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武器になる哲学 第4回

どうも!地方公務員のばたやんです!

今回は、知らず知らずのうちに学びの機会逃していたと振り返ることができた考え方を紹介します。

🔷他者の顔
~「わかりあえない人」こそが、学びや気づきを与えてくれる~

エマニュエル・レヴィナス
フランスの哲学者、エドムンド・フッサールやマルティン・ハイデガーの現象学に関する研究を残した。

〇他者とは
レヴィナスの言う「他者」とは、「自分以外の人」ではなく、どちらかというと、「わかりあえない者、理解できない者」といった意味。

○他者論に対するレヴィナスの答え
「他者とは”気づき”の契機である」

未知のことを「わかる」ためには,「いまわからない」ものに触れる必要がある。いま「わからない」ものを「わからないので」と拒絶すれば「わかる」機会もまた失われてしまい、「わかる」ことによって「かわる」機会もまたうしなわれてしまう。だからこそ「わからない人=他者」との出会いは、自分が「かわる」ことへの契機となる。

○「顔」の重要性
レヴィナスは「他者」との邂逅において、しばしば「顔」の重要性を指摘している。

ひとり「汝殺す勿れ」を告げる顔のヴィジョンだけが、自己満足のうちに、あるいは私たちの能力を試すような障害の経験のうちにも、回帰することがない。というのは、現実には殺すことは可能だからである。ただし殺すことができるのは、他者の顔を見つめない場合だけである。
エマニュエル・レヴィナス『困難な自由 ユダヤ教についての試論』内田樹訳

この文章を読んで理解できる方はおそらく少なく、なんとなく重要そうなことが書いておりそうだな、とは感じる方は多いと思います。
レヴィナスがここで言おうとしているのは、わかりあえない他者とのあいだであっても、「顔」というビジョンを交換することで、関係性を破壊することは抑止できるということです。

○現代における「他者の顔」
ネット社会である現代において、同じ価値観を持ったものだけで場を作る「島宇宙」化が進むことで、場ごとに隔離されてしまい、相互の意見交換がほとんど「対話不可」といっていいほど困難になっている。
このような状況になっていても、「顔」を見合わせて対話をし続ける努力が必要なのではないだろうか。

第4回

私が所属している「よんなな会」や「オンライン市役所」という公務員限定のコミュニティの方針の一つに「顔が見える関係性をつくる」というものがあり、公務員という共通項を持った全国の仲間とSNS上でつながるだけでなく、オンラインミーティングを利用し「顔」のビジョンを交換することで情報交換しやすい場づくりを行っています。
今回の考え方において、「顔」のビジョンを交換することで信頼も交換しているのだと思いました。

この記事の内容が誰かの力や気づきになれれば幸いです。
それでは、地方公務員のばたやんでした。