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⚾取捨選択-大切な人のもとにだけ、私は飛んでいく-

先日、弾丸で大阪に行ってきた。相変わらずの瞬発力に、自分で呆れた。大好きな野球を求め、大切な選手を目に焼き付けるためだった。いわずもがなである。

神出鬼没の私だけれど、いつでもどこでも無差別に飛んでいくわけではない。こんなザマながらに、ちゃんと狙いを定めている。量より質を求めるようになったわけだ。

大切な人のもとにだけ、私は飛んでいく。


新型コロナウィルスは、私の生活環境をがらりと変えた。一年目にあたる2020年は、野球を見に行きたくともいけない状況が続いた。大会そのものが開催されず、満足に観戦することができなかった。そうこうしているうちに、応援している選手は引退した。

こんな悲しい経験、二度としたくない。


コロナ禍以前、大学野球(主に首都大学野球連盟)の観戦に没頭していた。長年見ているということもあり、愛着がある。毎年多くの素晴らしい選手が現れるため、終わりは見えない。しかし、数年でその生活は一変した。いや、そうならざるを得なかった。

なぜなら、大学を卒業し社会人野球に進む選手が増えたからである。先々でも活躍を見られる喜びは、何物にも代えがたい。二足の草鞋どころか、三足四足になってしまうほど、自分の体が足らない状況になった。現実問題、身は一つなので、的を絞らなければならなくなった。

大学野球に行けば、一日三試合全チームが見られる環境だった。しかし、社会人野球が加わるとそうもいかなくなる。全国に散らばっているからだ。どこへ行くか、誰を見るか、取捨選択を迫られる。その選手のポジションによって、色々な駆け引きがある。毎度頭を悩ませた。

問題はそれだけではない。選手の年齢も考慮しなければならない。どうしたって逃れられない引退の二文字。いずれ必ず、ピリオドを打つ。年齢に限らず、ケガや身体的な要因もある。そんなセンシティブな話を持ち出すわけにはいかないので、全て自分の匙加減だ。

どうしたら後悔せずに済むのだろう。


やはり優先順位をつけるしかない。私が各地を遠征するのは、どうしても見たいという思いのあらわれだ。時間もお金も労力もかかるけれど、それ以上に得られるものがあると確証している。

考えてみれば、人付き合いも同様だ。大切な人には時間も何も惜しまない。ただ、誰にでも同じ対応をするわけではない。意識的に取捨選択をしている。それと同じだ。誰でも、どこにでも飛ぶわけではない。

無差別に観戦するのも楽しいことに変わりはないが、質(本当に必要か否か)を求めることで、より充実した観戦ライフに変わった。後悔することも減り、自分の気持ちが整った。選ぶことは悪いことではない。むしろ、有意義な時間を過ごすことができる。そう感じた。



神出鬼没、どこにでも現れる。そんなふうにいわれる私ですが、きちんと的を絞って現地へ向かっています。時間もお金も体力も使いますが、それでも良いと思える選択をしています。そういう思いをさせてくれる人たちばかりです。

行きたいと思えば、距離なんて関係ないんですよね。近いからといって足を運ぶわけではない。自分の行動を見ていると、まさにその通りだと思うのです。

優先順位をつけることができれば、お金の工面も簡単です。私自身、遠征費は逆算して考えています。大体一年の流れと、大会の開催期間を見れば、支出の概算はできます。ほとんど赤字にはなりません。何事も計画が大事ですね。

大阪の街並み。
久しぶりに飛行機にのりましたが、夜景っていいですね。

大切な人のもとにだけ、私は飛んでいく。たったこれだけで、ストレスはどこかへ飛んでいきます。だって、無駄がないから。行きたいところ、会いたい人のところへ行くから。時間は有限です。命もいつまでもつかわかりません。後悔しない選択を。大切な人に会うために。

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