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⚾酷使の末路と選手の涙。

スポーツに負傷はつきものという。その言葉を見かける度に、未然に防ぐことはできなかったのだろうかと思う。

エースが一人で投げ切ることを美徳とする時代があった。ここのところ幾分マシにはなったものの、気合いと根性で挑むことに感動を覚える風潮は依然として残っている。

私はスポーツ医療を学んできたわけではない。ただ、酷使されれば壊れることは素人目でみてもわかる。ブラック企業のそれと似たものだ。程度は違えど、過労で体を壊すことに類似していると考える。

首都大学野球連盟では、2019年に球数制限を導入した。投手の故障予防のためだ。以下、詳細である。

投球数ガイドライン

①先発1戦⽬は投球数制限をしない。
②2戦⽬は前⽇ 121 球以上投げた場合は、翌⽇ 50 球までとする。
 但し投球中に 50 球を超えた場合はイニング終了まで可とする。
③1戦⽬で 120 球以下の場合は連投を妨げない。
④⾬天で 1 ⽇あけた場合は、制限を設けない。

投⼿の投球過多による投球障害肩及び肘が問題となっております。投球障害肩及び肘は投球数のみが要因ではなく、誤ったフォームにより1球でも発⽣することは医学界では確認されています。しかしながら、予防の第⼀段階として投球数ガイドラインを設けることと致しました。このガイドラインは提⾔といった形で、特に罰則規定を設けておりません。

大学野球界でいち早く『故障』について問題視し、先進的なガイドラインを作成した。文末に書かれているように罰則規定はないものの、無理強いした起用はなくなった。しかし、これは公式戦に限るものだ。

怪我で泣いた選手を何度も見てきた。タラレバになってしまうが、事前にどうにかできたのではないかと思ってしまう。オープン戦にいけば面白いように毎度先発。リーグ戦も変わらず頭からいく。翌日も先発はないにしろ、途中から登板。勝つためなら致し方ないのか。ガイドラインに沿っているとはいえ、その様子をみるに辛いものがあった。

酷使したツケは必ずやってくる。今季は二回も、その様を見聞きした。下級生の頃から出場機会が多かったことが理由か、それともケア不足か。その事実はわからない。一ついえるのは『一人に依存してきた』ということ。四年間という時間があったにもかかわらず、チーム全体でカバーできない状況に陥っていた。そして悲劇はやってくる。


自分のために腕を振ることができない。



三年間、チームのために腕を振ってきた。自分が主役となる四年目。そして、最も大切な試合。腕を振ることができない。今まで十二分に戦力となってきたのにもかかわらず、いざというときに戦えない。こんなに悲しいことはあるだろうか。

本心はわからない。あとからベンチの裏で涙を流していたと聞いたとき、言葉が出なかった。無理やり投げ切った一イニング。マウンドを降りたとき、何を思ったのだろう。

同じような悲劇を、二度と繰り返してほしくないと切に願う。故障には様々な要因がある。慢性的なもの、突発的なもの。本人に非があるもの、そうでないもの。一概に『誰が悪い』なんて決めつけようがない。むしろ、犯人捜しをしたところで何も解決しない。

伝えたいのは、一人に依存しないチーム作りを進めてほしいということ。ずっと活躍し続けることは立派だし、使い続けられることも素晴らしい。しかし彼らを消耗し、壊してしまえば元も子もない。選手はモノではない。しっかり感情がある。

ずっと使い続けられる裏で、出場機会に恵まれずに苦しむ選手もいる。それもまた課題だ。依存しすぎたゆえ、いざというときの助け舟がない。結果、誰も幸せにならない。

無理をしないでと伝えたくとも『いけ』といわれたらいってしまうだろう。指導者にNoとはっきりいえる信頼関係があればいい。実際のところ、それをいったら二度と使ってもらえなくなると、恐怖感を抱いている選手も少なくない。そして、勝つために無理にいこうとする選手に、指導者はStopと声をかけてほしい。

酷使が招いた涙。もう二度とそんなものは見たくない。そして、聞きたくもない。問題視されているとはいえ、まだまだ課題は山積みではないかと感じる。体の大きさが異なるように、人それぞれキャパシティも違う。だからこそ、もっと選手に寄り添ったチーム作りが必要だ。壊れていく様を、私は絶対に見たくない。



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