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旅の記憶 1994・夏 カイバル峠を目指す



30年前の夏
僕はパキスタンの
ペシャワールにいた

僕たちがこの街に来た理由
それはカイバル峠

カイバル峠は古くから東西の文化圏を結ぶ交易路として重要な峠で
世界史の教科書にも必ず出てくる有名な峠
紀元前3世紀にアレキサンダー大王が
ペルシャを征服してこの峠を超えて
インドに進出し大帝国を築き
東西文明の交流と融合が
始まったと言われている

玄奘三蔵が越えた場所でもあり
旅人にとってはこの峠の歴史や
「中央アジア世界」と「インド世界」
を繫ぐ峠として
ロマンいっぱいの場所なのだ

また、カイバル峠は
「 トライバルテリトリー 」
と呼ばれる国家権力の及ばない
部族地域の中にあり
パキスタンの法律が適用されるのは
国道の上だけで
国道から一歩でも離れると
地域を支配している部族の掟に
従わなければいけないという
特殊なエリアでもあった


当時このエリアに行くためには
パキスタンビザの他に
パーミッション(通行許可書)
を別に取る必要があった

ペシャワールの街には
何箇所かの許可書の発行オフィスがあったが
どこでカイバル峠の許可書が取れるのか
当時は情報も少なく
僕たちは許可書を求めて
街を歩き回ることになる


当時の日記より


1994年8月29日

イスラマバードから
フライングコーチで2時間半程で
ペシャワールの街に着く

うだるような暑さの中ホテルを探す
地球の歩き方で評判の良かったローズホテルは満室

新市街まで歩いて探すが
なかなかホテルが見つからず
夕方近くなってようやく
HABIB HOTELにチェックインできた

この日はホテル探しに1日を費やした


1994年8月30日

早朝、通りを通るバスの
パラリラパラリラ〜という
大音量で目が覚める
昨日の疲れが残っており
9時過ぎまでベッドで過ごす

目覚めた後はPOST OFFICEへ
久しぶりに日本へ手紙を出す

その後通行許可書を求めて
発行オフィスに向かうが
そこではカイバル峠のパーミッションは
取れないと言われる

その後パキスタンビザの延長をしに行くが
延長手続きはイスラマバードでしか
できないと断られる

その後バザールを見に行ったが
それほど興味を惹かれるところではなかった

その後レストランで食事を取りホテルに戻る

あちこち歩き回ったが
なんの成果も得られない1日となった

1994年8月31日

今日こそはカイバル峠に行こうと
朝8時にホテルを出て
バスに揺られて昨日とは別のオフィスに向かう

途中で朝食を取っていると
パパ と名乗るパキスタン人が
カイバル峠までのガイドをすると
声をかけてきた

どこのオフィスに行けば
パーミッションが取れるのかも
よくわからなかった僕らは
半信半疑ながらも
彼にガイドを頼むことにする

彼に連れられて、別のオフィスに向かう
行く道すがら、大きな建物の横を通ると
彼がここは刑務所だと言い
自分も昔は言っていたことがあるという

不安は一気に大きくなったが
彼の案内で無事に
許可書を手に入れることができた

カイバル峠に外国人が行く場合は
許可書の他に護衛の警官を
雇わなければいけないというルールがあった

これもパパ氏の計らいで
護衛の警官と移動用のジープも
なんなくチャータができ
いよいよ僕たちはカイバル峠を目指す


峠を目指す途中、ぼくらはアフガニスタンの難民キャンプのそばを通る

広大なエリアにバラックのような建物
が永遠と軒を連ねていた
ニュースで見ていたキャンプは
本当にその一角でしかなく
全く僕の想像の及ばない世界が
そこにはあった



しばらく走ると大きな石造の門の前で
車が止まった

シャムルート砦のゲート トライバルテリトリーへの入り口でもある


シャムルート砦のゲートで
ここから先がトライバルテリトリーと呼ばれる
パキスタンの法律が適用されない
特殊なエリアになる


護衛の警官と記念撮影 銃を持たせてくれた それでいいのか?笑
ちなみに手前の髭のおじさんがパパ氏


僕たちはいよいよ
カイバル峠を目指し
トライバルテリトリーを進む

続く

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