裏方を志すまでの話
物心ついたときからミュージカルにハマっていました。
記憶にある最初の観劇は3歳頃に観た劇団四季のCats。
当時は品川駅前の仮設テントで公演をしていて、ラム・タム・タガーは白かったし、タントミールには毛があった笑
その衝撃たるや凄まじく、めくるめく歌とダンスのスペクタクルはもちろん、猫目線の巨大ごみ捨て場のセット、人と猫の境目をぼやかす衣装とメイク、きらきら光る照明に、幼心ながら衝撃を受けて、もうそれはそれは夢中になりました。
母親にCDと猫耳を買ってもらって、CD全部覚えて、猫耳と手作りしっぽをつけて家で"ひとりCatsごっこ"をして踊りまくる3歳児。
幼稚園で描いた「将来の夢」はミストフェリーズ(なぜか雄猫)。
ねだりまくってバレエ教室にも通わせてもらいました。
うちは母娘で超のつく劇団四季っ子。
次にハマったのはCrazy For You。当時はポリーを保坂知寿さん、ボビーを加藤敬二さんがやっていてもう……こんな最高なCrazyはないよね、っていう。
CatsとCrazy For You、この2作品がとにかく好きで、地方公演に足を伸ばしたりもしていました。
むっちむちで首短い、体硬いというバレリーナから程遠かった私。
ほどなくして耐えきれなくなった母によりバレエは辞めさせられ笑、ジャズダンス教室に通い始めます。
時はミレニアム直前、ここで訪れたのはなんとハロプロブーム!笑
家でモー娘。を踊りまくる小学生。ハロプロに入りたかったあの頃。
ジャズダンスからストリートに転向します。
数年後、次に訪れたのはw-inds.ブーム。
元々ジャニーズも好きで8時だJを見たり、KinKi Kids光一くんやタッキーが好きだったりしてたけど、たまたまテレビで見たw-inds.に一目惚れ。
ジャニーズと決別し、w-inds.を追いかける数年間がはじまります。
このとき初めて自分のお小遣いでコンサートに行きます。
w-inds.ファーストツアーの東京国際フォーラム公演。
中学生になって通っていたキッズダンス教室には時間が間に合わなくなり、大人向けのダンス教室に変更。
当然「w-inds.みたいに踊りたい!」と思ってるのでw-inds.のバックダンサーさんのクラスへ。
この頃、将来はバックダンサーか、(曲が作れないので)作詞家か、レコード会社で働きたい、ということを言い出します。
このとき劇団四季ファンはもちろん並行して続いていて、我が家は空前のMAMMA MIA!ブーム。
そして(本当はダンス部に入りたかった気持ちを差し置いて)母親の熱烈な勧めにより中学は英語演劇部に入ります。
もちろん最初は舞台に立ちたかった。英語が中1にしてはできたので、最初こそアンサンブル出演を果たすも、演技力がなくてその後はオーディションに落ちる落ちる。
でもここで、裏方の楽しさに目覚めます。
なぜか衣装班に割り当てられることが多くて、ミシンをカタカタ、自分の作った衣装を誰かが着て、舞台に立って、お客さんの前で公演するのがすごく楽しい。
舞台を作るのに、こうやっていろんな人が見えないところでがんばってるんだ、というのを覚えます。
高校は「とはいえやっぱり人前で何かしたいよなー」という理由と、友達に誘われて軽音部でベースを弾き始めます。
もちろんバンドは楽しかった。部室での練習も、年に数回のライヴも。
ただ高2になって、何かに憑かれたように「どうやって文化祭ライヴの集客を増やすか」に使命感を燃やします。
校舎7階音楽室のライヴ会場、階段しか使えない、7階に他の催し物がない、ましてや6階は各部の控室で何もない、という「下手したら忘れ去られる悪条件の立地」を解消するために、文化祭実行委員に直談判して面という面を抑え、7階ライヴ会場への導線を装飾。
おかげで当日は満員御礼。いやー嬉しかった!
そして当日も会場運営に命を燃やし、まわりが友達たちの催し物を見に行く中、1人1日中ライヴ会場にへばりつき、音響照明操作をほぼ独占してやり続ける……
これが楽しくてしょうがなかった。
みんなが楽しんでる空間を素敵な演者と一緒に作る感覚。
大学生になってもバンド活動は続きます。
ただここでも、自分の演奏より力が入っていたのはライヴの運営。
高校の友達と一緒に、友達の友達を集めた自主企画ライヴシリーズをはじめます。
そんなに大きなイベントではなかったけど、ライヴという場を通じて、知らない人が出会って仲良くなったり、知らない音楽に出会ったり、そういう場を作れることが楽しかった。
このままライヴを作り続けたい。
もっともっと大きい会場で、たくさんの人に感動を届けたい。
当然のように、就活は音楽業界が中心になりました。
当時の私、舞台監督なんていう仕事の存在も知らず、いろんな企業の説明会や、(今思えば)中途半端な業界研究の結果「ライヴ作るなら音楽事務所に入ってマネージャーだな!」という結論に至ります。笑
もちろん他にもイベンターや、東宝、松竹のような会社を受けたり、メディアも受けたりしながらも、本命は事務所。
当然狭き門で、お祈りされ続ける日々。
就活のテーマソングは、そのときハマりまくっていたコーラスラインのオープニングナンバー。
"I really need this job, please God I need this job, I want to get this job"ってね!笑
高校に上がる頃w-inds.を卒業した私、次にハマったのはなんとL'Arc~en~Cielでした。
え?その時代に?って思う方もいるかもですが、バンド始めたのと重なったのよね。
この就活中に、ラルクのワールドツアーファイナル公演国立競技場に赴きます。
これがね、ものすごく感動的で。
アンコールも終えたラストに、アリーナの客席から、たくさんの虹色の風船がわーっと舞い上がったんです。
どうやらメンバーにも秘密のスタッフからのサプライズだったらしく、メンバーも感極まった様子だったし、ファンもそれをじっと眺めていた。
世界をまわって、帰ってきて、こんなに歓迎されて、こんなに感動をくれて。
なんて素晴らしいバンドなんだろう。
なんて素敵なライヴなんだろう。
あぁやっぱり、私はこれを作りたい!!!
とある面接で、私はこれを恥ずかしげもなく熱弁することになります。
そしてその熱量のかいあって?、とある音楽事務所から就活中唯一の内定をもらうことになるのでした。
つづく?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?