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舞台「千と千尋の神隠し」は舞台の神様がくれた究極の贈りもの

舞台版「千と千尋の神隠し」を帝国劇場で観てきました。
感じたことをどこかにまとめようと思ったのですが、Twitterでは到底文字数がおさまらないので、久しぶりにnoteのエディターを開いています。

うまく言語化できる気が全くしませんが、そして時々語弊を生むような表現があるかもしれませんが、一人の演劇愛好家の意見としてお付き合いいただければ嬉しいです。
一応、なるべくネタバレはないように書くつもりです。

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1幕、幕間の休憩がはじまってしばらく、衝撃で動くことができませんでした。
2幕、ラストシーンでわたしの目から涙が溢れてきました。
カーテンコール。2階の最後列、補助席からスタンディングオベーションを贈る間も涙が止まりませんでした。
それから規制退場ですぐ客席をあとにしたものの、やはり涙が止まらないのです。
仕方なくロビーの片隅に座って、涙が止まるのを待ちました。
5分か、あるいは10分以上そうしていたのかもしれません。
気づいたら規制退場が終わって、劇場にはもう数えるほどの人しかいませんでした。

何にそんな涙が出ていたのかわからないのです。
もちろんストーリーへの感動もあったと思うけれど、それ以上の衝撃。
何か胸ぐらを掴まれてずっと離してもらえないような衝撃と、そんな感覚を得られた喜びが溢れていたように思います。
物語ではなくて、作品とこの作品に出遭えたことへの涙だったように感じます。

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幕が上がって数分も経たずに、John率いるクリエイティブチームが創った世界に完全に惹き込まれてしまいました。
映像、美術、照明、パペット、衣装、音楽……それからアンサンブルの使い方、振付、動き……
それらが完全に噛み合って、見事に千と千尋の世界が創り上げられている。

「原作に忠実」を無理に体現しようとしすぎた感じがない。
「舞台でできるのはここまで」という限界を感じさせることもない。
プログラムのインタビューの随所に「観客の想像力をかきたてる」というキーワードが、まさにその通り。

同じ舞台セットを使っているのも、パペットを人が操作してるのも、ハクがどうやって龍になるかも見えている。
でもその世界を信じられる。信じて没入できる。一緒にその世界にいる。

舞台芸術だからできる表現を文字通り結集させ、各分野のトップの才能が集った結果、足し算、掛け算どころか5乗10乗規模の化学反応が起こってしまった感じ。
作品を見ていれば、どんな稽古がされてどんな議論がされてどんなワークショップと試行錯誤が繰り返されて、それがどれだけポジティブな生産的なエネルギーに溢れていたかが手に取るようにわかる。
そういう力、エネルギーに溢れた作品に「出遭ってしまった」、そういう感覚を覚えました。

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誤解を恐れずに言うと、「原作映像作品あるものの舞台化」について、これまでのわたしは少し懐疑的でした。
こと原作がアニメの場合は顕著で、いわゆる2.5次元と呼ばれるジャンルが舞台の裾野を広げているという意味で大きく業界に貢献してるのはわかっていても、私個人としてはどうもしっくりこなかった。
といっても実際に劇場で生で見たことがないので語れるほど知ってるわけもなく、食わず嫌いみたいなもので申し訳なさもあるのですが、とにかく映像や写真で見たときにうまく言い表せない違和感みたいなものを感じて、少し苦手意識をもっていました。

念のため補足すると、アニメやゲーム大好きなので、そういうカルチャーが苦手とかそういうことではなくて。
ディズニーミュージカル(特にライオンキング)は比較的好きなので、なんだろうね、舞台化したときの見せ方作り方の話だと思います。
あくまで個人の趣味の話です。

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それから日本の舞台でよくある「有名タレントを起用」みたいな作品にも、苦手意識をもっています。
もちろんそういう方で舞台役者として素晴らしい方も大勢いる。
でも一方で、キャスト全体のバランスをみたときにある1人または2人が浮いてしまっていたり、カンパニーとしての統一感を感じられなかったりすることが多々ありました。
また一方で、「キャストに予算とられちゃったのかな」と感じる美術や衣装に「なってしまっている」と思った作品にもいくつか出会いました。
舞台業界がイギリスやアメリカほどは成熟していないので、仕方ないことだとは理解しています。

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舞台版「千と千尋の神隠し」が制作発表されたとき、わたしの心の中には期待と不安の両方が芽生えました。
不安は上に書いたような漠然とした苦手意識が呼んだものです。
期待は演出がJohn Caird氏で、作品が「千と千尋」で、その組み合わせが私に「これ観ずにイギリス帰れんの?」と言ってきた、そんなところからきていました。

わたしはJohn Caird氏のファンです。
そして原作映画のファンではありません。
「ファンではない」というのは原作が好きではないということではなくて、映画を見ていないのです。
映画というメディアが苦手で、金曜ロードショーで見ようとしたけれど、千尋の両親が豚になったところで怖くて消してしまったのです。
「見たいけど見れない」状態で、公開から20年経ってしまった、おそらくかなりマイノリティな人間なのです。

もし「千と千尋」が別の演出家によって舞台化されていたら、ここまで一生懸命チケットをとろうともしなかったと思います。
John Cairdが、日本で、日本キャストと、日本の名作映画「千と千尋の神隠し」を世界で初めて舞台化する。
だからわくわくしたし、なんとしてもチケットをとろうと補助席販売まで粘ることができました。

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Johnがチームと創り上げた舞台は、そんな期待と不安を巡らせた1人の観客の想定なんて遥かに超えて、圧倒的な芸術を心臓に突き刺してきました。

これは日本のエンターテイメントではなくて、世界に誇れる舞台芸術です。
スタッフワークが最高潮なのは言わずもがな、キャスト陣もメインからアンサンブルまで全員が自然に作品に溶け込んでいる。
誰一人浮くことがなく、そしてアンサンブル1人1人まで全員が輝いている。

今まで日本で創られたどの「アニメを原作にした舞台」も、「有名俳優を使った舞台」も、このクオリティには及ばない。
それくらい圧倒的な作品でした。

イギリス・アメリカ・日本の才能が集結して、パンデミックというハードルがありながらも、これだけの作品が生み出された。
そのことが嬉しくて、嬉しくて、ただただ嬉しくて。
だから涙が止まらなかったのかもしれません。

すべての舞台愛好家に観てほしい。
原作ファンの方がこの作品を観て、舞台芸術の素晴らしさに気づいて舞台愛好家になってほしい。
これを観て、美術家や衣装家やパペット制作を目指す人が増えてほしい。
これに刺激されて、日本の舞台全体の水準が上がってほしい。
あわよくば、いつかロンドンやニューヨークやパリで上演されて、世界の舞台愛好家の目に触れてほしい。
そして評価されてほしい。

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プログラムでJohn Caird氏は「いつか再演されることがあれば、そのときは海外スタッフもリモートではなく稽古場に集って、もっと深いクリエイションをしたい」と綴っています。
つまりこの作品は、まだまだ進化する余地があるということ。

人と人が集まって、人の力で創り出す、舞台芸術。
舞台の神様が、日本の片隅の一つの稽古場に、奇跡のような贈りものをくれました。

いつか訪れてほしい再演が、今からとても楽しみです。
そのときもしスタッフとしてこの稽古場のエネルギーを浴びれたら、最高に幸せだな、なんておもったり、ね。

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