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旅の記憶 1995年春 新鑑真号にて


今から29年前の春
僕は新鑑真号に乗っていた



通算3度目の鑑真号
正確には新鑑真号は2回目で
最初に乗ったのは鑑真号

最初に乗った鑑真号は
船体も古く、くたびれた感じが否めず
船に乗った瞬間から
異国での旅が始まったような感覚があったが
新鑑真号は真新しい設備と快適さで
どちらかというと
日本からまだ出ていなような感覚だった


乗船4日目の朝、船は長江を上海に向けて溯上する


この時も、僕と同じような若者が
沢山船に乗り込んでいた

この頃はバックパッカーと呼ばれる旅行者が
年々増えていた時代で
過去2回の時よりも多くの旅人が乗船していた

そんな中に彼がいた

偶然再会したワタベさん(中央)


彼の名はワタベさん

彼と出会ったのは
この時から遡ること1年半前
苫小牧港〜仙台〜名古屋行きの
フェリーの中だった

その時の僕は 大学1年生
夏休みを利用して
自転車で北海道を1ヶ月かけて旅した後で
地元の仙台まで、フェリーで戻るところ

一方のワタベさんも
自転車旅を終えたところで
彼は名古屋までの帰り道だった

この時僕たちは互いに
次の旅は海外自由旅行を目論んでいて

そんな2人が偶然にも
同じ船に乗り合わせたものだっから
まだ見ぬ異国の地への旅への話で
大いに盛り上がった

その後、僕は仙台で船を降り
特に連絡を取ることもないまま
1年半の月日が流れた


上海の街が見えてきた

気がついたのは
新鑑真号の乗船手続きの時
乗船者名簿の、名前をチェックする際に
リストの僕の名前の上の方に
耳覚えのある名前が・・・

今と違って、個人情報に
無頓着な時代だったので
そのリストにはフルネームと住所
生年月日までが書いてあり

乗船手続きの際には
係の人がそのリストのページを全部見せて
お前はどれだ?
と聞いてくるようなスタイルだった

同姓同名
住所は愛知県
生年月日も同じ1970代生まれ

これはもしかしたら・・・
と横浜港を離れてから
船内ですれ違う人に注意を払ったが
なかなか見つけられなかった

何しろ、1年半前に1度会ったきりだし
2人とも約1ヶ月の
キャンプ生活で真っ黒に日焼けし
野生児のような風貌だったのだ


たまたま船内放送でワタベさんの名が呼ばれ
レセプションに現れた本人を見ても
まだ自信が持てずに話しかけられず

その後船が出港した後
ばったり廊下で出くわした時に
もしかして、、、ワタベサさんですか?
と声をかけると、やっぱり本人だった

僕たちは再会を大いに喜び
あの時話した海外自由旅行に出た
お互いの行動力を褒めあった

旅はたまにこんな再会があるから面白い



新鑑真の2等寝台の彼 手前の彼は当時の旅人の必携本 歩き方を見ている


船には他にもいろんな旅人が乗っていて
3泊4日の船旅はあっという間だった

緑の帽子の彼は
アルバイトでこの船に乗っていると言っていた

嘘か誠かはわからないが
大きなスーツケースを持っていて
それを上海港まで運ぶ
アルバイトだと言っていた

カバンには鍵がかかっていて
中身は知らないが、それを運ぶだけで
まとまったお金がもらえると言う

渡す相手も知らない人で 
緑の帽子が目印だそうで


カバンを渡すともらえるバイト代で
そのまま中国国内を旅すると言っていた

今思えば他に荷物を持っていなかったから
からかわれていた
だけなのかもしれない
そんな話がさほど違和感もなく
話せる時代だった


そんなこんなで
3泊4日の船旅はあっという間にすぎ
僕は3度目の上海にたどり着いた


3度目の上海

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