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⚾新米エース。いざ、本領発揮。

エースという立ち位置は、いわばチームの支柱。そんな大役を、一年目にして任された選手がいる。

帝京大学出身の戌亥颯一郎投手だ。大学卒業後は、地元の関西に戻り『ニチダイ』でプレー。四月に行われたJABA京都大会では、セガサミー戦で先発を任された。一年目から主力として経験を積み、先日行われた日本選手権最終予選でも三度の先発起用。日本製鉄広畑戦では、完投勝利をあげた。先発中継ぎと様々な役を務め、鉄腕ともいえる活躍ぶりである。

一年目エースではなく、エース一年生。あえて私がそのように表現するには理由がある。それは、大学時代の登板経験を鑑みてのことだ。

帝京大学は阪神タイガースの青柳晃洋投手をはじめ、数多くの好投手を輩出している。戌亥投手の同期にも、素晴らしい投手が在籍していた。現在Hondaに所属する岡野佑大投手。SUBARUの西澤海投手。東芝の粂直輝投手。ある程度のローテーションが固まっていたこともあり、なかなか戌亥投手の出番はなかった。

忘れもしない2021年の秋季リーグ戦の開幕週。二日目に、リーグ戦の初先発を任されたのだ。試合前に様子を見に行くと、嬉しそうでありながらも緊張した戌亥投手の姿がそこにあった。その日はあいにくの雨。「自分が投げる日はいつも天気が悪いんですよね」と、少々こわばった表情でいわれたのが印象的だった。そんな悪天候の中で挑んだ日本体育大学戦。3回2/3を投げた。

その後は筑波大学の二戦目、武蔵大学の二戦目で先発起用。もっと投げても良かったんじゃないかなんて、個人的には思ってしまうほど。しかし、そう事が運ばないのが勝負の世界。秋季リーグ戦ではチームは四位となり、引退の日を迎えた。

大学時代 リーグ戦初先発


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ニチダイに進むことを知った私は、京都なんて遠くて行けないなと正直思った。まぁ、シーズンに一度くらい見られたら御の字かなと考えていた。蓋を開けてみると、信じられないほど京都へ行っている自分がいる。一年前、誰が想像したであろうか。

初めて京都へ行ったのは、四月に開催された『JABA京都大会』だった。きっかけは、帝京大学OBの一言だった。その日は土曜日。ちょうど私は、首都大学春季リーグ戦を見に行っていた。そのときに後輩の応援にきていたOBに「月曜日に戌亥が先発するらしいですよ」と教えてもらった。

あの戌亥がもう一年目で先発を任される。その事実は私にとって物凄く衝撃的だった。とても嬉しい知らせだった。

頭で色々考えた。月曜日は仕事だし無理だと一瞬諦めた。しかし、気が付いたら京都へ行く方法を探していた。これが私の先発旅のスタートだった。

日曜日の夜、夜行バスで京都へ向かった。本当は疲れていたのだろうけれど、アドレナリンが出ていて何も感じなかった。翌朝、球場に到着すると高揚感が物凄かった。本当に先発するのかと、どきどきしたのを覚えている。

相手は東京都の強豪、セガサミーだった。こんな強いチームにいきなり先発で抜擢されるのかと、とても嬉しくて仕方がなかった。もちろん勝ちにこだわってほしい気持ちもあったけれど、とにかく楽しんで投げてほしい。その一心だった。

試合が始まり、マウンドにたった。ルーティンである一礼を写真におさめ、まじまじとその姿を見た。真新しい白地に青の縦線が入ったユニフォーム。新天地で頑張っている背中に、私は深く感動した。結果は5回2/3を三失点で降板。試合は3-0で負けてしまったものの、これだけ長いイニングを任された試合は初めて見た。強豪チームに5奪三振をとったことも、私にとって喜びの一つだった。まだ走り出したばかり、さらに輝けると確信した。

JABA京都大会


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時は経ち夏になった。都市対抗予選、全日本クラブ選手権予選、都市対抗本戦とバタバタしている間に、また一つ知らせが入った。本人からだった。

近畿地区選抜に選ばれました。8月にオリックスと試合をやります。

選抜という言葉が重くのしかかった。彼は近畿地区の代表に一年目にして選ばれたのだ。理解が追いつかなかった。代表に入れるほどの努力を続けた証。見に行くしかなかった。即座に大阪までの航空券をとった。

当日はとても暑かった。はずなのに、その記憶がほとんどない。気が付いたら羽田空港で飛行機に乗り、瞬間移動の如く舞洲に到着していた。無我夢中だったのだろう。ユニバーサルスタジオジャパンにも行ったことがないのに。

ローテーションは決まっていたようで、二人目の投手として、2イニングを任されていた。私のでたらめスコアがあっているのであれば、2回無失点で交代している。たった2回のために大阪へ行ったことを驚く人もいるだろう。しかし、私にとっては大きな2回だったのだ。

代表として選ばれる投手になったという事実が、大きな喜びだった。どんどん伸びていく様が嬉しくてどうしようもなかった。大学時代を見ているから、尚更そう思うのかもしれない。私ももっと頑張ろうと、活躍が力になった。

近畿地区選抜での投球


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そうこうしているうちに、日本選手権最終予選の日程が出た。もともと北信越地区(新潟)へ行くことは夏前に決めていたが、近畿地区についてはノーマークであった。北信越地区と異なるのは、敗者復活戦があるので日程が読めないこと。ある程度のやまをはって行くしかない。出来上がったのは、京都経由新潟行きというハードスケジュールだった。

全部投げると思います。

一年目の鉄腕がそういうのなら、行く以外の選択肢がなかった。まず二回戦であるパナソニックとの試合を見た。観戦することを事前に伝えなかったので、目を丸くしていたのが印象的だった。いつもの如く、おなじみのルーティンを写真におさめた。

やはりパナソニックは強かった。先頭打者から本塁打を浴びると、そのまま相手打線につかまった。7回コールドで試合をしめられると、渋い表情で出てきた。とにかく頑張れと激励をし、私は新潟へ向かった。

日本選手権最終予選 パナソニック戦

北信越での試合が無事終わり、近畿地区の日程を確認した。とにかく三回勝てば日本選手権に出場ができる。そのことだけを考え、日程を照らし合わせた。順調にいけば日本製鉄広畑とあたる。恐らくこの日も先発になるだろうと、行くことを決めた。


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迎えた当日。緊張というより、とにかく後悔のないように投げ切ってほしい。それだけだった。日にちがあいているとはいえ、かなりの数投げ込んでいる。疲労もあるだろうし、そこまで長いイニングは投げないだろう。そんなふうに考えていた。

4回を投げて0-3。そろそろ点を取らなければ終わってしまう。どうか打線よつながってくれと、スタンドから願っていた。同時にいつまで(腕が)もつのだろうかと心配にもなった。負けたら終わり。これがトーナメント戦の宿命だ。

そうこうしているうちに9回を迎えた。投手交代することなく、最後まできた。6回に一点を獲得したものの、まだ二点の差がある。ここで追加点がなければ試合は終わってしまう。一死一二塁。ランナーは二人でているものの、この後の打線が繋がるとは限らない。ここまで投げ切っただけよかったのか。そんなことを考えていた矢先の出来事だった。

一番打者の右越本塁打。


綺麗に放物線をかいて飛んでいった。信じられなかった。何が起こったのかよくわからなかった。わからないのではなく、状況がのみこめなかった。逆転したのだ。


ということは、裏がある。
裏があるということは、投げる。


貴重な一点。大切な一点。とんでもない一点を最後は守らなければならない。私の心臓は壊れそうだった。きっとチームのみんなも、観客も、そして本人も同じ気持ちだっただろう。

やはり最後のイニングも任された。ただ応援しているだけの私も、ドキドキが止まらない。久しぶりの感情だった。

最終回。出塁を許したものの、後続打者を抑え切った。そう、まごうごとなき『完投勝利』だ。初めての完投勝利を目の前に、私は涙が止まらなかった。西日が強く、とても眩しかった。撮る写真全ての色が抜けてしまうほどだった。でも、肝心の勝利の瞬間はきちんとおさめた。私の執念だった。

日本選手権最終予選 日本製鉄広畑戦 試合終了後のガッツポーズ


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その日は安心したのか、心がほんわかした。というより、何も考えられなかった。残りの試合はあれど、完投勝利をこの目で見た。満足感、安心感、喜び。様々な思いが交錯した。大学時代、もっと投げたかったかもしれない。でも、今活躍するために全てをとっておいたのかもしれない。そうとも感じた。

投手経験はあれど、まだエース一年生。きっとこれからもまだまだやってくれる。そんなふうに思えた。マウンドに立つ背はとても頼もしく大きく見えた。大学時代のそれと全くの別人だった。素敵なチームに入れてよかった。心からそう思った。


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翌日、NTT西日本に敗退し日本選手権最終予選を終えた。前日完投をしたのに、この日も最後のマウンドを任されていた。鉄腕の信頼度の高さを感じた。

大躍進の一年目。会社を背負って戦っている。その逞しさたるや、学ぶことばかりだ。ただ、無理はしないで体には気を付けてほしいとお節介ながら心の隅で思っている。これから先も挑戦は続く。私も後悔しないように、その姿を目に焼き付けたい。


ルーティンの一礼



いただいたサポートは野球の遠征費、カメラの維持費などに活用をさせていただきます。何を残せるか、私に何ができるかまだまだ模索中ですが、よろしくお願いします。