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『ソドムとゴモラにもアヴェ・マリアを』


『ソドムとゴモラにもアヴェ・マリアを』

東洋に浮かぶ大きな島があり、かつては大きな繁栄を誇っていた。島民は豊かな暮らしをしていた。勤勉で勤労意欲も高く、年寄りから子供まで働いていた。海底火山の大規模噴火によって沈んでしまったのだが。
鼻つまみ者だった島民たちは、この星から厄介払いされてしまった。その事で世界中が歓喜に沸いた。
その島は蓬莱島と呼ばれていた。島民たちは世界中から忌み嫌われていた。貿易で潤ってはいたが内実は借金まみれで財政赤字が年々膨らんでいた。自然災害で国が滅びなくても、そのままいけばいつかは財政破綻することは明らかだった。滅亡する以前に原発事故によって放射能を世界中にばらまき、世界中から批難されていた。その原発事故は世界中から賠償請求されても仕方ないような重大な事故であり、いわば国ぐるみの巨大な犯罪であった。世界の平和に対しての重大犯罪だった。にもかかわらず、蓬莱国民は自らの犯罪を省みることなど1ミリもなかったのだ。まるで聖書にあるソドムとゴモラの市民のように。
かつての世界戦争で国土は壊滅的被害を受け一度は国家経済が破綻したのだが、外国の軍隊を引き入れて自国の防衛費を大幅に抑制し、近隣諸国で戦争が起これば戦地にトラックや車やバイクなどの戦闘車両を大量に輸出し、戦争特需によってこの国は復興を果たしたのだった。武器を売り他国の人々の多くの屍の上に、その国の経済の復興が成り立っていた。
そしてそのかつての大きな戦争から1世紀近くが経ち、再びその国の経済が巨額の財政赤字によって立ち行かないようになり、何処かで誰かが都合の良く戦争が出来る事を望むような、そんな国になっていたのだった。結局は戦争よりももっと悲惨な状態で壊滅してしまったのだが。
右も左も持ちつ持たれつマッチポンプ式の不毛な言い争いだけで、世の中を無意味に複雑な戯画で説明してみては稼いでいる輩が大勢いたのだ。世の中の構造はもっとシンプルで実も蓋もないものだが、わざわざ余計な色で塗りたくって物事を複雑化する事で、一部の評論家やメディア関係が潤う仕組みになっていた。喩えにならない喩えを大衆が賞賛し、褒め称え続けていた。
悪人正機。自分自身の事を悪人であると自覚出来る人など、殆どいない。殆どの人が自分の事を普通だとか善人だとか思っている。殺人犯や性犯罪者でさえも、自分が悪人であるとの自覚が薄っぺらで、どこか自分の犯した罪を他人や社会や家庭など回りの環境のせいにしている所がある。聖人には自分が悪人であるという強い自覚があったということなのだろうか。
言葉だけで人を説得したり納得させたりなど出来ない。不可能だ。だから宗教というものが存在し、その宗教というものを更に突き詰めていけば、儀式や呪文というエキスとなって煮詰まって行くのだろうか。限られた時間の中で生きていく人間だから、時間コストの削減が求められ、長い時間を掛けて言葉で説明したり心を癒したりするのではなく、簡単な儀式や呪文を使って短い時間で済ますようになっていくのか。


「臨兵闘者皆陣烈在前」


それがセーラのお気に入りの呪文で、千手観音や不動明王の御真言を唱える事もあった。オペレーション中にそれらを唱えると、少しだけ心を落ち着かせる事が出来るのだった。

カタストロフ以前のその国での大きな話題と言えば、それは皇族の後継者問題や後胤問題だった。皇子の精液は既に冷凍保存されていた。皇子はセーラのママと生まれた年が同じだったから、その事は食卓でもたまに話題に上るのだった。

「私も皇子様の子供産もうかしら?セーラの弟か妹ね。フフフ」

「ママ、キモい。ママがプリンセスって有り得ねえし。世界が黙ってねえし」

皇室は健康な妊娠適齢期の女性を探していた。そしてマリアという女性が選ばれ、彼女は双子の男女を産んだ。女児の名はセーラ、男児の名はレイ。新しい皇族の誕生とその名が発表された日には、国民の誰もが祝福した。セーラとママはとりわけ喜んだ。ママの名前もレイチェルだったから。しばらくは自分達が世界中から祝福されている気分に浸っていたものだった。
「アヴェ・マリア」がその国の最期の流行語大賞だった。しかしその国のクリスチャンは人口比率にして1%にも満たず、殆どが仏教徒だった。

セーラのパパはアイルランド出身のサッカー選手で、スペインなどのヨーロッパのリーグで活躍をして、選手としてはピークを過ぎた頃に日本にやって来た。ワールドカップには出られなかったが、アイルランドの国の代表にも選ばれワールドカップの予選でも活躍した選手だった。
ママは日本生まれの日本育ちで、ユーラシアの西と東の外れで育った二人がどうして出会ったかについては、セーラにとっては全く馬鹿げた事に思えて、まともに聞けたものではなかった。話の途中で気恥ずかしくなるばかりで、セーラはいつもあからさまに嫌そうな顔をするのだった。
セーラの祖父はアメリカ人、祖母は日本人。せめて日本人らしい名前を付ければ良かったのにと、セーラは思う。祖父の所在はずっと不明のまま。仕事で日本に来てマミおばあちゃんに出会い、二人は結婚しておばあちゃんはレイチェルを産んで、そして離婚して、しばらくして祖父は日本から居なくなってしまった。
ママとパパはセーラに良くこう言ったものだった。

「ママは妖精を探しにアイルランドまで出掛けて行って、そこでパパに出会ったの。パパは私の妖精なの!」

するとパパがこう言い返す。

「それは違うよ。ママが僕にとっての妖精だよ!」

子供の頃から何度も聞かされて育ったセーラには、実に下らない会話に思えた。二人とも全く幼児性が抜けていなかった。日本人は全般的に童顔で精神的に幼児性が抜けていないところがまま見られるけれど、ママの場合は完全にグランマ・マミの遺伝だろうなとセーラは思った。グランマは小柄な体格で目がパッチリしていて、妖精の母親にしてはおっぱいが大きくて少しお腹回りも怪しかったが、年を取っても全然老けない人だった。妖精が天使の親戚で、天使の名前には下にエルが付くと教えてくれたのは、グランマだった。グランマは良くこう言っていた。

「レイチェルは私のエルフでエンジェルなの」

そう言うグランマに「いい年こいてキモいよ」とセーラは憎まれ口を利くのだが、若くてチャーミングなグランマの事を皆が愛していた。セーラの家族や親戚にクリスチャンなど一人もいない。殆どが仏教徒で、パパは無宗教だと言っていた。レイチェルだとかセーラだとか妖精だとか、とんだ西洋かぶれだ。漫画の読み過ぎかっちゅうの!グランマは「先祖は落武者で山賊だったこともある」とまだセーラが幼かった頃に面白そうに話してくれた事もあった。セーラには全く意味不明の話で、グランマの事が益々謎めいて見えてくるのだった。小田原に一人で住んでいて、世田谷に住むセーラたち三人は、車に乗ってグランマの家に良く遊びに出掛けたものだった。ママもパパもグランマ・マミの事をマミーと呼ぶので、セーラもマミーおばあちゃんとかおばあちゃんを付けずにそのままマミーと呼んだりしていた。グランマなのにマミーと呼ぶのは変な感じがしたけれど。

有人戦闘機のパイロットからは、毎年のように自殺者が出ていた。しかも自分の愛機を棺桶代りにしたがるのだから、全く始末に終えない。もちろん真相はいつでも闇から闇に葬られて公表されてこなかった。税金に関わる問題だから、予算が削られないように政府も官僚も軍部も慎重に事を進めていた。だがセーラが軍に配属されてからは、徐々に実状が一般にも知られるようになって来た。政府が以前にも増して、無人兵器の導入に積極的に取り組むようになっていたからだった。
家族からも母国からも遠く離れ、難民としてこの北の国で孤独に暮らすセーラにとっては、酒と音楽だけが誉められるべくしてこの星に残された、殆ど全てのものだった。酒と音楽を楽しめなければ、とうてい世界に価値など見出せないのだった。酒と音楽があっただけでも、世界は捨てたものではないと思うようにしていた。しかし、そうは言っても最善の選択は何かと問われれば、躊躇なく「初めから産まれてこないことだ」と彼女は答える。もし仮に産まれてきたとしても、メタセコイヤのような巨木にでもなりたかった。最初から巨木として存在していたかった。
生きる理由など分からない。この国には安楽死制度がある。十五歳以上であれば、いつでも制度を利用して死ぬことが許されている。使える臓器があれば他者に移植されるから、無駄死にと見なされることもないだろう。それでもセーラは死なないと決めている。ただ生きているから生きている。生きている間は生きていて、死ぬ時が来たら黙って死ぬだけだと。
人生には二種類あって、それは目隠し無しで銃殺されるか目隠しされて銃殺されるかの違いがあるだけだった。泥船と分かっていながら船を海に浮かべて、懸命になって櫂で漕いでいるのだった。星を頼りに。


おしまい

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