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📸心躍る作品ー東京都写真美術館を訪れてー

写真を見ると、ぐっと心を掴まれるような錯覚に陥ることがある。先日、東京と写真美術館に行ったときの話だ。

スポーツ報知が開催する、「瞬間の記憶」~スポーツ報知創刊150周年報道写真展~では多くのスポーツ写真が並んだ。報知新聞社の目玉である読売ジャイアンツはじめ、高校野球。オリンピックに昭和の女優など、ジャンルは多岐にわたる。

一つ一つの作品をじっくり眺め、報道写真の凄まじさを見た。今にも飛び出てきそうな勢いのある写真は、報道写真ならではだろう。作品には魂が込められている。今にも動き出しそうである。

展示されていた松井秀喜選手の背中。※撮影可

瞬間の記憶の名の通り、一瞬は待ってはくれない。過ぎてしまう『時』をピシャリと止めるのは、報道写真家の力量が試される。新聞を読んだ誰もが、その場に居合わせたかのような生々しさを感じる。そんな一瞬を切り取るために、どれほどの経験を積んだのだろう。そして、どれほど失敗を重ねてきたのだろう。

作品を眺めながら、こんな写真を自分は撮ることができるのだろうかと自問自答した。しっかりと必要な場面を撮り逃さずにいられるのだろうか、再度問いかけた。わからない。その場に居合わせなければ、答えなどでない。

どの作品を見てもわくわくした。心躍るというのが正解なのかもしれない。一枚からにじみ出る躍動感は時代をこえた。私が生まれるずっと前の出来事であっても、目の前にそのシーンがうつるようだった。何とも不思議な気持ちだった。

たった一度のシャッターが、一生の記憶と記録になる。記憶はいつか薄れてしまうけれど、記録は熱い気持ちをそのまま残してくれる。写真の最高の利点である。

シャッターを切った人々は、どんな思いであったのだろう。切った瞬間、どんな気持ちになったのだろう。やはり、作品を見る私のように高揚感で満ち溢れていたのだろうか。それとも、撮ることに必死でどっと疲れを感じたのだろうか。

作品は決して嘘をつかない。撮り手の魂がそのまま一枚に込められる。私はそのように信じている。読者に伝えたい、熱い思いを世に出したい。そんな声が聞こえてくるようだった。仕事でありながら、スポーツのいちファンである。それが報道写真家ではないだろうか。

―――

内に秘める情熱が、作品にそのままあらわれる。私は自分の写真を見返していて、そんなふうに思うことがある。感情の赴くままシャッターを切っているからであろう。もちろん、考えながら撮影をしている。

写真は正直だ。


これだから野球を撮るのをやめられない。選手の成長とともに、自分の写真も進化していく。それを感じられるから、シャッターを切り続ける。きっとこれからもそうやって生きていくのだろう。

たくさんの報道写真を見て、熱い気持ちを再確認した。私は野球が大好きで、選手とともに成長したい。さらに満足できる一枚を残したい。心躍る作品たちは、私の向上心を刺激した。また、勉強の旅に出よう。伸びしろしかないのだから。



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