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 記憶力はあてにならない

 みなさんは昨日食べたご飯を覚えていますか。私は、昨日の朝ごはんは思い出せる。その前日、つまりは一昨日にローソンで買ったロールケーキを食べた。しかし昨日の昼ごはんは何を食べたか明確に思い出せない。前日に作った回鍋肉あまりだったような、そうでないような…… 
 朝ごはんは印象に残っていたため、覚えていた。昼ごはんは印象が薄く、明確に思い出せない。
 
 そもそも、昼の11時とかに起きている人間の朝ごはんは本当に朝なのかという疑問もある。生活リズムが乱れているため、そもそもいつ朝ごはんを食べたのかすら怪しい。

 おそらく、私の記憶力は非常に低い。調べものをしようとして、ブラウザを開いている間に、調べようとしていたものを忘れることが多々ある。自分でも嘘だろと思うが、本当のことだ。ダチョウといい勝負できる。
 
 家をでてから、鍵をかけたかわからなくて、敷地内から出る前にドアまで引き返すこともある。そんなすこし前のことも覚えてられない記憶力だ。

 正直ここまで酷いのは私に問題があるような気もする。ただ、人の記憶力があてにならないことを示す研究は多数存在する。

 面白い例として、硬貨の大きさに関する研究がある。1円玉の大きさを紙に書いてもらう実験だ。この実験を多数の人に実施すると、ほとんどの人が実際のサイズより小さくなってしまうという。これは、無意識のうちに、1円玉の価値を考えてしまっていることが原因らしい。1円玉は価値が低いため、実際のサイズよりも小さく考えてしまうという。
 今の世の中は電子マネーが増えているため、現金を持ち歩かないよという人もいるだろうが、日常生活で幾度どなく扱っている1円玉の大きさを正確に把握している人はいない。1円玉の大きさを知っていようと、それが日常生活に何の影響もないからだ。

 忘れるという行為が悪いわけではない。必要のない記憶を整理し、新たな記憶を保存するだけの容量が必要になるので、忘れるという行為は大切だ。

 問題なのは、思い出す必要があるときに、思い出すことができないことだ。忘れてしまったことを思い出すにはいろいろな方法がある。何かしらの履歴や痕跡を漁ればいい。ゴミ箱や冷蔵庫、買い物のレシートなどを見れば、昨日の昼ご飯に何を作ったのか思い出すことが可能だ。

 私の昨日の昼ご飯も、パックご飯の残骸があることから、きっと料理はしていない。料理をしていないということは、きっと前日に作った余りものだろう。冷蔵庫を見る限り、少し前に回鍋肉を作ったはずだ。だからその余り物は回鍋肉に違いない。
 ここまでは考えることができる。だがそれでも、本当に回鍋肉を食べたのか?と思ってしまうのが私の記憶力がヤバすぎる所以だろう。

 もっと毎日真剣に生きます。


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