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大人になれる気がしない

 気づけば大学4年生だった。

 就活はとっくの前に終わっている。なんで今更こんなことを思っているのかはきっと、卒研の期日が迫っているからだ。

 大学卒業を前にして、自分はどのくらい成長できたのか。自分のなかで大学生活を思い返すと、大まかに4つの時期があった気がする。

 最初の時期は、1年生前期の、オンラインで授業を受けていたとき。この時期は地元にいて、家族が家事をしてくれているありがたみに気づいていなかった。地元の友人と遊び、大学の課題に取り組みながら家でゲームばかりしていた。
 その時期は人間関係が固定化されていた。高校からの友人とだけ遊び、家族と一緒に生活していた。新しく仲良くなる人はいなくて、同じ大学の友人はいなかった。
 今思うとこの時期が一番楽だった。大学の課題はオンラインということもあり、不慣れなことは多々あったが、忙しいというほどでもなかった。高校生の延長線上で、子どものままだった。

 1年生後期からは大学に登校する必要があった。そのため、地元から離れ一人暮らしを始めた。一人暮らしを始めて最初の一日は孤独感から涙を流した。今思うと恥ずかしいが、そのときは不安でいっぱいだった。
 大学に登校するようになって、友人の存在はとても大事だと痛感した。既に同学年の学生はSNSで友人をつくっており、出遅れていることを自覚した。
 友人をつくるために、緩いサークルに所属することにした。自由参加で、自分の自由なタイミングで人と関わることができた。ただ、目的が同学年の友人をつくることだったので、最初は積極的に集まりに参加した。
 ここで同学年の友人を見つけ、ともに授業を受ける友人ができた。親元から離れた結果、一人暮らしで身の回りのことを自分で行う必要があり、最低限の家事を行うようになった。それでも、趣味以外にはお金を使わず、だらしのない人間だった。このときもまだまだ子どものままだった。

 二年生後期からアルバイトを始めた。サークルの友人の紹介で塾講師として働くことになった。塾講師という仕事は大変で、時間外労働も多く、家で授業の準備を数時間も行う必要があった。準備をしないとまともに授業なんてできなかった。
 かなりしんどい仕事だったが、これによって労働というものを体験できた。働いた分だけお給料がもらえ、やりがいにつながった。塾講師は、生徒と関わりたい、受験に頑張る生徒の力になりたい、将来教師になるための経験稼ぎ、などの目的で始める人が多い。けど自分はお金のためだった。だからきっと、生徒にとっていい教師ではなかったのだろう。
 働いてお金を得たことで、服を買うことを知った。それまでは必要最低限しか服を持っていなかった。ただ、塾の正社員の方から、身だしなみに気を遣うように言われ、服にお金をかけるようになった。
 1着しかなかったスーツを3着にした。スーツを違和感のないバッグを買った。革靴も、雨用と冬用を新しく買った。
 そして、今までのだらしのない自分が恥ずかしくなった。働く前の自分は子どもだったなと強く思った。けれど、自分は大人になったとは到底思えなかった。
 アルバイトだけでは生活できない。親の仕送りのおかげで生活している。携帯の契約も詳しくは知らない。ネットの契約も親がかわりにやってくれている。親がいないと生きていけない自分はまだ子どもだろう。
 

 働きだしたら大人になれるのだろうか。自分の稼ぎで生活できるようになれば、それは大人になると言えるのだろうか。
 今はアルバイトをやめ、卒研の進捗も微妙なまま、怠惰に過ごしてしまっている。きっと今は、アルバイトをしていた自分より子どもだろう。
 このままだと本当に自堕落になってしまう。危機感はある。明日から頑張ろう。うん、これじゃあきっと明日もダメだろう。

 明日から頑張るのではなく、今から頑張るために日記みたいななにかを書くことにしました。なぜ日記?なんでだろう。ただ、何か生産的な行動がしたいと思ったから行動に移しました。明日の自分、頑張れ。今日の自分はほんの少しだけ頑張ったぞ。ほんの少し。

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