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旅の記憶 1994・夏 さらばトルファン カシュガルへ バス旅 1日目


30年前の夏
 僕は中華人民共和国 新疆ウイグル自治区
トルファンからカシュガルに向かう

Googleマップで調べると
トルファンからカシュガルまでは
その距離なんと1361km
東京から鹿児島市までとほぼ同じ距離
経路検索では車で16時間との表記が出るが
当時の日記によると
そのバスは2泊3日の旅程だった
寝台バスなんて上等なものではなく
普通のバスで日中走り
夜はホテルに宿泊するという仕組みだった


このバス旅は
この旅で最もきつい工程になる

同じ宿に泊まっていた日本人4人といっしょにバスに乗り込む。左端が筆者


朝8時半出発予定のこのバスは
中国ではよくあることだが
出発時間の1時間を過ぎてから
ようやくバスターミナルにやってきた

そしてこれまた中国旅のお約束なのだが
チケットは指定席として売っているのに
席に番号が振られている訳ではなくて
席は早い者勝ちというシステム

1時間遅れのバスがターミナルにやってくると
待っていた乗客が一斉にバスになだれ込む
指定席のはずなのに
席が足りないことが多くて
モタモタしていると席無しになるからだ
最後のシートは椅子取りゲーム
さながらの大喧嘩になる
案の定数人が席を確保できず
地べたに座るコトになる

なんとか席を確保した僕らを乗せて
バスはようやく走りだす

走り出したのも束の間
最初のトラブルだ
ターミナルを出て1時間
バスは急に動かなくなってしまい
しばらくエンジンルームを見ていた運転手も
そのままどこかに消えてしまった

小一時間ほど待たされて
運転手が変わりのバスに乗ってやってきた
故障して動かないので乗り換えろと言うのだ

そこでまた席の取り合いで
我先にと替わりのバスに乗り込み
僕たちはまたもなんとが席を確保した
何しろ2泊3日の長旅
席なしは勘弁願いたい

ようやく動きだしたバス
でも急遽用意したせいなのか
見るからにオンボロのそのバスは
全くスピードが出ない
おまけに上り坂に入ると
あからさまにスピードが落ちるの
これで本当にカシュガルまで
辿りつくのだろうか・・・

そんな不安をさらに煽るように
更なる不運がやってきた

峠をかなり登った頃
バスは突然止まり
運転手からまたもや降りろ
と促される

山に向かう人々

どうやら土砂崩れで
道が通れなくなってしまっているらしい
遠近感がおかしくなるような
山間に向かって歩く人
僕たちもその後を追う

土砂崩れの撤去作業中(ピンボケ失礼)


歩くのはいいが
その先はどうするんだと思っていたら
大きな石の撤去作業をしている横を
歩いて通り抜けた先で
僕たちはまた別のバスに乗り換えた

当時山間部での崩落は良くある出来事

当時のアジア旅行では
何度か出会った光景で
土砂崩れなどで
車が通れなくなった時に
道の両側から
人間だけが歩いて
反対側の車に乗り継ぐことがあった
程度によるのだろうが
道路の整備がまだ不十分だったこの時代は
小さな崖崩れは日常茶飯事で
諦めて引き返すより
なんとか乗り越えるという発想が
現地の人の感覚だったようだ
仕組みはよくわからないが
その場で似たようなサイズの
バスの運転手同士が交渉して
お互いの乗客を交換しているようだった


長距離バスは途中何度か休憩をする

この頃の中国では都市間を移動には
長距離バスが一般的だった
途中トイレ休憩だったり、食事休憩の時間が
こんな感じの場所でとられる
今でいう ドライブインのような感じ


砂漠の真ん中にポツンと休憩のための集落がある感じ

ご覧のように
見渡す限りの平原の中に
ポツンと現れる小さな街

僕が乗っていたバス

そこにある店で
こんな風に
トイレや食事を済ますのだ

レストランオーナーの子供のようだった

この手の店はたいてい家族経営のようで
ご両親は、バスの乗客相手に
商売をしているケースが多いから
その間は、こんな小さな子が
さらに小さな子の面倒を見ている
これもアジア旅行でよくある光景だった


こうして僕たちは
バスを2度乗り換え
峠を歩いて越え
へとへとになってホテルにたどり着いたのだが
時計の針は夜中の2時を回っていた

暑さと疲労で
ベッドに入るとすぐに眠った

                 続く

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