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世界は一冊の本

ひとむかし前は『灯火親しむ候』といいました。

読書に快適な季節から『読書の秋』ともいいますよね。

活字ばなれと言われる現代にあって、そんな実感ってないのかもしれませんねぇ。

まんが、アニメ、映像文化の氾濫をはじめ世の中は、パソコン、インターネットなど、いわゆる『IT時代』。

書物ページを操るとかページを切る、といった言葉は死語に近いのでしょうね。

いまや『検索』の時代だし。

しかし、人間形成には、小さい時からの読書がいかに大切か、が論議されている。

「世界は一冊の美しい書物に近づくべくできている」ステファス・マラルメ

きっかけは何がもたらしてくれるかわからない。

未来のことを考えれば不安がないわけではない。

いかに旅に出ないことがもったいないことなのかに気づかされることもあるかもしれない。

ページをめくることができるのは、自分自身だけですよね。

多くの本を読むことで、人生を変える教えやヒント、出会いが訪れるかもしれない。

世界を巡り、さまざまな体験をすることで、本のページを増やすことができるし、ひたすら学び続けることで、将来そこから得た学びが必ず大きな財産となっていくはず。

長田弘の「世界は一冊の本」という詩の中は、「本を読もう。/もっと本を読もう。/もっともっと本を読もう。」で、はじまります。

「世界は一冊の本―長田弘詩集」長田弘(著)

そして、途中にこんな一節がありました。

「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。」

参考までに、全文を紹介しておきますね(^^)

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

書かれた文字だけが本ではない。
日の光、星の瞬き、鳥の声、
川の音だって、本なのだ。

ブナの林の静けさも、
ハナミズキの白い花々も、
おおきな孤独なケヤキの木も、本だ。

本でないものはない。
世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。

ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、
地図のうえの一点でしかない
遥かな国々の遥かな街々も、本だ。

そこに住む人々の本が、街だ。
自由な雑踏が、本だ。
夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。

シカゴの先物市場の数字も、本だ。
ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。

人生という本を、人は胸に抱いている。
一個の人間は一冊の本なのだ。
記憶をなくした老人の表情も、本だ。

草原、雲、そして風。
黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。
権威をもたない尊厳が、すべてだ。

200億光年のなかの小さな星。
どんなことでもない。
生きるとは、考えることができるということだ。

本を読もう。
もっと本を読もう。
もっともっと本を読もう。

三行ずつに十五行に書かれています。

詩の解釈をするまでもないですかね(^^)

読書は人によってさまざまです。

私は思います。

読書は人生の学校ではないかと。

先人たちは、こう言っています。

「読書百遍意自ずから通ずる」

また、アウグスティヌスも、「世界は一冊の本だ。旅をしないものはその本を一頁しか読めないだろう。」と言っています。

【参考記事】
第1回 世界は一冊の美しい書物に近付くべく出来ている
https://fugensha.jp/columns/第1回 世界は一冊の美しい書物に近付くべく出来/

ゴールなど最初からないのでしょう。

だが、だとしてもこの航海を悔いなきものにしない理由はないよね(^^)

『僕はどうやらこの世における一個の旅人に過ぎないようだ。君たちとてそれ以上のものだろうか?』(ゲーテ)

『人生は一冊の書物によく似ている。愚かな者はそれをパラパラとめくっているが、賢い者はそれを念入りに読む。なぜなら彼は、ただ一度しかそれを読めないことを、知っているからだ。』(ジャン・パウル)

『私たち一人一人が航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風。』(アレキサンダー・ポープ)

例えば、世界的に有名な投機家ジョージ・ソロスの元相棒であるジム・ロジャーズは「世界を見る為に旅に出ろ」と言っていました。

旅に出る事でいろいろな体験が出来る。

ジム・ロジャーズの場合は彼の頭の中に存在する膨大な知識と新たな体験が旅の合間に行なう思索と結びつき、とても独創的で魅力的な知性ある人物となるわけです。

その後は、多くの投資家のご存知の通り、彼は偉大なる投資家と呼ばれる投資のパフォーマンスを叩き出します。

成功を望むのなら、成功談・失敗談数多く読み、思考技術に関する本を読むといいのかもしれません。

またそれだけではなくより多くの経験を得ると、更に良い。

さらに定期的に散歩する時間をとっておくとなお良い。

思索には欠かせない時間となるはずです。

また、一人旅も楽しく為になるだろうなと、思います。

では、知性とはなにか?

人間たるもの、より多くを学び、より多くを体験しなければならない。

本ばかりを読んでいると馬鹿になるとドイツの哲学者ショウペン・ハウエルが言っていましたねぇ。

「読書は思索の代用品にすぎない」と。

思索こそが最も大切な事であるという事。

しかし、このことに異を唱えるならば、思索と体験、知識が三位一体となって初めて知性となると思います。

みなさんは、どう思われますか?

思索・体験・知識どれが欠けても知性たりえない。

中国の諺に大人(タイジン)という言葉があります。

大人になるには痛い思い、悲しい思い、辛い思い、美味しい思い全てを味わってこそ大人になれるとあります。

この諺は知性と通じる所があるのではないでしょうか?

思索だけでは知性とならない。

まあ、ショウペンハウエルはこの部分はあえて説明しなかったのかもしれませんね(^^)

仕事などにおいて、良質のパフォーマンスを得ようとするのならば思索と体験、知識は三位一体とならなければならないと考えます。

知性を高めてこそアウトプットする技術者の心眼は研ぎ澄まされるというものでしょう。

本やネットというのは思索の代用品というのは先に述べた通りなのですが、さらにクリティカル・シンキングのように思索自体をテクニカルに検証したり、知識を得たり、疑似体験を得る為に有効なツールとなりうると思います。

なぜならば、本とは人類の成功と失敗を記した膨大な臨床実験のデータだからです。

これを活用しない手はない。

本を読むものは、擬似的に人生を何度も体験できることになります。

でも、読まれる本は、ハウツーものが圧倒的に多いのが現状です。

成功談ばかりに目が行きがちですが、失敗談にも相当の価値があります。

なぜならば、避けるべき道がわかるからであり、成功者と同じ方法をとって失敗した者がいるという事がわかるからです。

その場合、同じ方法をとって成否がわかれるのならば、運のよしあしで結果が出たという事だけ。

でも、それを真似してはいけない。

自分自身の運命を運に委ねない選択をするべきです。

孫子の諺にも「勝ちやすきを勝て、勝つべくして勝て」とあります。

「書物なき部屋は魂なき肉体のごとし」と言ったのは、キケロです。

だから、人生は、ひとが胸に抱く一冊の本なのでしょうねぇ。

人の死にゆく道を深く問いかけ、「生きるということ」を静かにまっすぐに見つめる、詩人の到達した境地を示す、凛乎とした鎮魂の詩集なのかもしれません。

例えば、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」を聴いて、なんだか泣きたい気持ちになる、この本を読んでいるときの気持ちは、それにとても良く似ている気がします。

この素晴らしき世界(What a Wonderful World)//ルイ・アームストロング

https://www.youtube.com/watch?v=czI0VtKsvFM

世界は美しいと言えるのか、美しくないのか、そんなことも世界という本には書かれています。

でも読もうとする意志を持たない限り、何も見いだすことはできない。

自然も、人々も、この地球上のみならず宇宙に存在するすべてのもの、人工的なものも含めて、すべてのものが本なのです。

それらの本質を理解するためにもっともっと本を読まないと(^^)

私も、いつだって、もっともっと本を読もう、読みたいと考えています。

そして、見えない言葉で書かれた世界のことを、少しでもたくさん知りたいと思ってもいます。

人がすることすべて上達というものがあるのだとすれば、読書もまったく同じであって、何度も繰り返し、上手になりたいと願い、学び、そして、少しずつ腕前が上がっていくのかもしれませんね(^^)

読めば読むほどいろんなことがわかってくるし、前にはわからなかったことが突然見えてきたりします。

若いときに読んで気づかなかったことに、年をとって再読したとき、ああそういうことかと気づいたりすることができれば、少しは、読書の腕前も上がったのだと、素直に喜びたいなと思う。

そう、本の扉は、ドラえもんのどこでもドアと一緒なんだって、最近、思えるようになってきました(^^)

常に学び、吸収することを心がけてみる。

増やせば増やすほどその本は厚みを増し、自分にとってかけがえのない財産になることだろうと、そう、思います。

また、過去は一番新しい真実になりうる可能性があることを、「世界は一冊の本」が気付かせてくれます。

古いものたちの声に耳を傾け、今を生きる人々が自らの心に問うべき、という長田さんの思想が強く表された詩集です。

長田さんの詩の特徴は、日本だけでなく世界に、そして宇宙に視線が向けられているところですね。

世界中を旅して歩き、外国と親しく触れ合った長田の独自の視点と言えるでしょう。

この詩集の表題作「世界は一冊の本」は、金八先生でも朗読され、どこかで聞いたことがある、という方もいるかもしれません。

そうそう、金八先生こと武田さんも「男って馬鹿馬鹿しい生き物で、一冊の本で人生が変わるんですよ。」って言っていたし。

世界のありとあらゆることから感じよう、学ぼう、という姿勢は若い人はもちろん、自戒として何歳になっても心にとめておきたいものです。

この詩に呼応するように、世界で起きる戦争や様々な詩人、芸術家などに着想を得た詩が多く収録されています。

昆虫学者のファーブル、スペインのフランコ政権下で生きたファリャ、カザルス、ピカソなどの芸術家など。

今はもう語ることの無い人々をテーマにした詩の数々は、まさに、私たちが看過しがちなものを訴えかけてきます。

巻末には、この本に収録された詩のテーマとなった人々についての短文が、「おぼえがき」として収録されていて、巻末の「おぼえがき」の最後に、この本をまとめた長田さんの気持ちが凝縮されています。

「世界は一冊の本である。どんなに古い真実も、つねに一番新しい真実でありうる。」(『世界は一冊の本』より引用)

【参考図書】
言葉にこだわった詩人が送る「エール」:『なつかしい時間』

「なつかしい時間」(岩波新書)長田弘(著)

人が、大人になった瞬間をユーモラスに描く:『深呼吸の必要』

「深呼吸の必要」(ハルキ文庫)長田弘(著)

自分の心に問う「うつくしいもの」とは?:『世界はうつくしいと』

「世界はうつくしいと」長田弘(著)

たった二つの詩をクリムトの知られざる名画と味わう:『詩ふたつ』

「詩ふたつ」長田弘(著)グスタフ・クリムト(イラスト)

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