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⚾️卒業してからわかること。

大人にならないとわからないことが、たくさんある。


何年も大学野球を見ている。
それこそシーズン中は球場に入り浸っている。
野球を中心に一年のスケジュールが成り立っている。

だんだん顔見知りにもなってきて、球場にいくたびに選手と挨拶を交わすようになる。
こいつ毎回いるなって思われている、はず。
(あれだけ通い詰めていればそりゃそうだ)。

しかし、意外と選手と話す機会はない。
その場をあえて作らないというのが正しいかもしれない。

それには理由がある。




よっぽどのことがないと、選手の出待ちはしない。


という、マイルールの存在。
(ある程度の信頼関係が構築されている場合や、友達が待ちたいといえば別だが)。

嵐のように(球場に)やってきて、嵐のように去っていく。まるで私は風来坊。

とはいえ本当は、

「一本出てよかったね」とか
「悔しかったね。次頑張ってね」とか
単純に「お疲れ様」とか

いいたいことは山ほどある。
でも、彼らの足を止めてまでそれはしない。


相手は学生。
どこかで指導者が目を光らせているかもしれない。
つまんないことで(選手の)評価を下げたくない。
伝えたいという気持ちは、自分の勝手な思いである。

そんなことを考えて、私は選手と適度な距離を保っている。

心の中で『頑張って』と思いながら。

そうすると四年なんてあっという間に過ぎてしまう。

お疲れ様、応援させてくれてありがとう。
ともいえずに。


ありがたいことに、お世辞200%だろうけれど「かなねーさんと話をしてみたい」と卒業してからいってくれる人がいる。あれだけ何度も球場で顔を合わせながら話したことがない。何を考えているかもわからないだろうし、事情は頷ける。

自分で書くのもなんだが、字面でみると大変『お堅い』『厳格』な印象を抱かれる。見る目は厳しいし、妥協は許さない。少しでも失礼(失礼ってなんだ)があればシャッターを締め切ってしまうと、実際に思われていた。

別にその印象を払拭したいとか、そんなことはないのだけれど、面白いもんだなと思う。言い訳するつもりはないけれど、実際に話さなければわからないことがたくさんありすぎる。

私も選手と同じく、話してみたことで理解が深まったことが多くある。試合のときにどう考えていたのかとか、凄いと思った選手はどの人なのかとか、当時のチーム状況はどうだったかとか。時間が経ったからこそ聞けることがある。

これが卒業してからわかることだ。

実際にプレーしていた人の話は面白い。同じ場所にいながら、ものの見え方や視点が違う。お互いに「そんなことを考えていたのか」と、数年越しの答え合わせができる。非常に面白い。

特に私はカメラを構えて試合を見ているので、思わぬ表情が見て取れたりする(物理的な作品ではなく)。今、選手がどんな声掛けをしていたのか。逆に、どんな態度を取っていたのか。何もかも見えてしまう。

「そんなところまで見ていたんですか」
と驚かれることもしばしば。

そうだよ、何でも見えてんだよこっちは。


色々な話ができるのは、引退して数年経って、気持ちが落ち着いたというのが要因にあるだろう。学生のうちは時間も気持ちも余裕がなく、とにかく自分に費やすウェイトが大きい。周囲を見渡すことができる余白がないのが現状だろう。だからこそ、卒業後の彼らが面白い。漬けたエピソードの数々に人間の深みが相まって、まるで映画を一本見たような充実感を覚える。

そんな出会いをこれからも大切にしたい。
と、最近よく思う。


もう多分、この十年で1000人以上の選手を勝手に見てきたと思う。
顔と名前が一致しているのは何人だろう。
その中で挨拶を交わすのはどれくらいだろう。
話をしたことがあるのはいかほどだろう。

わかるのは『一握り』だということ。


卒業して一度も会っていない人。
思わぬところで再会する人。
学生時代からずっと仲良くしてくれる人。

一握りの中に、色々な人がいる。

その人たちとの出会いがあって、感化されて、今もなお私は大学野球を見ている。散らばっていたはずの点が全て線で繋がっていく。その楽しさを今、身に染みて感じている。

人間は生きる教科書。

卒業してからわかること。
私はこれから先も、たくさんのことを知りたい。










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