そうは言っても「昭和の上司」は素晴らしい
私が入社したのは、42年も前のことです。
そのころは昭和のサラリーマンの隆盛期。
バブルもあいまって、今では考えられない世界がありました。
会議室では若手は一番後ろが定席です。
前方の黒板に書かれた文字や数字は、上司達がくゆらすタバコの煙でよく見えませんでした。
(この頃はホワイトボードや、プロジェクターなんてありません。)
タバコを吸わない私にとっては会議は拷問でしたが、そんな私を見て上司が言った言葉は、、、、
「飯田! お前も社会人になったんだからタバコぐらいやれ」
「そんなんじゃお客さんとのコミュニケーションが取れないぞ!」
まさしくザ・昭和です。苦笑
でもです。
こんな上司達を今思い起こすと、素晴らしい人間性を持った人達でもありました。
今日は、箸休め。
昭和を知らない人達に、すこしだけ私が仕えた愛すべき上司のことをお話したいと思います。
1.昭和時代の営業
私が着任した部署は自動車部品の市販営業で、自社オリジナル製品の商品企画と販売を担当しました。
仕事は日本全国の代理店回りと小売店(カーショップや部品商)を巡回するマーケティングです。
当時、上司に言われたことは
今思うと、これ完全にコンプライアンス違反です。
今のビジネスは洗練されましたが「ちょっとつまんないなぁ」なんて思います。。。
おっと! これは独り言です。
2.素晴らしき昭和の上司
最初に仕えた上司は、100%純正培養の「浪花節の昭和上司」でした。
※浪花節とは、演歌の世界観を歌った歌謡曲です。
その片鱗を見たのは、代理店同士の揉め事を仲裁したときでした。
※これもコンプラ違反ですが、40年前は当たり前でしたからご容赦を!
両者の怒号がおさまったタイミングで、上司がやったことは、なんと土下座でした。
「全ては、弊社の不徳の致すところ。ここは当社にお任せ頂きたい」
まるで任侠映画を観ているような場面。
代理店はあっけにとられて、コトがおさまってしまいました。
まったく呆れるばかりです。
3.その筋の人を黙らせた後、お茶目な幕引きをした上司
それは、上司と地方の代理店回りをしたときのことでした。
仕事終わりにお約束の飲みニケーションタイム。
居酒屋で散々飲み食いして、タクシー拾ってホテルに帰る途中、上司はドライバーにこんなことを言いました。
来る夢、来る人と書いてライムライトってなんじゃそれ?です。笑い
吉幾三の歌に出てくるスナックじゃん。。。行きたくないなぁっと思っても昭和のサラリーマンは断れません。
10分ほどで店に到着。
入り口は案の定 一年中クリスマスみたいなイルミネーションでキラキラしてる。
ヨーロッパ風の白いドアに豪奢なドアノブ。。。。
店に入るとボックス席とカウンターがあって、壁はパープルの絨毯が敷き詰められて、絵に描いたような田舎のスナックだぁ。。。
早く帰りたいっと思っていると、カウンター奥に二人の怖面のお兄さん二人呑んでいました。
この二人、なんかヤバい雰囲気だったんです。
何か揉めてるようで、小さな声が段々声が大きくなってきて
「お前、何さらしてとるんじゃぁ」とか
「兄貴、それじゃ筋が通りませんよ」とか
まるで『龍が如く』みたいな会話が聞こえてきました。
私は、上司に早く帰りましょうよと伝えたのですが、まったく聞こえていないらしく、よせばいいのに同じカウンターに座ってしまいました。
・・・・なんだか嫌な予感・・・・が的中
こんな感じで酒席が終わり、請求書をママから貰った上司に事件が起きました。
※ここは神室町か?
差し出された名刺に〇〇総業&菱形のマークが。。。怖
これホンモノじゃん!
帰りのタクシーで、上司の言ったことが呆れた
「飯田。。奴らの折目筋目の通し方を学んでおけよ」
「財布無くした俺の心配をしてくれて、払いも済ましてくれた」
「東京帰ったら、礼状を送るから素案を書いておいてくれ」
今なら、完全にアウトなやつです。
っがしかし、、、人への気配り、気働きという意味では、私の中では〇です。
ガバナンス、コンプライアンスの目的は、社会に貢献できる規範意識を持って、世間様に御迷惑をお掛けしないように生きることです。
しかし、実態はルールを守ることを目的にしてしまっているような気がします。
問題が起こったらルールの不備と考えるような風潮には共感できません。
その意味では、私の中では上司の行動は〇です。
最後に、この上司が尊敬する人物が田中角栄と聞いて、全て納得しちゃった私でした。
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