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『天狗』大坪砂男(昭和23年)

 大坪砂男の名を知ったのは、西村賢太の「私小説五人男 わたしのオール・タイム・ベストテン」(随筆集『一日』収載)を通してで、あれは確実に2012年のことだ。
 しかし私は大坪砂男を読まなかった。
 田口トモロヲの「鉄男」を思い出しながら、ヘンな名前、と思っただけだった。

 文中からミステリー作家と知れたが、西村賢太の好きな推理小説といえば横溝正史で、自分はその横溝正史が別に好きではなかったので(つまり名前以外ほとんど知らなかったので)、それでこの作家についても全く高を括っていたところがあるというのは否めない。

 当時、田中英光や藤澤清造、川崎長太郎などにはホイホイ手を伸ばしていたところをみると、推理小説を軽んずる向きが私の中にあったのだろう。昔アルセーヌ・ルパンが好きすぎたことがあるが、それで却って“ああいうのは子供の読むもの”という偏見もあったかもしれない。

 けんけんの死後、鶯谷の居酒屋、駒込の焼き鳥屋やサウナ、青山の墓地やら、飯田橋から神保町へ至る道のり等々、何か判らぬものが私をしてその足跡を訪ねさせたものだが、その地に両の足を立て両の目をかっ開いて眼前の景色を脳裏に映してみると、脳味噌の、針の先ほどのミクロンがチクリと彼と同化したような嬉しい一瞬が得られるのだ。
 湧き上がる記憶で脳がいっぱいになることもあった。

 そんな流れの中で今年『誰もいない文学館』(西村賢太 2022)を読み、ようやっとその掲載作も、読んでみぬ手はなかろうという気になったわけである。
 帯に「文豪ばかりが作家じゃない!」とあるこの本は、「一私小説書き西村賢太の人生を変えた“幻の作家”たち」を自ら紹介していく文芸誌での連載をまとめたもので、大坪砂男は「閑雅な殺人」という作で取り上げられている。

 その中で「中学一、二年時(1980年頃か)に『天狗』を初読して以来、今でも年に一、二回は必ず復読している。無性にこの文体に接したくなって、どうしても発作的に読み返してしまう」とまで書かれる、その大坪の文体とは、「まるでムダな体脂肪と云うものがない」、「他に類のない驚異的な文体」らしい。

 さてこれを自分で読んでみてどうだったか。
 私は嬉しくて泣けてきた。
 脳の何ミクロン、どころではない、抜かれた度肝がゴソッとけんけんのそれにすり替わったような感覚。

 「なんだこれ?!?」
 少なくとも推理小説ではないし、かと言って他の何かでもない。 
 こんな変テコなものは読んだことがなかった。
 奇妙奇天烈かつ頓珍漢、奇想天外、得体は知れないが、カテゴライズはできないが、しかし確実に面白かった。
 読めない漢字も多いのに(まさかに、スッ飛ばして読むことまで想定して書かれている? いや、そんな訳はない…)、にも拘らずこの狂ったようなスピード感は一体何んなのだ?!?
  頭のぶっとんだ胃腸の弱い男が逆恨みをたぎらせ、突飛で荒唐無稽かつ緻密な犯行計画を練り着実に突き進んでいく。狂人の脳内でゆるぎなく辻褄の合った世界が、押して流すように高速で展開される。
 ジャンルなど怒涛の彼方に置き去りだ。
 
 そうか、こういうのが「文の芸」なんだよなァ、と75年も前に書かれたものに痺れつつ、まさに驚異しつつ、横隔膜と腹筋を5、6度痙攣させて、つまりワハハハと笑いながら、その瞬間心臓が40年以上前の14歳のけんけんとシンクロしたようで、ちょっと涙腺の奥がジワリとしたのだ。


 …書きながら、文章の勢い、力量というか、熱量というか、速さというものは、一体どうやったら出せるものかしら?作家という人たちは一体どうしているのかしら?と思っていたが、まあ、一番書きたかったのは、心臓が一瞬置き換わったかのような錯覚と、それが滅茶苦茶嬉しかったことについてだ。

 随分前のことになるが、藤野可織の「狼」を読んで「すごいなこのスピード感!」と感心していたところ、暫くして出た『風来鬼語 西村賢太対談集3』 (2015)で藤野が「(『狼』のあの描写は)なかなかすごかったです」と言われているのを見付け、このときも私は大層得意になったものである。
 しかし、あの時はまだけんけんは生きていたなぁ。


サウナ、駒込「ロスコ」の玄関にあるポスター

「東京で行ってるサウナによ、北朝鮮に連れてかれたんじゃねえかってい 
 う行方不明者のポスター貼ってあんだよ。俺、あれ怖くてよ。俺どっか 
 連れてかれても、誰も気付いてくんねんじゃねえかと思ってよ。
 …お前、俺と連絡取れなくなったら、頼むぞ。な?」

 サウナの中で、車内での会話が蘇った。
 助手席の彼が「北朝鮮のバ〇息子w」、いつものように意気揚々とモノマネ込みで口の悪さをブチかましていたとき、私が「…あのさぁ。笑ってるけどさぁ、北朝鮮って、何の罪もない13歳の女の子を、ある日突然誘拐して、何十年も監禁してる国だよ?」と言ったら、一瞬の沈黙ののち「そうだな」と言って、出てきたのがこの言葉だった。
 2018年、初の米朝首脳会談が実現した頃だ。すっかり忘れていた。
「トランプすげぇな!」と言っていた。

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