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⚾️痛みも喜びも『自分事』として捉える。

首都大学リーグでの出来事。
桜美林大学のベンチがやけににぎやかだと思い、目をやった。例年になく元気なチームに驚きを覚えた。その主は松江 京 主将(二松學舍大附)だった。

この日、松江主将自身は試合にでていなかった。率先して仲間を鼓舞し、活躍をともに喜んだ。その主将の姿に、他の選手たちも続いた。仲間の活躍を自分のことのように喜べる器量の大きさに、今年のチームは一味違うと、感じずにはいられなかった。

桜美林大学は5年前に秋季リーグ戦で初優勝。続く横浜市長杯でも初優勝を果たし、神宮大会では見事初出場で決勝まで駆け上がった。明治大学に敗退し、準優勝となったもののチームの歴史を塗り替えたのはいうまでもない。伝説の2016年にふさわしいこの年代は、佐々木千隼(現:千葉ロッテ)と山野辺翔(現:埼玉西武ライオンズ)を輩出している。

あまりのチームの成長に私は驚くとともに、母校だからこそ期待をした。これから先もずっと発展をし続けるだろうと。しかし、そううまくはいかなかった。

翌年の春季リーグ戦。いきなり過酷な戦いを強いられた。勝てない日々が続き、チームの雰囲気はどん底となっていた。それでも必死に食らいついて一生懸命頑張る選手たちに、どうにか勝利をと思っていた。

あるとき、スタンドに目をやると試合を見ていない人がいた。それどころかスマホをいじり、応援に身が入っていない。試合は別世界の出来事で、その場は異空間のようだった。必死に頑張るメンバーをよそにその有様。私は酷く落胆し、苦言を呈した。母校だからこそ、期待が大きすぎたのかもしれない。もしかしたら、スタンドのメンバーも辛くて現実から目を背けたかったのかもしれない(その当時、そこまで予測して考えられなかったが)。

その日から、はっきりしないもやもやが拭えなかった。書いた通り、母校であるからこその勝手な期待だと思う。何となくオープン戦に行く頻度も減り、グラウンドへの足も遠のいた。その出来事がなければ、首都リーグ全体を見渡すこともなかったかもしれないと考えると、皮肉だなとも思う。

メンバーとスタンドの温度差が激しすぎる(統率がとれていない)チームは、残念ながらあまり良いとはいえない。もちろん、きちんと応援できないにはそれなりの理由があるとも思う。指導者がきちんとスタンドメンバーに向き合っていなかったり、モチベーションが上がらない理由が絶対に存在する。

フラットな気持ちでリーグ戦を見られるようになって、視野が広がった。そして、松江主将の行動が目に付いた。選手一人ひとりの行動を把握。勝利という一つの事柄だけでなく、ワンプレーにまでフォーカスを当て声をかける。そしてともに喜ぶ。

人とは自分の幸せも当然喜ばしいが、誰か同じように喜んでくれたらまたそれも幸せと感じる。それを素直に行える、松江主将の姿に感銘を受けた。

競争社会の中、自分が生き残るために『誰かを蹴落とす』という手段を取る人もいる。もし私だったら。チームのためならと思えても、やっぱり自分が活躍したいと思ってしまうかもしれない。自分だけでなく、広く相手のことを思えるからこそ松江選手は主将に抜擢されたのかもしれない。

明るく直向きなその姿は、全ての人を惹きつける力がある。また一つ選手から学んだ。

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