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円相図



円相の掛け軸が欲しかったのですが

いいものが見つかったとしても、手を出せないほど高額だったりするので

ならば自分で描いてみたらどうか? と、

筆と硯など一式を購入しました。 


筆を持つなんて、中学生ぶり? でございます。




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沢庵宗彭筆・自賛『円相像』
正保2年、南宗寺




禅では、「悟り」や「無限」、「宇宙」

執着から解放された「こころ」など、

悟りや真理の象徴、

見るもののこころを写す窓 としての書画とされています。



終わりなく始まりもない。

すべてが始まりであり終わりでもある。


単純明快、シンプルな型でありながら、

完全無欠。


見るものによって解釈が任されるとも言われる円相図ですが

描いてみるとまた、解釈が違えてくる。




当たり前ですが、揺れるんですよ。

機械ではないので完全にきれいな円なんて、描けない。


完全、完璧を求めるということ。

完全無欠を良きものと評価するということ。


人間のこころは揺れて当たり前であって、

完全な円相というその「形」に囚われる我々の意識がそこにあり、

完全な「形」を追い求め、探し求め、さらに揺れる。



自らの中に 評価、基準、ものさし を持つ。


脳のシステムとしては、そんなものはなく、瞬間瞬間で変化しているのに、

いつだかにわざわざ作った自分のものさしで、今の自分を評価する。


自分だけでなく、他人までをも評価し、

他人のものさしで自分を評価する。




同じように描いた円でも、それぞれに違って当たり前で、

「まあ、いいか。」

この境地は、経験しないと、わからない!


BASE ですね。



楽しいので、続けます。

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