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⚾査定されゆく君を見て。

毎年行われるドラフト会議。喜びと嬉しさと落胆と、様々な気持ちが入り混じった一日になる。選ばれる人、選ばれない人。結果によって、自分自身の未来を考える人。立場によって色とりどりの感情が芽生える。

かくいう私も、毎年楽しみなのかそうでないのか、わからないような思いで会議を見つめる。家族や本人はどんな気持ちなのだろうか。想像もできないような世界だ。

ドラフト候補として名が挙がると、途端に周囲の目が変わる(ここでは評価をすることを仕事とするプロスカウトを除く)。ただ単純に応援されていた日々から、査定と評価がつきものとなる。良い結果ばかり残せたら理想ではあるが、現実うまくはいかない。いいときも悪いときもある。言い聞かせたとしても、そうはいかない。


『期待外れだ』


良い結果を残せば持ち上げられ、一度でも失敗をすれば、辛辣な言葉を投げつけられる。まだプロの世界に足を踏み入れていない者でも。査定される段階に入れば、一瞬にして手のひらを返される。そういう世界だ。是非を問うわけではない。ただ私は、短期間の中で評価され持ち上げられ、落とされる様を見るたびに、人としてのあり方を考えさせられるのだ。

高い世界を目指しているのだから、これくらい当たり前のことだ。
耐えられないやつは、プロの選手に相応しくない。

このように考える人も中にはいるだろう。当然だ。プロの世界に入れば、もっと厳しい現実が待ち受けている。野球で食っていくというのは、そういうことである。会社員でも同じ。きちんとした仕事ができなければ、評価が下がる。給与に反映される。しかしそれは、就職をした後だ。それ以前に評価されるのは、せいぜい面接時くらいだろう。

いち野球ファンの独り言くらいでおさまればいいが、SNSが発達した現在そうもいかない。選手自身や家族が簡単に情報を入手できる時代となった。やれすぐ打たれるだの、全然使えないだの、上位候補じゃ無理だの好き勝手な発言ばかり。昨日までドラ一だのなんだのいっていても、一度の結果で手のひらを返す。気軽につぶやけるからこそだろうか。

プロの世界に飛び込むということは、厳しい試練の連続。ドラフト会議はその洗礼を浴びる場なのだと、私は何ともいえない気持ちになった。熱く応援する中で、厳しい言葉もつきものかもしれない。もちろん何が正解とも間違いともいえない。というより善悪で判断はつかない。ただ私は率直に、勝手に持ち上げて手のひらを返すような人ではありたくない。それだけの感情だ。

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高いレベルに到達すると、求める質も自ずと高くなります。期待されている証拠ではありますが、だからといって傷つけていい理由にはならないと思うのです。

誰もが常に『良い』状態を維持できるとは限りません。人生山あり谷ありですから、うまくいかない時期もあります。そのときに、どういう言葉をかけるか。様々な考え方がありますが、私は優しい言葉をかけられる人でありたいと思うのです。愛や応援を盾に、人を傷つけることだけはしない。選手を応援するための、自分との約束です。

いただいたサポートは野球の遠征費、カメラの維持費などに活用をさせていただきます。何を残せるか、私に何ができるかまだまだ模索中ですが、よろしくお願いします。