見出し画像

あのとき17歳「そうとは知らずに蒔いたタネ、そんな花が咲いたのか」


こんにちは。
オトバンクnote編集部/audiobook.jp音声コンテンツディレクターのバシサンです。

「あのとき17歳」というテーマで、編集部内にてコラムを回す企画。
今回は1996年に17歳だったアラフォーディレクターのバシサンが、あの頃を振り返ってみたいと思います。

初代ポケモン(赤・緑)がゲームボーイで発売され、渋谷をアムラーが闊歩し、眉毛が特徴的だった故・村山富市氏が総理大臣を務め、ミスチルの「名もなき詩」がオリコン1位、長嶋茂雄監督の「メークドラマ」が流行語大賞になった年。

24年も前なんだなぁと思わず遠い目になっちゃうオジサンことバシサンですが、当時の私は、まさに今の仕事に関わる種を、そうとは知らずに蒔いていた時期でした。


■今はメール、当時はハガキだったあの頃

画像1

17歳!高校生!きらめく青春!

そんな若いエネルギーをぶつける先は、部活だったり恋愛だったり友達付き合いだったりするのでしょう、一般的には。
しかして、「帰宅部」「彼女ナシ」「友達イナイ」の三拍子揃っていた私は、残念ながらそれらにエネルギーをぶつけられませんでした。

そして、そのエネルギーの矛先は、あることに向いていきます……。

ハガキ職人。

「ハガキ職人」って響き、なんだかすでに懐かしさがありますね。
今はラジオの投稿といえばメールが主流ですが、当時はハガキかFAX(!)だったんですよ。

私が熱心に聴いていたラジオは、当時すでにラジオでは有名だった伊集院光さんの番組。

中学の頃から聴き始めたニッポン放送での番組「伊集院光のOh!デカナイト」が終了し、1995年にTBSラジオで「伊集院光 深夜の馬鹿力」が開始。

私の17歳は、「深夜の馬鹿力」で本格的にハガキ職人を始めた年だったのです。


■生活の中心がほぼラジオ一色だった

画像2

毎週欠かさず「深夜の馬鹿力」をリアタイで聴きつつ、カセットテ-プにも録音。学校に行くときもウォークマン(!)でその週の放送を何度も聴き、家に帰ってもさらに聴き、翌週の放送を待つ。

そんな(本人的には)唯一にして至上の愉しみに対して、ただ聴くだけでいられなくなるのにそう大して時間はかかりません。

当時、番組内で新設されたコーナーに、自分も投稿してみてようと一念発起したワケです。

それまでにもいくつか聴いてきた番組でハガキ投稿はしていました。
しかし、当時の「深夜の馬鹿力」はハガキ職人のレベルが断トツで高かった番組ですから、自分的にはかなりチャレンジングな投稿です。

そうして送ったネタハガキは案の定、読まれませんでした。

ただ、「もしかしたら読まれるかも!」という期待感と高揚感をもちながらリアタイで聴く番組はドキドキが別格。

その興奮がクセになって、「読まれなくてもいいから投稿しよう!」とハガキを送り続けるようになったのです。

しかし、人間の欲とは止まらないもの。

「読まれなくてもいい」から「いつかは読まれたい…」と思うようになるのにも、そう時間はかかりませんでした。


■週30枚のハガキをポストに突っ込む!

画像3

投稿を始めて一カ月後。転機到来。
とうとうひとつのネタが番組で採用されたのです。

「ペンネーム○○」と伊集院さんの声がラジオから流れた瞬間の、心臓を鷲掴みにされて体中に電流が走ったような感覚。今でもよく覚えています。

たったひとネタ。二時間の放送のたった数十秒。
それだけでも自分のネタが番組で読まれたのは、承認欲求の塊である思春期の高校生の行く末を左右するのに十分だったんでしょうね。

その後、投稿するネタの数とともにハガキの枚数もどんどん増えました。
学校の授業中も熱心にノートを取っているように見えて、考えているのはネタ、ネタ、ネタ。

一枚のハガキに、短いものなら10個ほど。一週間で100くらいのネタをつくっては、ハガキにしたためて投函するようになりました。
多い時には一週間で30枚くらいのハガキをポストに突っ込んでいたと思います。


■キラキラした17歳じゃなくてもいいんじゃね?

画像4

そんなこんなで、ハガキ職人を1~2年くらい続け、いつしか毎週必ずひとネタは読まれる立派なハガキ職人へと成長(?)していったわけですが…。

今、音声コンテンツのディレクターを仕事にできているのも、つくづく、この頃に培ったものが活きているからだなぁと感じます。


そして、音声コンテンツ界隈で仕事をしていると、ハガキ職人だったからこその「思わぬ出会い」もあったりします。

先日も、ある現役バリバリ地上波ラジオの放送作家をしている方とお会いする機会があったのですが、そこでお互いのラジオ遍歴の話題に。

すると、その方はちょうど私が投稿していたのと同時期に「深夜の馬鹿力」に投稿しており、しかも番組ではかなり有名なハガキ職人だったことが発覚。

ペンネームを聞いたとき思わず「えーっ‼ あの△△さんですかっ⁉」となったのですが、その方も私のペンネームを聴くと「おーっ!あの○○さん⁉」と驚かれました(笑)


ちなみに、その現役バリバリ地上波ラジオの放送作家さんというのが、こちらの番組の第二回ゲスト・大村綾人さん。

番組も面白いので是非聴いてクダサイ(宣伝)


傍から見たら、ドラマみたいな青春じゃない、恋人も友達もいない、全然キラキラしてないクラ~い17歳。
でも、本人が楽しいと思ってたら別にそれでいいんですよ。

というわけで、そうとは知らずに今の仕事につながるタネを蒔いて、思いもかけなかった花を咲かせているオジサンから最後の提言。

若い頃に一生懸命やってたことは、ナニカの役に立つゾ(たぶん)!


というわけで、次の「あのとき17歳」のバトンは、宇宙の旅とかをしているかもしれない2001年に17歳だったアノ人に引き継ぎます!
お楽しみに!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?