなのかどうか?」

は、経験の検証(verification)の問題です。

視認された世界そのものの現像は、どれも異なっており、より、普遍性のある経験に落とし込む思考(哲学)を経て、言語化された後、事実の真実性についての扉が開かれます。

しかしながら、残念な事に、各自の青と呼ばれている色が、同じ青であることを、検証する手段を、私達は持っていません^^;

その根拠は、脳内で映像化した互いの画像を確認することができず、言葉で、とれだけ説明したとしても、その青は、各自の感覚が受け取ったものであるため、記号化が難しいためです。

私達が、何かを認識して言語化する場合、システム論的な解釈で言うと、何らかの意味において適切な近似モデル(低次元モデル)を、各自の脳内に定式化しているのではないかと仮定してみます。

その様な青の認識において、近似の定式化(例えば、青とは、晴れた空のような色。)において、脳内システムの内部状態が「陽に考慮されていない」(【参考資料】※印を参照)ことに起因(実は、青を晴れた秋空や藍(あい)染めのような色、また、その系統の色の様に認識しており、直接表されていない場合。)して、脳内における低次元化(認知)の前後で、脳内部状態の物理的な意味や性質が失われてしまうという問題が(脳内変換の際に)生じてしまいます。

従って、あの日見た「青」や「夕焼け」が、どんな色だったのかは、常に、自分の気持ち次第で、変わっていくのだと推定されます。

と考えてしまうと、記憶は勿論のこと、写真や本のような記録でさえも、実際には、何一つ、事実も、真実も、遺さないことになってしまいますよね^^;

でも、これって、語用論や意味論での視点に切り替えて考えてみると、記憶にしろ、文字にしろ、例えば、写真にしても、それ自体は、独立していて、正しい記録であるかもしれませんよね。

note:
意味論では、特定のコンテクスト(文脈・状況)から切り離された、文字通りの意味を扱います。
それに対して、語用論では、特定のコンテクスト(文脈・状況)の中での発話の解釈を扱います。
語用論的な意味は、言い換えれば、特定の文脈・状況のもとで、相手に伝えようとする発話意図としての意味であり、これは、言外の意味と呼ばれています。
一方、意味論的意味は、特定の文脈・状況から切り離された辞書的な意味とも言え、これは言内の意味と呼ばれています。

問題は、常に、それを見るのが、私達、人間であるということなんだと思います。

そう考えると。

目の前にあるものを見るのは私達であって。

記憶や記録を見るのも私達です。

それが、常に、私達の見た世界のボトルネックになっていることから、そこから、どう抜け出し、互いの世界観を繋げて行くのかが、この世界を共に活きる私達に課せられた命題だと推定できます。

言い換えると。

私達の周り広がっている美しい世界に。

果てしない闇の向こうに。

どうアクセス出来るのか!

の手段を見つけ出すことが、とても大切で、どのようにアプローチしていくのかの行動が問われることになります。

何もしなければ、私達は、自分自身という密室に閉じ込められていて、そこから出ることは、出来ない存在になってしまいます^^;

この事を考えてみるのに、映画「メメント」などが、参考になると思います。

【参考記事】
超・難解映画『メメント』時系列を整理すると…?実は全てが存在しない?もう一つの“新解釈”とは?図解ありで徹底考察【ネタバレ解説】

“時”に囚われし男ビギニング『メメント』

https://www.thecinema.jp/article/943

人間はいわば、その存在そのものが、

時に、映画的であったり、

時に、カメラ的であったり、

時に、文学作品(詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など、作者の、主として想像力によって構築した虚構の世界を通して作者自身の思想・感情などを表現し、人間の感情や情緒に訴える芸術作品。)的であったりと、

誰にも、引き出すまで、その意味は、分からないかもしれない、なあ~って、そんな風にさえ思います(^^)

では、前置きが、長くなってしまったけど。

詠われる方々の隠されたデータの意味を、どのように価値付け、どのように使うかは、詠い方次第かなと、素人ながら思ってみたり。

想いもよらぬ選択が、うたの印象を大きく変えるかもしれないし。

なかなか見えないデータ(詩情)の中に、いわば、未来が隠されていて。

それが、箸や鋏で例えると、重心が手元なのか、先なのかとか。

「考えるな感じろ」系なのか、「ロジカル」系なのか。

成された決断からの、ささやかな未来へめがけての、贈り物だったりであったとか。

今宵、うたを通じて、そんな色んな感覚を味わいながら、そこに生きることへのイノセントな感性の世界へ。

考える前に、軽やかに、捲って(読んで)みると・・・

(・・。)ん?

ʅ(。◔‸◔。)ʃ…ハテ?

な感じ(・・*)。。oO(想像中)が愉しいですよ(^^)

【現代歌人シリーズ(その1)】


「海、悲歌、夏の雫など」(現代歌人シリーズ)千葉聡(著)

【収録歌より】
Tに出す手紙「ご批評感謝します」きっとこの「ご」はきっと、痛い

Tの字は震えに震え「真剣に歌を詠めよ」と説教ばかり

なんでもあり、またなんでもない街、渋谷 人より人の影が多くて

フリースロー一本外し二本目は祈り(やその他)のぶん重くなる

俺の書いた歌集をTに送ろうか風船につけて飛ばす気分で

三点を狙ってシュートを打ったてのひらは飛び立つ鳥の羽かも

車窓から海が見えると「わぁ」となりホテルが見えるとみな黙りこむ

二通目をもらって思い出す 文化祭をめぐって喧嘩したT

「耳ふたひら」(現代歌人シリーズ)松村由利子(著)

【収録歌より】
ああわたし大地とつながる手をつなぎ踊りの輪へと入りゆくときに

アカショウビンの声に目覚める夏の朝わたしの水辺から帰り来て

くっきりと光と影は地を分かち中間色のわれを許さず

サントリーホールのチケット購入し島抜けという言葉思えり

ティンパニの中に入れられ巨きなる奏者の連打聞くごとき夜

ねっとりと濃く甘き闇迫りくる南の島の舌の分厚さ

ハイビスカス冬にも咲きて明るかり春待つこころの淡き南島

わたしくも島の女となる春の浜下りという古き楽しみ

海に降る雨の静けさ描かれる無数の円に全きものなし

覚めぎわのかなしい夢のかたちして水辺に眠る鹿の幾群れ

割らぬ限りその美しき断面は誰にも見えずあなたの石も

月のない夜の浜辺へ下りてゆくたましい濡らす水を汲むため

言うなれば自由移民のわたくしがぎこちなく割く青いパパイヤ

時に応じて断ち落とされるパンの耳沖縄という耳の焦げ色

虫よけにあなたの植えるマリーゴールドこんな形の防衛もある

鳥の声聴き分けているまどろみのなかなる夢の淡き島影

津波石と呼ばれる巨岩島にあり推定重量七〇〇トンの

怒るより先に悲しくなる人はうつむいて咲く花 みずいろの

島ごとに痛みはありて琉球も薩摩も嫌いまして大和は

南島の陽射し鋭く刺すようにヤマトと呼ばれ頬が強張る

二つ割りの白菜やがてめりめりと盛り上がりくる命恐れる

半身にパイナップルを茂らせて島は苦しく陽射しに耐える

半身をまだ東京に残すとき中途半端に貯まるポイント

面倒な外来種だと思われているのだろうかクジャクもわれも

夜半の雨しずかに心濡らすとき祖母たちの踏むミシン幾万

録音も録画も許されぬ秘祭夕日じんじん沈むも怖し

湾というやさしい楕円朝あさにその長径をゆく小舟あり

「念力ろまん」(現代歌人シリーズ)笹公人(著)

【収録歌より】
9の字に机ならべていたりけり夜の校庭はせいしゅんの底

あかねさす昼のタモリが見つからぬ並行世界に響く声明

いい女、されどメアドのakachan-minagoroshi@に警戒してる西麻布の夜

カラオケで久保田うたえばわが胸のアフリカの河きらり波打つ

ゴダイゴの「ビューティフルネーム」脳内にかけながら見る園児の散歩

サーベルを噛んで暴れるジェット・シンにも老婆を避けるやさしさありき

セキセイインコがガッツ星人に見えるまで酔いし夜あり追いつめられて

にんげんのともだちもっと増やしなと妖怪がくれた人間ウォッチ

ぬるま湯を粘土にかけて混ぜておりジャミラのように悲しい昼は

バブリーにときめきたいぜ往年の角松敏生の歌詞のごとくに

ラッセンの絵を勧めたる美女去りて壁のイルカと暮らし始める

ラベンダーの香りのきみを抱きとめる時の波間に呑まれぬように

ランドリーのみどりの椅子に腰かけて中央線のしっぽ見送る

愛犬の死の記憶など浮かばせて笑いこらえるポエムリーディング

運転手も家族もみんな立っている人生ゲームの外車(コマ)の静けさ

夏の夜の団地の部屋のカーテンに海を思えば海は見えくる

回転木片回転木片回転木片回転木片中国のテレビに歌う西城秀樹

海沿いのカーブをポルシェで曲がりたい稲垣潤一の歌詞のごとくに

金平糖散らばる庭に干されいて座敷童の小さな布団

三角縁神獣鏡を磨くのみ卑弥呼の家来の家来の一日

小惑星爆発の図を念じつつ尿路結石ひとつ滅せり

全校生徒が砂埃上げ俺を追うアニメのような夢を見にけり

土曜日の実験室のフラスコに未来の愛がけむりていたり

童貞を患いしころ飛ぶ鳥のCHAGE&ASKA街に響きぬ

無口なるバイト店長カラオケで「リンダ リンダ」を歌い狂えり

夕焼けの鎌倉走るサイドミラーに映る落ち武者見ないふりして

「モーヴ色のあめふる」(現代歌人シリーズ)佐藤弓生(著)

【収録歌より】
いきものの夏の終わりに吸えるだけ夕陽を吸ってあかるむ扉

おはじきがお金に代わり、ながいながいあそびのはての生のはじまり

きみの目に静かの海のくっきりと嘘がつけないさびしくないか

なきひとに会いにゆく旅ナトリウムランプのあかりちぎれちぎれて

ひらかせるてのひら熱くかじかんで月を握っていたのかきみは

ふる雨にこころ打たるるよろこびを知らぬみずうみ皮膚をもたねば

まんまるな月ほどいては編みなおす手のやさしくてたれか死ぬ秋

言語野はいかなる原野 まなうらのしずくを月、と誰かがよんだ

人は血で 本はインクで汚したらわたしのものになってくれますか

地をたたく白杖の音しきりなり地中の水をたどるごとくに

天は傘のやさしさにして傘の内いずこもモーヴ色のあめふる

土くれがにおう廊下の暗闇にドアノブことごとくかたつむり

鳩は飛ぶ 風切羽の内側にゆうべの月のにおいをためて

美しくほろびるというまぼろしにさくらもみじのたしかな軽さ

「ビットとデシベル」(現代歌人シリーズ)フラワーしげる(著)

【収録歌より】
2040年の夏休みぼくらは懐かしいグーグルで祝祭を呼びだした

アコーディオンは昼の光に 捨てるから庭でそのまま父は弾く

きみが十一月だったのか、そういうと、十一月は少しわらった

ただひとりの息子ただひとりの息子をもうけ塩のなかにあるさじの冷たさ

ぼくらはシステムの血の子供 誤字だらけの辞令を持って西のグーグルを焼きはらう

小さく速いものが落ちてきてボールとなり運動場とそのまわりが夏だった

小さなものを売る仕事がしたかった彼女は小さなものを売る仕事につき、それは宝石ではなく

性器で性器をつらぬける時きみがはなつ音叉のような声の優しさ

生活がやってきて道の犬猫が差しだす小さく使えないお金

底なしの美しい沼で泳ぎたいという恋人の携帯に届く数字だけのメール

登場人物はみなムク犬を殺したことがある 本の向こうに夜の往来を見ながら

南北の極ありて東西の極なき星で煙草吸える少女の腋臭甘く

夜の回送電車ゆっくりと過ぎひとりで乗っている死んだ父

「暮れてゆくバッハ」(現代歌人シリーズ)岡井隆(著)

【収録歌より】
いやッといふ人は居ないが好きといふ人は夕顔の白さで並ぶ

うつくしい花ばかりがあるわけじやない雑草(あらくさ)は風のなかの寂しさ

かりがねも白鳥(スワン)もごつちやに水に在る此の列島に俺も棲んでる

ケータイの在りかをぼくので呼びあてる、弁証法の正と反だね

こんな虚偽が次々まかり通っても許せるのかといへば 許せる

さびしさの糸魚川(いといがは)すぎ前方に待ち受けをらむ蛇(へみ)の口見ゆ

その通りだ。此の散策も無意識のくらがりの葉をゆすりつつ行く

ただ一つ残して置いた白桃(しろもも)をいま食べ終つたみたいな気分

だめよだめ 言ひながら差す雨傘のやうな女は年とらず逝く

ヨハン・セバスチャン・バッハの小川暮れゆきて水の響きの高まるころだ

わが知らぬその声はややたかぶりて川口美根子の逝きたるを告ぐ

わたくしはしばしば母を批判した肉体を持つのが悲しくて

雨が来るかもしれないと傘もつて出た日の午後は 詩話の快晴

幾つかの袋のどれかに横たはつてゐる筈なのだ可愛い耳して

記憶違ひはさう想ひたい欲念の素顔でもある 秋の風吹く

休みなく咲き続けたるくれなゐを心の底に置きて昼寝す

虚(うそ)になる眞(まこと)もありぬ裏庭の闇をこのみて咲ける臘梅

虚と実と、その中間に鳥が居る夕ぐれの椋鳥(ムク)のやうに騒(さや)いで

言の葉の上を這ひずり回るとも一語さへ蝶に化けぬ今宵は

固有名詞の出て来ない日はせめてもつとでつかいものの名よ出よと思ふ

光太郎にまたがつて進む智恵子より立ちのぼる妖気が見えたのだつた

歳月はさぶしき乳を頒(わか)てども復(ま)た春は来ぬ花をかかげて

煮(に)合はせた魚と枝豆 今夕(こんせき)は蕪村門暁台の弟子となるべく

聖(セント)イグナチオ教会の昼の鐘が鳴るむろんわたしを慰(なぐさ)めるために

鼠径部をひらく手術にBariquand(バリカン)が毛を剃るといふ 慮外(りよぐわい)のことだ

蒼空(おほぞら)は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶

大きその手の手背(しゆはい)なる血脈(けつみやく)の青さは今もわが目にのこる

点滴をうけつつ仰ぐ空なのだ欅の黄葉濃く速く降る

冬だつて戸惑ふだらう去つてゆく間際に愚痴を聞かされてては

揉上(もみあげ)は剃(そ)らないことに理髪師が同意したあと風が出て来た

「光のひび」(現代歌人シリーズ)駒田晶子(著)

【収録歌より】
フクシマと言えば眉根をひそめられ黄の水仙の風に揺るるを

みんなもう忘れかけてるとりどりにスカイツリー色をかえてきれいだ

ラ・フランス ゼリーに沈み人体の標本のようにつめたくしずか

三陸産わかめの塩を抜いているもどしたらもう戻れないから

出力を上げて体を震わせて飛行機はいま本気となりぬ

体重をかけながら刃を圧してゆく受け入れられて息の漏れたり

逃げてった帰ってきた地震ののちに罅われてゆくわれのふるさと

未曾有とう言葉の遠さ 揺れつづくベッドの上でラジオを聞けり

目前まで海迫りくる映像のふいに。あの春はさむかった

涙腺を刺激する絵馬のことばあれど人の祈りは忘れやすくて

「昼の夢の終わり」(現代歌人シリーズ)江戸雪(著)

【収録歌より】
あといくつ夏はあるだろう淀川のぶあつい水のそばに佇ちつつ

いちはやく秋だと気づき手術台のような坂道ひとりでくだる

うしなった時間のなかにたちどまり花びらながれてきたらまたゆく

この夏は鈍感になろうこの夏がすぎたらひとつ臓器を喪くす

さびしくて松ぼっくりになろうかな土佐堀通りをしばらく歩く

さびしさを摑んでそして突き放す安治川に陽がつよく射すとき

ストーブを消して静かな窓の辺のわれに残りの時間ながれる

とどかない場所あることをさびしんで掌はくりかえし首筋あらう

のんのんとわたしのなかに蠢いている大阪よ木津川安治川

まよなかの大渉橋(おおわたりばし)はわれひとり渡しふたたび空っぽとなる

もし泣くとしたらひとつの夏のため ほそいベルトのサンダルを買う

われはいまどの時間のなかにいる 黄色い薔薇が窓辺にまぶし

横にいるわたしはあなたのかなしみの一部となりて川鵜みている

夏長(た)けてわれには生きたと言える時間どれくらいある黄(きい)の菜の花

花があるその下にひとはスカーフをなびかせ時を見送っている

生きているということなのだクロユリを風が揺らしているこのときも

生きるとはゆるされること梔子(くちなし)の枯れゆくようにわれは病みたり

栴檀木橋(せんだんきのはし)うつくしそれゆえ渡ることなく時は過ぎたり

蒼き水を淀川と呼ぶうれしさよすべてをゆるしすべてを摑む

打合せ終えて初夏しばらくはひかる堂島川を眺める

昼すぎの村雨の後ふいに射すひかりよそこにうつしみ立たす

昼の夢の終わりのように鳴く鳥のその音階のなかにたたずむ

分かれてはまた重なってゆく水を川には川の時間があって

溶接の工場のまえにすっきりと真白き薔薇が咲いておりたり

淀川の縁にて食める焼きそばのああかつおぶしが飛んでいくがな

来るひとはみな美しくほほえんでこの世の時をくっきりまとう

「忘却のための試論 Un essai pour l'oubli」(現代歌人シリーズ)吉田隼人(著)

【収録歌より】
あるひは夢とみまがふばかり闇に浮く大水青蛾(おほみづあを)も誰かの記憶

いくたびか掴みし乳房うづもるるほど投げ入れよしらぎくのはな

おのおののしたしきかほによそほひて死はわれら待つ うみにやまにまちに

かみは苦を ほとけは悲をばたまふとぞしればあをかる みなづきの ゆき

キャロル忌のスカートゆるる、ゆふやけとゆふやみ分かつG線上に

くらきそら、そらのくらさは重力のくらさともへばしほのみちくる

ここかつて焼け尽くしたる街にしてモビイ・ディックを横抱きの夏

こなゆきのしろきおもてをさらしつつ少年睡りやすくゆめやれがたし

サイモンとガーファンクルが学習用英和に載りてあり夏のひかり

さざなみはすなをひたせど海彼よりみればわれらはこのよのはたて

しぬるはうのめぐりあはせにあるひとの水死体くろき外套こおときてをり

ちり紙にふはと包めば蝶の屍もわが手を照らしだす皐月闇

ばかの国ばかだけ住みて雪降れど雪と知らねば雪のおとだけ

ぺるそな を しづかにはづしひためんのわれにふくなる 崖のしほかぜ

まなつあさぶろあがりてくれば曙光さすさなかはだかの感傷機械

夏の鳥 夏から生まれ消えてゆく波濤のやうな鳥の影たち

棺にさへ入れてしまへば死のときは交接(まぐはふ)ときと同じ体位で

岸にきてきしよりほかのなにもなくとがびとのごと足をとめたり

建築のあいまを燃やすあさやけを飛びながら死ぬ冬の鳥類

顕現の神とおもへりものみなが影濃き夏の夕(ゆうべ)に入りて

枯野とはすなはち花野 そこでする焚火はすべて火葬とおもふ

鉱物の蝶は砕けて消えてゆき魚類の蝶は溺れゆくかも

姉はつね隠喩としての域にありにせあかしやの雨ふりやまず

思ひだすがいい、いつのか それまでの忘却(わすれ)のわれに秋風立ちぬ

死の予期は洗ひざらしの白きシャツかすめてわれをおとづれにけり

神もまたねむる ねむりてみるゆめのなごりともみえたゆたふ水母(くらげ)

人形義眼(ドールアイ)なべて硝子と聞きしかばふるさと暗き花ざかりかな

青駒のゆげ立つる冬さいはひのきはみとはつね夭逝ならむ

名のうちに猛禽飼へば眠られぬ夜に重み増す羽毛ぶとんは

恋すてふてふてふ飛んだままつがひ生者も死者も燃ゆる七月

曼珠沙華咲くのことを曼珠沙華咲かぬ真夏に言ひて 死にき

「かわいい海とかわいくない海 end.」(現代歌人シリーズ)瀬戸夏子(著)

【収録歌より】
オセロの四隅にパンダ、わたし、油、good morning and good night!

きっときみから花の香りがしてくるだろう新幹線を滅ぼすころに

そっくりなディズニーランド操縦しマフラー編んだ声を椅子にし

とりおとす音楽もまた0カロリー try it, try it, try it!

ベスト・オブ・ベスト・オブ・ベスト 光輪の差しこんでいる背を突きとばす

ムーミンの一勝一敗 誰何する乱も変をもとどろきのただひとすじの二重となった

むかしここで 左岸で数を数えては花粉を頬にはたいては

もてあますセックスの香りにくりかえす遺言と預言、扉が裸足

わたしを信じていて ゆめをみて 絶望を斡旋するのがわたしのよろこび

果汁1%未満のかがやきそうあれはわたしではないのです

花はさかりに血液をさかのぼる水増えてそのまま時はきみの味方だ

絵にすればスイッチと言う死の前日のダンスと言えばわたしだと言う

月の温度、星の温度、瞳の温度を束ねて輪ゴムをかける指先

春に勇気を夏に栞を持ち込んでマリアはふたたびわたしを呼んだ

新年の典型的な幽霊をNBAを左右を煙草をふとももで消す

性格のト音記号は香りが沁みて遅れていくとリボンをほどいた

雪もない宇宙のいない血のいない 場所でよいにおいにてやすらかに死ね

窓から感情がポテトチップスとして降ってくる 夜というよりも昼

冬が宇宙に怒っている前世のわたしに来世のあなたを紹介されて

虹から次々に色は抜かれてどの人も浮き足立つ、苺ジャムという機会

片脚でたつ虹ふたつ未来よりみにくいものを選びつつ立つ

未来の声が届く範囲からではだめきれいな心を与えすぎてた

愉悦すら悲しみに変えるぼくたちはいまだ若くて至高の半分

夕焼けと夜明けのあいだ折々にひたすら妖精をつぶすゆびさき

嵐が丘、愛猫家、駆落ち、だれも感動しないフランスパン

利き手と名づけておいた葡萄の最高裁をにぎりつぶした、まだ間に合うから

梨の歯ざわり正夢の肌ざわりスペシャルも頬杖も色変わり

恋よりももっと次第に飢えていくきみはどんな遺書より素敵だ

【参考資料】

※:
通常の意味では、Qという物理量が、
Q=f(t)
というtの関数として、直接表されている場合を、「tを陽に含む」、
Q=f(v) (v=v(t))
のように、Qは、一見vの関数だが、vがtの関数になっている場合、Qの式に、tは現れないが、vを通して、tの関数となっているという意味で、「tを陰に含む」と言います。
この場合も、
Q=f(v(t))
と、丁寧に書けば、tが見えるようになりますが、これをもって、「陽に示した」とはあまり言わず、vに、具体的にv(t)の式を代入して、式の中のvを、全て、tの式で置き換えた時、「陽に示した」と言います。
注意点としては、Qの時間微分を求めるような時に、vが、tの関数であるから、dv/dtの項が存在するということを忘れてしまうと、計算結果が合わなくなります。
その他に、陽関数Q=f(t)と陰関数f(Q,t)=0というのもあり、この陰関数表記で表された関数が、Qについて解けない、すなわち陽関数表記に出来ないときも、「Qはtで陰に表されている」という場合があります。
ただ、これは、「陰に含む」というのとは、少しニュアンスが異なります。
どちらかというと、陽関数なら、直接計算で、tに対応するQを求められますが、陰関数表記の場合は、逐次近似法などの数値解法でQを求めなければならないというように、方程式の陽解法、陰解法に対応して使われることが多い様です。

【関連記事】
【現代歌人シリーズ(その2)】言葉に選ばれる
https://note.com/bax36410/n/nfbfd9fac438b

【現代歌人シリーズ(その3)】心で感じなければ
https://note.com/bax36410/n/n889688a247f8

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