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「どうやって英語勉強したんですか?」

人生で1番訊かれた質問といっても過言ではないでしょう。「どうやって英語勉強したの?」「今度、英語の勉強法教えて!」etc etc... あと「英語できるんだ!なんか英語で喋って!」っていうのもありますね。これはされて1番嫌な質問というか無茶振り…だって何について喋ればいいかわからないんだもの……!(訊いてる側に悪気がないのはわかっている)

というぼやきはおいておいて、じゃあ実際自分がどうやって渡英までの27年間、「純ジャパにしてはすごい」と言ってもらえるレベルの英語を身に着けてきたか、全く参考にならない英語遍歴を振り返ってまとめてみたいと思います。先に忠告すると、「今から英語を学びたい社会人」よりも「子どもに英語を身に着けさせたい親御さん」のほうが役に立つかもしれない内容です。でもたぶん参考にならないです。あと長いです。あしからず。

どうしてもバイリンガルになりたかった母

こういう書き方をすると言い方が悪い感じがしますが、英語を学び始めたときにそこにわたしの意志は1ミリも介在していませんでした。というのは、物心がついたときにはもう英語を学び初めていたからです。大げさではなく。日本語を覚えるのと同じように、気づいたら英語に触れていたんです。そこには母の執念とも言える自己流英才教育がありました。

母は英語に「憧れた」人です。海外旅行が好きで「金髪碧眼のイケメンと結婚して可愛いハーフの赤ちゃんを産みたい」とわりと本気で思っていました(今のご時世だと多方面から怒られそうだけど)。何なら祖母も似たようなことを言っているし、今でも隙あらばわたしに期待を投げかけてきます。そんな英語への憧れを胸に(理系が得意だったのに)英米文学科に入った母でしたが、英米文学科は英米文学を学ぶ学科で、英語が話せるようになる学科ではなく断念。結局思い描いた理想のバイリンガルになれなかった挫折を持っていました。そして、その思いは必然的に娘に向いていきました。

ディズニーがお友達

母がまず実践したことは、ディズニーなどのビデオを英語で見せまくることでした。90年代当時、今ほど第二言語習得が体系的に語られてたのかはわかりませんが、直感的に「耳から覚えるのが大事」と思ったみたいです。一人っ子だったので、母が家事をしている間の一人遊びのお供に、録画したディズニー映画を英語版・字幕なしで繰り返し繰り返し見せていました。おかげで物心ついた頃には、アラジンの A Whole New World を意味もわからないのに英語で歌うような子に育っていました。まわりの友達のほとんどは吹替版で歌うのだから、すごいギャップです。

ディズニーの他にも、サウンド・オブ・ミュージックやチキ・チキ・バンバンなどのファミリー向け映画も定番でした。当時の自分が意味を完全に理解していたかときかれたら、ないと思います。でも画の展開と声のトーンで、なんとなくどういう話なのかはわかる、それで十分でした。耳からの情報だけで真似をしていたので、意味はわからないけれど発音はよくできる現象が起こりました。ついでに発音がいいと母が喜んでくれるので、いろんな歌をどんどん覚えました。完全なる母の勝利です。

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とにかくネイティヴとふれあわせる

幼稚園に行くような年齢になると、母は積極的にわたしを「英語ネイティヴとふれあえる場所」に連れて行くようになりました。普通だったらここでいわゆるキッズ英会話に通わせると思うのですが、母自身が英会話学校に通って「グループレッスンは結局日本人の他の受講者と仲良くなるだけ」と感じた結果、別の「本物の英語に触れ合える場所」を探したようです。幼稚園にはハーフや帰国子女の子もいたので、おそらくそのママネットワークで教えてもらい、在日外国人や帰国子女、ハーフの子ども向け(と思われる)の放課後保育や日曜学校、サマーキャンプなどがターゲットになりました。(私は小さかったので、その実態が何だったのかはいまいちわかりません…参考にならないね!)

連れて行かれた場所の多くは、ネイティヴの先生を中心に、年齢も国籍もバラバラの子どもたちが一緒にレクリエーションをしたり、英会話を学んだりするところでした。ナチュラルに英語を話す周りに比べたら全く喋れないけれど、人見知りしない天真爛漫で怖いもの知らずだった当時のわたしは積極的に輪にはいっていきました。なぜかネイティブの先生たちに異様に可愛がられ、同年代の友達よりも大人に囲まれていたような気がします。当時は今のようにメジャーではなかったハロウィンやイースターのお祭りに参加したりもしました。この経験は「日本語じゃない言葉でコミュニケーションをとること」「自分と違うっぽく見える人たちと触れ合うこと」のハードルを取っ払う結果となりました。

英会話学校と3回の短期留学

小学生になると、あたかも自然な流れで英会話学校に通うことになりました。前述の「グループレッスンに対する異様な嫌悪」を持っていた母は、「マンツーマンで時間いっぱい本物の英語に触れてほしい」と、当然のように私を個別レッスンに放り込みました。

結果的に、マンツーマンの英会話レッスンはめちゃくちゃ効果的だったと思います。レッスン内容が個人のレベルに合わせて提供されるので、年齢や学年に引っ張られることがないからです。母の刷り込み教育が功を奏して、同年代の他の子より英語慣れしていた私は、英会話学校のテキストをずんずん進めていきました。文法の概念なんて皆無だったけど、なぜか現在完了とかを小学生でやっていました。

小学校3年生の夏、母は私を英会話学校主催の短期留学サマーキャンプに参加させました。小学校〜高校生が混ざって、2週間イギリスの語学学校で、昼間は英語の授業、夜はレクリエーションの日々を過ごしました。英会話学校主催だったので、ずっとマンツーマンで英語を習っていた私にとっては超新鮮な日本人の友だちができました。高校生になついたり、台湾人のお兄さんたちも混ざってポケモンしたり、同い年の日本人の男の子とパーティーでダンスバトルしたり(笑)。めちゃくちゃ楽しかったのですが、母は「日本語ばっかり達者になって帰ってきやがった」とがっかりしていました。

翌年の夏、母は知り合いづてに英語学校とホームステイを手配し、わたしを再びイギリスに送り込みました。「日本人のいない地域」を執念で調べ上げ、たどり着いたのはボーンマスというイギリス南部の海辺の街。語学学校には他に日本人はおらず、ましてや小学生すらいませんでした。学生から社会人まで混ざったクラスでは、サウジアラビア人・ウクライナ人・台湾人の友達ができました。子どもながら、世界がぐっと広がった気がしました。

短期留学の終わり、迎えに来た母とステイ先のホストファミリーとでご飯に行きました。必然的にわたしは通訳係。お互いを紹介する会話の中で、ホストファミリーの1人について「このひとは離婚弁護士をしているんだって!」と訳してあげると、母は衝撃を受けていました。そんな言葉までわかるようになったのか、と。母大喜び、翌年も同じ語学学校に送り込まれました。たった2週間×2回の短期留学でしたが、たしかに英語が上達している実感があったし、帰るころには思い出せない日本語の単語もあるくらいでした。

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英語をちゃんと学ぶ喜びと、刷り込み大学受験

いよいよ英語が楽しくなっていた私は、中学に入って「ようやく」ちゃんと英文法を学べるのが嬉しくて仕方ありませんでした。これまで感覚的にやってきたことに、理由がついて仕組みがわかるのが楽しくて楽しくて、英語ばっかり勉強する中学生になりました。

次に母がとった戦略は、わたしを某国際教養学部に入りたくなるように仕向けることでした(言い方が悪い)。授業が全部英語で、帰国子女や留学生の集まるその学部は、日本にいながら留学しているような独特の雰囲気があります。中高一貫校に通っていたので、周りには入学早々に大学受験を考え出す気が早い子がたくさんいて、当然わたしも影響を受けていました。これをいいことに、キャンパス近くに行くたびに「あんなふうになれたらかっこいいよねぇ」と刷り込んでいったのです。もはや洗脳です。笑

中学2年生のわたしをオープンキャンパスに連れて行ったときは、さすがに大学の担当者も「早いですね」と驚いていました。そこで(いわゆる日本の大学受験をしない学部なので)どうやって受験勉強したらいいかを聞き込み、1つの留学塾にたどり着きます。ここまでくるともう、この学部に行きたいのが自分の意志なのか母の意志なのかは正直わかりませんでした。レベルテストの結果「今から対策すれば十分合格できますよ」なんて言われ、「英語だけで大学受験できるとか最高じゃん」なんて安易さで、そのまま入塾。放課後英語漬けの中高生活のスタートです。

学校で学ぶよりも高いレベルの英文法・英作文を学ぶのはものすごく刺激的でした。TOEFL対策のリーディング・リスニング教材は、アメリカの大学の入門レベルの授業を想定して作られていますが、これもわたしの知的好奇心をくすぐりました。授業や問題を通して「英語を使って新しい知識を得られる」ことが面白くて、「もっと読めるようになれば、もっと難しい内容を知れる」なんて思っていました。英文法なんて、知れば知るほど「パズルみたい」と面白がって、定期試験や模試で「あー先生、今回は関係代名詞使わせたいんだな」と、出題意図を密かに探るのが趣味でした。文字にするとけっこう気持ち悪い高校生です。

英語ばっかりやっていたせいか、国語がてんで苦手でした。「このときの作者の気持ちをこたえなさい」みたいな設問が大嫌い。英文読解は必ず答えを文中にみつけられるのに、国語は裏を読んでは不正解ばかりでつまらん!と思い込んでいました。そんな状態でいよいよ高2の冬に突入。母の戦略の思うつぼ、「いや、今から私大の国語対策とか無理です。英語だけで受験します」と本格的に某国際教養学部受験を決心します。滑り止めなし、わりとギャンブルでした。

本当に「英語が得意」なんだろうか

大学はカルチャーショックでした。「英語のほうが楽」な人が95%で、私と同じ「純ジャパ」は学年に4人しかいませんでした。テンションもノリも雰囲気も自分と全然違う同級生たちに馴染めず、勉強する英語とフランクな会話の英語が全然違うことも痛感しました。学部の友達はほぼできず、予備校時代からの1人の友達とずっと一緒に過ごした4年間でした。

授業にはついていけるけど、会話はほとんどできない。「わたし本当に英語が得意って言っていいんだろうか」「もっと英語できる人なんて死ぬほどいるじゃないか」と考えるようになりました。「英語+αがなければ、何者にもなれない。わたしには英語以外何もない。ましてその英語すら中途半端じゃないか」と。母は「英語をバリバリ使って仕事するのかっこいい」とまた言ってきたけれど、ついにその言葉も響かなくなりました。ここにきてついにずっと憧れていたエンタメ業界への願望が爆発。周りと全く違う路線の就活をしました。就活で英語アピールすることは一度もなし。TOEIC受けただけマシだったくらいです。

就職(+転職)してからは英語を使う機会がめっきり減りました。一応「英語ができるらしい」という評判?を毎度たてられるので、たまーに「このメール翻訳してくれる?」とか「外国の方から電話なんだけど…」とふられることがあるくらい。ブランクのせいで調べなきゃわからないことも増え、「あー、英語使わないと忘れるってこういうことなんだなぁ」と実感しました。同僚や上司は「対応してくれて助かる」なんて言ってくれてたけれど、自分では「レベル落ちてるなぁ」「もう英語得意とか言えないな」という失望と焦りがつのっていました。

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留学準備で気づいた「眠っていた基礎力」

それから紆余曲折を経て、社会人留学を決意。「もう英語得意なんて言えないな」と思っていたとはいえ、仕事が忙しかったのもあり「さすがに学部の入学条件レベルは自力で突破できるだろう」という賭けのような過信で、英語学校に即刻通い直そうとは思いませんでした。とりあえず模試やってみて、ひどかったら考えよう、くらいでした。

IELTS模試本を買って、カフェに数時間引きこもり。するとどうでしょう、模試、サクサク解けるじゃないですか!青春時代に染み付いた英語資格試験対策はしっかり基礎力を残してくれていたようです。まぁ書く・しゃべるに不安は残していましたが、英語力は完全に消えていなかったことがわかったのです。結果的にスコアも過去の自分より伸びていて、失いかけていた自信を取り戻す転機になりました。

浴びた分だけ溜まっていく

それから晴れて渡英してからまた英語で苦労したのは、以前書いたとおりです。お勉強英語と生活する上で使う英語は、やっぱり全く違うなぁと思います。どちらが良いとか悪いとかではなく、アプローチも使い方も上達方法も全く別のもの。今だって話すときにははちゃめちゃな文法を使ってしまうけれど、去年提出した卒論はネイティヴ勢を差し置いてFirst Class(いわゆるA)をとることができました。過去にお勉強英語をやりまくった成果だと思っています。

英語学習のわたしの経験に基づく持論は「質より量」です。もともこもないとか言われそうですが、やっぱり英語にたくさん触れればそのぶんだけ上達すると思います。触れ方はいろいろあるので、自分の伸ばしたい領域にあった方法を見つける必要はあるけれど、とにかく浴びるように英語に浸かることがわたしにとっては近道でした。

なので今では、ここまで執念でわたしをバイリンガルにしようとあちこち連れ回した母には感謝しています。たとえ、きっかけが幼いわたしの意志でなくても、短期留学より正直友達と夏休み遊びたかったとしても、大学選びが半分洗脳だったとしても、「そうだ、留学しよう」と社会人になって急に思い立って即実行できるくらいの英語力を海外居住経験なしで得られたのは、結局、母の執念のおかげです。小さい頃から英語を浴びせ続けてくれたおかげです。ね、参考にならない!

でも、学生や社会人も「英語に浸かる」は簡単に実践できます。NETFLIXやYouTubeでいくらでも英語のコンテンツが見れるし、Spotifyのポッドキャストをかけっぱなしにすることもできます。Kindleで洋書を読みあさるのもいいでしょう。金曜ロードショーをVHSに録画して、擦り切れるほど見ていた時代に比べたら、量を求めるのが簡単な時代になりました。個人的には、スラングが少なくてわかりやすく喋ってくれるディズニー映画は今でもおすすめです。

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