見出し画像

蕾(コブクロ)の歌詞とたーにゃんこ

桜も散った春の深夜…

危篤の知らせ…病院にかけつける…

そこには病室で医師の蘇生を受ける
心肺停止した状態の父親…

理由もなく、なぜか戻ってくる予感…がする私…

なのに、私は父の延命治療を断った…

医師が蘇生をやめてから、
30分から1時間は経っていただろうか…

私の予感に答えるかのように自力で蘇生した父…

それはまるで

私に1人の人としての覚悟を持つ為の
心の準備をする1日をくれたかのような…

〜はじめに〜
この話は、実際にあった体験談をもとに
書いています。

いつも読んでいただき、
ありがとうございます。

皆さんは歌の歌詞って
気にしてますか?

私は歌詞で歌を選ぶ側です。

良い歌詞の歌はたくさんあり、
私なりの解釈を伝えていけたら…と思い、
記事を書き始めた次第でございます。

この記事を読む事で、
人に感謝する心や
広い心が持てるようになり、

読者様が色々な視点に気が付くことで、
日々を暮らしていく時に
あの時にやっておけば良かった!と、
思うような事が減るようになります。

今回はですね、
たくさん良い歌詞の歌がある中でも
コブクロさんの『蕾』について
書いていこうと思います。

その理由は、
私の人生に関わり深い内容だったからです。

元々この歌は、
コブクロの小渕健太郎さんが
実の母のことを想い、
感謝の気持ちを書いた曲として
知られてます。

今回は父親の話ですが、
最後まで読んでいただけると嬉しいです。


涙こぼしても、
汗にまみれた笑顔の中じゃ
誰も気付いてはくれない
だから あなたの涙を僕は知らない


父親は長距離トラックの運転手でした。
その背中を見て私も
長距離トラックの運転手になりました。

だから、父親の仕事がどれほど過酷で
責任感が必要な仕事だったのか、
よくわかります。

だけど私の前で、
父はいつも楽しそうに仕事をしていました。

その姿は本当にカッコよく、
憧れない理由は何一つないくらいでした。

そんな多忙な仕事で、
唯一の週一回しかない休みの日も
知人からの頼まれごとをしに出掛ける父…

なので、私は父と過ごす時間は、
ほとんどありませんでした。

ですが、
忙しい中でも誰かの為に何かをする父親が
私の誇りでした。

その反面、酒呑み、ギャンブル好き、
女好き、自分勝手など、身近な人からは、
評判が悪かったです。

だけど今から思えば、
自分の仕事をこなしながら、
他人の為に役立とうと努力し、

身近な人からは、
のんべぇだの、自分勝手だの、

よく言われない日々を送ることが、
どれほどのストレスがあるのかを
今の私は知っています。

父親の想いにも
誰も気付いてはくれないから
酒に逃げるしかなかったのでしょう。

もちろん私は、
父親が落ち込んでいる姿など、
一度も見たことがありません…

だから、父親が泣く姿は知りません…

泣きたいくらい辛い時は
山ほどあっただろうに…

いや、実際には
泣くほど苦しい状況も
多々あったと思います、、、

子供や親族に
そんな素振りを一切見せなかった事が
凄いと思うんですよね。

それに比べて今の私は、
承認欲求が強くて、
まだまだなんだなぁ…と実感します。


絶やすことなく、僕の心に灯されていた、
優しい明かりは、あなたがくれた、
理由なき愛の証

直接言葉で父親に
そう言われたわけではないけれど、

そんな父が背中で見せて、
誰かに悪く言われようと
やめることなく、続ける事を教えてくれた、

いつも僕の心にある
ボランティア精神の優しさの灯火…

誰かの為に何かをするのに
理由は要らない…

そうすれば自分の存在意義は作られて、

自分の存在意義は
自分で見出すもの
だと
教わった感じがしていました…

柔らかな日だまりが包む 背中に
ポツリ 話しかけながら

いつかこんな日が来る事も
きっと きっと きっと
わかってたはずなのに…

そんな暖かいひだまりで、
どこかしらいつもとは違う
ちょっぴり寂しげな背中…
父親は日用大工をしていた、ある日…

父親は『自分は長くは生きれない…』
何かを悟ったように
そう私に言い続けるようになりました。

その時は私も
{『憎まれっ子世に憚る(はばかる)』だから
  大丈夫だよ!クソジジィ!}って
笑って言い返していましたが、

今ならわかります。

自分の事もこなし、
他人の事もこなす生活が、
どれほど自分の身を粉にする想いなのかを…

消えそうに 咲きそうな 蕾が
今年も僕を待ってる

掌じゃ 掴めない 風に踊る花びら
立ち止まる肩にヒラリ上手に乗せて
笑って見せた あなたを思い出す
一人…

人は弱い生き物だから
あと少しのところで
いつも諦めてしまう。(消えそうに…)

だけど、(咲きそうな…)
咲き誇る可能性のある人達が、(蕾が)
今年も僕を頼ってきてくれる。
(僕を待ってる)

何度も自分の思い描いた未来を
掴み取ろうとするけれど
自分の心の弱さに挫けそうになる人達…
(掌じゃ、掴めない、風に踊る花びら)


そんな姿を見ている時には
教えてる私自身が挫折しそうにもなります。

そんな時には輸送していた
大型トラック1車分の荷物の持ち方を

子供の頃で力のない私が
重い荷物を持てなかった時に

教えてくれた時の父親を思い出します。

800〜1400ケースも積んでいるわけですから
全てを全力でやってしまうと
荷物をおろし終わるという目標達成までに
力尽きてしまう。

だから子供の力で止まってる状態から
荷物を掴もうとするのはツラいけど、

身体の動きの流れに勢いに乗れば、
体力を維持できる。

高い位置のものは高い所へ
低い位置のものは低い所へ置けばいい。

軽い荷物を高い所へ
重い荷物は低い所へ。など…

その原理原則に逆らうから
体力がもたないんだよ。

『やってごらん、、ほら、できた。』

そう言って微笑んでいた父親の姿を
1人で思い出します。

自分達はできないんじゃなくてできる方法を
知らないだけなんだと教えられました。

世の中の要領も意外と似ていて、

上手くいかない人は、
流れに逆らおうとしている事が
多いような気がします。


ビルの谷間に 埋もれた夢も
いつか芽吹いて 花を咲かすだろう
信じた夢は 咲く場所を選ばない

多くの人の夢は、
周囲の人からの否定により、
諦めさせられるのが現実です。

私の夢は、トラックの運転手だったのですが、

運転手になりたい!
そう言う私を、父親以外の家族は
全力で止めました。

大学へ行け、
運転手なんかいつでもできる、
父親みたいになるな!など

めちゃくちゃ止められました。

そんな時に自分勝手な父が、
自分勝手な私に教えてくれた言葉

画像3

たしかに‼️

『皆んなにアレコレ言われるのは嫌か?』
『それなら、地元を離れてしまえばいい』

本当にお前が運転手をしたいなら、
どこに行ってもできる。

『本当に自分がやりたいなら…な…』

繰り返されるこのセリフ…
『本当に自分がやりたいなら』

やりたいなら、やる。の一択。
頭ではわかっていても
なかなか決断できないものですよね。

正直に言うと、
親元を離れて生活するのは、
不安しかありませんでした。

どの職業でも、どの立場でも同じ事ですが、
当事者の苦労は、当事者しかわからない。

『運転手の誇りと苦悩は
  運転手を経験した者しか わからない』

父親の言葉で強く決意した事を
今でも覚えてます。

僕等この街に落とされた影法師
みんな 光を探して
重なり合う時の流れも
きっと きっと きっと
追い越せる日が来るさ

僕らは所詮、
誰かが作ったゲーム盤の上の駒。

その駒がゲーム盤から
排除される時がいつなのかも
私達は知らない。


『だから、
   たー坊の好きなようにしたらいい。』

父親からはいつも、
そうとしか言われなかった。

そんな、いつ終わりが来るのかを
わからない中でも、人々は皆、自分の光、夢、
希望を探して人生を歩む。

そんな私は、誰かの為に何かをしたい。
同じ想いだった父親の人生とも、
重なり合うような時の流れの中で、

父親を追い越そうと
必死で努力する自分がいる。

いつか追い越す日が来ると
希望を持ちながら…

そんな父は17年前の元旦の早朝
くも膜下出血で仕事中に倒れ…

緊急入院、緊急手術、
一命は取り止めたものの…

気切(きせつ)、胃瘻(いろう)、
自分の力で少し動かせるくらいで
話す事も、食べる事もできない状態のまま。

入院生活も、丸4ヶ月が経とうとしていた…

桜も散った春の深夜…
突然鳴り響く電話…
危篤の知らせ…

病院にかけつける…
そこには医師からの蘇生を受けるも
心肺停止した状態の父…

そんな中で、
理由もなく父親が戻ってくる予感…がする私…

なのに、私は父の延命治療を断った…

蘇生をやめて30分から1時間は
経っていただろうか…

私の予感に答えるかのように
自力で蘇生した父…

それはまるで、
私に1人の人としての覚悟を持つ為に
心の準備をする為の1日をくれたかのような…

風のない 線路道 五月の美空は 青く寂しく
動かない ちぎれ雲 いつまでも浮かべてた

夜が明けて
病室からは生まれ育った土地、
見覚えのある山、川、線路が見えていた。
父親の誕生月でもある5月…

危篤の一報を受けて駆けつけて
病室にいた私の心も

空に浮かぶ千切れ雲を
ただ【ボーッ】と眺めては
色々な事を思い出しながら

落ち着きを取り戻していた…

どれくらいの時が経っていたのだろう…

今、自分の目の前で、
父親という1人の人が
命をなくそうと言う時なのに、
世の中は何も変わらない、変わったりしない。

ゲーム盤の上の駒の一つが
その役目を終えようとしている。

世の中は無慈悲だな…

どこにも もう戻れない
僕のようだと ささやく風に
キラリ舞い落ちてく 涙

父親が一時的に心臓に鼓動を取り戻した所で、
心肺停止時間が長すぎた為に
あとしばらくの時間で
父親とお別れになる事実は何も変わらない。

私はこの世で唯一の味方だった父親を失う。

私がどんなに嫌だ!と
泣き叫ぼうが変わらない
どこにも戻れない。

どうやっても変わらない現実から目を背け、

病室から見える神社を見ようとして、
雲を見上げていた目線をふと下ろすと
景色がボヤけている。

画像1

その時、私は自覚した。

散り際に … もう一度 …
開く花びらは… あなたのように…

人が死んだくらいで
絶対に泣かないと思っていた自分が、
泣いているということを…

その濡れた頬を
さっきまで吹いていなかった風が
優しく濡れた頬を撫でて、
いっそう現実を突きつけた。

そして、この状況下でも、
自分の事しか考えていない自分自身にも、
自覚したのだった…

私は、父親を失って
悲しみから泣いているのではない。

このゲーム盤の上に1人取り残されたその淋しさと、まだ起こってもいない、父親の代わりや借金返済など、漠然とした不安から泣いているのだ。

父親はそうなる私を
見透かしていたかのように

散り際にもう一度
私の希望通り戻ってきた…

1人の人間として生きていく
覚悟ができるように

また、
家族や周りの人を
支えられる人になれるように…

聴こえない 頑張れを
握った両手に 何度もくれた

危篤から28時間くらい経った頃…

遂に父親の脈が細くなる…

私はゲーム盤に
1人残される覚悟をした。

画像2

私は父親の手を握る。
まだ57歳…
58歳まであと2週間足らず…

あれほど長生きはしない。と
そう言われてはいたが、
こんなに早く居なくなるのか…

私があまりに成長しないから…だな…

『大丈夫!頑張れ!俺の子ならできる!』
『大事なのは、おもいやる心』
『誰かの為に』

そう何度も言われている気がした…

【できるかできないかじゃない。
 やるしかねぇだろ!クソジジィ!】

と思いながら、
まだなお、死に目まで手を握ってられず
逃げるように再び病室の窓際へ行く。

消えそうに 咲きそうな 蕾が
今年も僕を待ってる
今もまだ 掴めない
あなたと描いた夢

死にそうで死なない。
父親は生きたかったんだ…

なのに、
私が先に諦めたんだ…

私は父親を間接的に殺したのか…

正直なところ、現実逃避だった…

認めない。認めない。
クソジジィは死なない。
私が生かす。

自分から延命治療を断っておきながら
なんて自分勝手なんだろう…

人は弱い生き物だから
あと少しのところで
いつも諦めてしまう。(消えそうに…)

だけど、(咲きそうな…)
咲き誇る可能性のある人達が、(蕾が)
今年も僕を頼ってきてくれる。
(僕を待ってる)

親父に似たんだろうな…

『大事なのは、おもいやる心』
『誰かの為に』 か…

そう思いながら、
先程も見ていた神社を見下ろす。

心肺停止の合図と疑うことのない
『ピーーーーー』という
音が聞こえてくる。

私はその事実に大した動揺をする事もなく、
父親がくれた覚悟の時間のおかげで、
色々な手続きが淡々とできる。

死してなお父親らしいクソジジィに
負けられねぇな…こりゃ…

あれ、、、

天気は良いのに、、、

頬が冷たい…


立ち止まる 僕のそばで
優しく開く 笑顔のような
蕾を探してる 空に…

あれだけ覚悟をしたにも関わらず
人間とは弱い生き物で、

親族やネットからの批判、
誹謗中傷、アンチコメントなどで
行き詰まり、立ち止まる。

そんな時には

『おもいやりの心』
『誰かの為に…』
『本当に自分がやりたいなら』

そう掌から伝えてくれた
父の笑顔を思い浮かべながら

他人の為に無償で、なんて、
ほとんどの人には理解できなくても、
理解してくれる人は必ずいる。

『ありがとうクソジジィ』

今日も私と同じように思ってくれる
親族や知人に未来を否定されて
咲けなくなっている蕾を探す…

私は誰かの作ったゲーム盤の上で…
空を見上げて…

最後まで読んでくださいまして
ありがとうございます。

実際に人生の体験談から
書かせていただきました。

コメントや感想をいただけると
励みになります。

『蕾』with たーにゃんこ

画像4

#蕾 #コブクロ #実話 #実際にあった #話
#たーにゃんこ #感動 #号泣 #歌詞解説
#解釈 #人生の体験談

ほとんどの記事を無料で書いていますので、価値ある情報だと思ったら、サポートしていただけると嬉しいです。